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今年のテレビ1 テレビに対する独り言 [テレビの雑感日記]

☆地デジは本当に必要なのか?
 最近、テレビを見ていると番組の終わりころに下に帯が入り、「2011年7月24日より地上波デジタル放送が始まり、今までの地上波アナログテレビジョン放送は終了します」みたいなテロツプが出る。我が家はCATVに加入しているのだが、CATVチューナーからの入力では出ない「アナログ」の文字がテレビチューナーでNHK-BSを見ていると嫌がらせのようにずーっと出ている。
 地上波デジタルへの移行でどんなメリットがあるのか、たとえばWikiを見ると、
・デジタル・ハイビジョン放送
・ステレオによる二か国語放送や5.1chマルチ・チャンネルでの放送も可能に
・電子番組表、番組情報
・双方向サービス
・ゴーストのない映像およびノイズ
 など、いいことづくめの文字が並んでいる。が、これらの機能、あれば便利だがなくてもまあ困らないものばかりである。少なくともテレビに絶対に必要というものではない。ゴーストだってアナログのときにも対策がたてられてきたわけで、何がなんでもデジタルにしなければならないというものでもない。では、デジタルテレビを買えばいいのかというと、今までのVHFアンテナではダメでUHFアンテナをたてなければならないのだが、これはほんの付けたし程度にしかふれられていない。B-CASカードによる機器認証なんてのも必要なのだが、これふつうのおじいちゃん、おばあちゃんができるのだろうか。
 いずれは地デジチューナー内蔵のテレビばかりになるのだろうが、当面は地デジチューナーを付けてという人もいるだろう。しかし、下にも書いた「ぶっスマ」という番組で、地デジ大使を自認するSMAP草薙が地デジチューナーとテレビをつなぐゲームをやっていたが、なかなか絵が出なかった。大使ですらこのていたらくなのである。接続アレルギーの老人など手の打ちようがない。
 コピーの問題はすでに別のブログにも書いたことがあるが、不便この上ない。1回だけコピー(コピーワンス)のあまりの不評に(DVDレコーダーの宣伝でこのことをはっきりうたっている広告を見たことがない。明らかに隠して売っているとしか思えない)、コピ−10にするから文句ないだろうという展開だが、これって早いものでも2007年以降の機種でないと対応できない。我が家のDVDレコーダーは2006年末のものなのでアウト。いやなら買い替えろ、というまさに江戸時代以前を思わせるような「お上」の通達である。しかも、私がよく見るWOWOWはコピー10にはせず、あくまでコピーワンスと宣言している……。
 これほど問題をかかえている地デジへの移行の大義名分が、「電波の有効活用」なんだそうだ。おいおい、今でさえたいした活用していないのに、デジタルになって1局2〜3チャンネルも持って何を垂れ流す気なのかね。電波が足りないというのなら、たとえば民放のBSデジタルを全部なくしたらどうなのか。番組はほとんどが自局のものの再放送だし、夜はどこの局も単なるショップチャンネルになってしまう。電波が本当に足りないのなら、この民放のBSデジタルを転用したらどうか。
 裁判員制度などもそうなのだが、ほとんど満足な説明もなく勝手に決めてそれに従えというやり方には納得がいかない。政府は環境問題がなんだかんだと言い、「もったいない」という日本語は実にすばらしいとかわけのわからないことを言っているが、どこも故障していないテレビが見られなくなり捨てられることこそ、もったいなくないのか。いったい地デジの馬鹿騒ぎでいくらの費用がかかるのだろう。どう考えても政府・役人と家電業界が結託した悪巧みとしか思えないのだが……。


☆番組の作りと放送時間帯
 深夜枠の番組で人気が出ると「ゴールデン進出」ということが多々ある。たいていは出演者たちが、「おかげさまでゴールデン(タイム=19〜21時)に進出することになりました。バンザーイ」とやる。一般的にはゴールデンタイム、プライムタイム(〜22時)への進出は、番組の価値が認められたということで喜ばしいことのように思えるのだが、果たして本当にバンザーイなのか。むしろ深夜枠の方がよかったということはないのか。
 古くはフジテレビの「トリビアの泉」。ちょっとテレビ朝日の深夜番組「タモリ倶楽部」的な雰囲気もあり、またゲリラ的な雰囲気もあり注目するところがおもしろいと評判になり21時からのプライムタイムに進出した。が、時間帯のせいでエッチネタは使えなくなり、また時間拡大のせいもあって次第にネタが不足し、「トリビアの種」というトリビアを探すのではなく局がトリビアを作るコーナーが目につきだした。さらにそのうち同じ「トリビアの種」を少しだけアレンジして使うことが多くなった(主人が……したらイヌはどうする?など)。プライムタイムということで一般向けを狙うあまり、本当に「へえぇ」と思わせる足で探したようなネタも少なくなり、なんだかつまらなくなったなあと思っていたら打ち切りになった。ゴールデンやプライムと深夜の視聴者層は異なる。やはりその時間帯に向いた番組作りというものがあるはずである。「トリビアの泉」も深夜枠ならもっと自由度があり「タモリ倶楽部」並とは言わないが、もう少し長生きできたのではないだろうか。
 この愚を未だに悟らず繰り返しているのがテレビ朝日の編成で、「マシューズベストヒットTV」「クリームなんとか」など深夜枠(23時15分〜)で少し話題になるとすぐゴールデンに進出させ、しばらくすると消えていくという番組が実に多い。要するにそれらの番組は深夜番組の視聴者には合っていても、ゴールデンの視聴者層と合っていなかったのだ。ちなみにマシューこと藤井隆の「マシューズベストヒットTV」はその後同タイトルで深夜の30分番組に戻ったのだがすでに失速しており、題名・内容を「オードリ−25」に変更。これは改悪も改悪、ただ踊っているだけという馬鹿番組なのですぐに打ち切られ「悲宝館」に。「悲宝館」は街の悲しい物(たとえば打ち捨てられた置物、全く売れなかったCDなど)や出演者の悲しい思い出を語る番組でチープな感じも深夜番組らしく、ようやく定着したかなと思ったとたんになぜか打ち切り。代わって始まったのが「ギョーテック」。いろいろな業界のびっくり&おもしろテクニックをマシューやブラックマヨネーズ、チュートリアル、ハリセンボンらが紹介するという顔ぶれだけみれば豪華な番組だが、下手なクイズなど入ったりしてさっぱりおもしろくない。毎回、企業や施設などを訪ねていくのである意味その企業・施設の30分CM番組ととれなくもない。目先を変えただけの深夜のショップチャンネルだとしたら困ったものである。
 要するに時間帯によって視聴者層がちがう(つまり番組の作りが変わってくる)という当たり前のことがテレビ朝日の編成はわかっていないのだと思う。テレビ朝日深夜枠(23時15分〜)で不動なのは今や火曜日の「ぷっスマ」くらいのものだが、深夜枠ならではの水着美女のバストサイズを当てるクイズやどの水着を着てくれるか当てさせるクイズもあったりして十分に深夜を意識した作りになっている。MCがユースケ・サンタマリアとSMAPの草薙なのでゴールデンへという話もあるのだろうが、依然として「進出」する気配はない。時間帯と番組作りの関係がわかっているのだろう。この番組や「タモリ倶楽部」のプロデューサーは偉いと思う。(この11時枠では水曜に放送されていた「ナニコレ珍百景」がまたまたしても10月からゴールデンに進出するのだそうだが、果たして……???)


☆CMのタイミング
 いつのころからだろうか、さあてどうなりますか、というところで結果が映る直前にCMが入ることが多くなった。視聴者は結果を知りたがるので、その直前にCMを入れるとCMの効果が上がるとテレビ関係者の誰かが言い出し、アホな上層部が、それはいい考えだと採用したのだろう。で、それを見た他局のお偉いさんも、うちもああいうふうにやらんかい、と言い出しこの結果直前CMはまたたくまに全局に広がった。問題なのは、そういう直前に挿入されるCMに対して視聴者がどういう感情をもつのかという考察が全く抜けているということである。少なくとも私にはそういうCMは邪魔なだけである。人によっては突如挿入されるCMに憎しみを持ち、そのスポンサーの製品に悪印象をもつことも多いのではないかと思う。
 たとえばテレビ朝日の金曜の深夜番組「爆笑問題の検索ちゃん」をわりとよく見るのだが、太田が最後の問題の「では、正解は」と言ったところでCMが入る。そして、正解が出て太田が「さて、今週のチャンピオンは」と言ったところでまたCM。太田のめちゃくちゃトークがおもしろくてこの番組を見ている私にとって、別に正解を知る必要もないし、誰がチャンピオンになったところでどうでもいいようなことなので、最後の問題の「では、正解は」で歯をみがきにいくことにしている。もう午前1時を過ぎているのでいくら金曜日の夜とはいえ、そろそろ寝る時間なのだ。意味のないCMにつき合っている暇はないのだ。
 先日の「タカ&トシ お試しか」も、タカとペナルティーのワッキーがPK対決をしていた。で双方がPKを成功させ5対5のままサドンデスに突入したのだが、ワッキーが蹴ったところでCM。私は、つき合ってられんわ、と風呂に入りに行った(知り合いにその話をしたら、知り合いは忍耐強いのかその番組を最後まで見ていたんだそうだが、ワッキーが決めた後タカが蹴ったところでまたCMが入ったのでイラついたと言っていた。確かにCMは見てもらえたのだろうが残ったのは悪印象だけである。「お試しか」ではなくて「アホか」)。
 なんだかテレビ朝日の悪口ばかりになったしまったが、テレビ朝日でも「ナニこれ珍百景」などは比較的テンポよく番組が進み、もちろん民放だからCMはあるが理不尽な入り方はしない。私の愛好番組なのにどういうわけかテレビ朝日が中継してくれない(系列の朝日放送制作)「探偵!ナイトスクープ」などそういった馬鹿なことは一切せず、一つの報告が終わったところで実に自然な感じでCMが入る。こちらは前の報告の余韻にひたりながら普通にCMを見る。で、CMが終わると次の報告が始まる、といったぐあいで実にテンポよく番組が進行して行く。「検索ちゃん」や「お試しか」のスタッフも少しは見習ったらどうか。
 その不都合さに気づいたのか日本テレビ「グルナイ」の「ごち」でのCM挿入が改善されたのは喜ばしい。ある決められた値段を頭にごちそうを食べ、最も決められた値段から離れた人が全員の料金を自腹で支払うというゲームである。かつては、「では、本日の料金を支払うのは」と結果が出る直前にCMが入った。それがわかっているから私はその前のぐだぐだとしたやりとりやCMはパスして別のことをしに行き(トイレやメールチェックなど)CMが終わった頃に戻ってきて結果を見た。それが去年の後半あたりから結果まで通しでやるようになった。従って私はそのままイラつくこともなく次週の予告まで見ることになり、CMも見ることになった。結果直前CMを見る視聴者の感情というものに配慮した結果だと思う。


☆TBSの番組構成はめちゃくちゃ
 なんでも昼のドラマをやめるらしい。「ニュース23」も打ち切りとか。で、夕方から夜に大型のニュース・情報番組を帯でやるんだとか。この時間帯のニュース番組といえばNHK7時のニュースが定番だが、基本的に夕食時の時間である。その日のニュースをざっと見るか、肩の凝らないバラエティーを見たいというのが普通ではないだろうか。食事をしながら小難しいニュース解説を見たいという人はあまりいないのではないだろうか。解説を聞いてみようかと思うのは、サラリーマンなら帰宅してからのいろいろな雑用などが一段落してからだろう(だからテレ朝の「報道ステーション」は10時からだし、「ニュース23」はタイトル通り11時からだった)。ニュース情報番組といえば関口-久米と(内容はともかく)似たような番組を並べてみたり、安住のニュース番組に気の利いたコメントひとつ言えないタケシをもってきたり、最近のTBSはおかしなことばかりやっている(小室への「差し入れ」問題にしろ、東金事件の知的障害のある容疑者を女子アナが誘ってカラオケに行った映像を流したり、編成だけでなく取材も相当によれている。オウム事件の時「TBSは死んだ」と言った故・筑紫哲也はどうやら正しかったようだ)。
 そういえば土曜日の夜8時という時間に連続ドラマをやるというのも変だ。バレーボールの特番が入ったりして「ルーキーズ」は寸断された放送だった。それも一度や二度の寸断ではない。大宣伝もあってそれなりの視聴率はとれたようだが、寸断がなければ視聴率はねっと上がっていたと思う。この時間帯はかつての「全員集合」やフジの「ひょうきん族」のような気楽に見られるバラエティを流すのが視聴者の生活リズムに合っていると思うのだが、「ルーキーズ」はともかく「恋空」「ブラッディ・マンディ」など深刻ぶったドラマばかりが放送されて沈没している。TBSの編成は気が狂ったとしか思えない。映画に参加したところでもう半世紀も前の「私は貝になりたい」。「民放の雄」なんて言われていた時代はとうの昔のことで、今やフジ、日テレに次ぐ3位が定位置、その位置もテレ朝に抜かれようとしている現実をきちんと認識しないといずれテレ東にも抜かれてしまうかもしれない。
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今年のテレビ2 バラエティー [テレビの雑感日記]

 出版関連の仕事というのはけっこう不規則なので、話題になっていても連続ドラマはなかなか見られない。そこへいくとバラエティー番組は、「先週見ていないのでわからない」ということがないのがいい。ただしテレビで教養を身につけようなどという気は全くないので最近多くなった雑学番組は見ない。ここに挙げたものも含めて比較的よく見るのはテレ朝の「ぷっスマ」「タモリ倶楽部」「検索ちゃん」、TBSの「あらびき団」、フジの「笑っていいとも増刊号」、テレ東「なんでも鑑定団」日テレ「踊るさんま御殿」、本来はテレ朝系列なんですがなぜか東京MXで見ている「探偵!ナイトスクープ」あたりでしょうか。その他は、話題やゲストによります。

☆M-1グランプリ
 M-1グランプリというものを意識したのは2005年のブラ・マヨから。以後、2006年チュートリアル、2007年サンドウィッチマンときて今年のNON STYLEである。みに決勝に残った3組の順位付けは、私はオードリー、ナイツ、NON STYLEの順でちょっと意外な感じもしたが、どれもなかなかの出来でまあ好みの問題だと思えばとくに不満もない。
 ちなみに歴代の優勝者は2001年9中川家、2002年ますだおかだ、2003年フットボールアワー、2004年アンタッチャブル。「ますだおかだ」は大納得、フットボールアワーとアンタッチャブルもまあまあ納得だが、第1回の中川家だけは「ええーっ」という感じである。主催が吉本興業なので無理矢理、中川家にとらせたのだろうか(ちなみに私は中川家がおもしろいと思ったことは1度もない)。で、第2回がますだおかだ(松竹芸能)に決まったため、吉本以外でも優勝できるんだということになり公正性がでてきたのではないかと勝手に想像している。
 明らかにこのM-1をパクッタと思われる10月にTBSで放送された「キング・オブ・コント」よりは選考過程がクリアになっているだけでもマシである。各審査員が責任をもって採点し、もちろん私の予想とは違うことも多いが、これはこれでいいと思う。「キング・オブ・コント」についてはこんな記事もあるが、↓
http://www.excite.co.jp/News/entertainment/20081011/Cyzo_200810_post_1047.html
 後出しじゃんけんでよりつまらなくなった典型的な例と言える(漫才ではなく「コント」と言えばこの一組と思っているアンジャッシュなど番組が始まったときにはすでに落選していてただ観客席にいるだけだった)。TBSは現場を含めて会社全体が崩壊しているネ。本当に末期的症状と言っていい。現在、見たい番組は「あらびき団」くらいしかないのだから。


☆実力以上に売れすぎる悲劇
 映画監督の故・黒澤明はシェイクスピアの「マクベス」を翻案した「蜘蛛巣城」を作るとき、その地位の能力のない人がその地位についてしまった悲劇、というような解釈をしていた。
 テレビを見ていると、この人いったい何で人気があるんだろう、と首をひねってしまう人たちが何人かいる。何人かが、あれおもいろいなあ、と言い、その人(グループ)をおもしろいと言わないと時代遅れにされてしまう、仲間外れにされてしまうという心配から、おもしろい、と合わせ思い込もうとし、それが大きな流れになって人気が大ブレイクするのだろうか?
 少し前の例でいうと、「何でだろう……」で紅白歌合戦にまで出てしまったテツ&トモ。さらにその前では山田邦子。彼らがおもしろくない、と言うのではない。そこそこおもしろかった。が、所詮そこそこのおもしろさであり、一世を風靡するようなものではなかった。それでもなぜか大ブームになっちゃったので、本人たちも天下とったような気分になっちゃうのかねえ。慢心していたかのかどうかは知らないが、頂点は短くあっという間に消えてしまった。テツ&トモは今ではほとんど「あの人は今?」だし、邦ちゃんは乳がんコメンテーターとしてしか見なくなってしまった。
 最近、この危険を感じるのは小島よしお。「そんなの関係ねー」は最初見たときは、なんじゃこりゃあ?とそれなりにおもしろかったが、大ブレイクしたときにはすでに飽きていた。その後、「ラスタピーヤ」などのギャグを作ってはいるが、はっきり言って全くおもしろくない。裸から服を着るタイミングも失敗しており、近頃はときどき服を着て出てくることもあるが影が薄い(このタイミングはなかなか難しく、先に服を着たにしおかすみこもインパクトがなくなって半分消えかかっている)。
 現在、この危機にあるのは、エドはるみだろう。
 グーはいったい何がおもしろいのか私にはわからないまま大ブレイクしてしまったが、さすがに少し飽きられはじめた兆しが感じられる。そもそもこのおばさん、「踊るさんま御殿」でさんまに「結婚に重要なのは?」とふられたところ何だか当たり前の答えを返し(何と言ったのか忘れた)、さんまから「タイミングーでしょうが」と言われていた。要するに自分のテンポで自分の世界でグーと言っている分にはいいのだが、相手とのやりとりがまだうまくできないのだ。こうなるとマンネリはもう目の前で、いつ突然飽きられても不思議はない。我が家の奥様が、TBSのドラマで普通に演技ができていた、と言っているのでおばさん脇役の方に方向転換するのだろうか?
 いずれにしても芸人は、能力以上に大ブレイクしてしまう(黒澤流に言えば、その地位の能力のない人がその地位についてしまう)と、99%がその人気を維持することはできずに消えて行く。せいぜいプチブレイクくらいにしておくのが、この世界で長生きするコツなのかもしれない、と思う今日この頃である。
(ちなみに最近の漫才・コンビで私が、「うまいなあ」「おもしろいなあ」と思うのは、ますだおかだ、アンジャッシュ。チュートリアルもおもしろかったのだがM1とって忙しくなりすぎたのか、最近はつまらなくなった。黄信号である。)


☆「ぷっスマ」
 ユースケ・サンタマリアとSMAPの草薙がMCをつとめる「ぷっスマ」(テレビ朝日)というバラエティを毎週見ている。毎週いろいろなゲームでMCとゲストが競うという番組で(この形式に落ち着くまで何年か!かかった)、とくにお気に入りは「記憶力絵心クイズ」。ともかく草薙画伯の絵が常識を突き抜けていて笑える。絵心のない私が見ても「何だこりゃあ」というくらいものすごい絵なので、草薙には勝てると考えているゲストがほとんど。だから、草薙に負けると茫然自失、この表情がまた見物である。坂下千里子は泣き出してしまったし、松たか子は目を見開いたまま絶句してしまった。私はこの草薙に加えて東幹久、石田純一を「ぷっスマ」の三大画伯と呼んでいるが、彼らが出たら必見である(最近、出ないなあ……)。
 9/9は「あたかもディクショナリー」。ある言葉の解説文の所々が空欄になっていてそこを埋めていくゲームで、「ぷっスマ」にあってはまあ普通におもしろい回なのだが、今回は少し趣向を変えようというのか、素人の下手なコントなど入って改悪になってしまった。意味のないコントのおかげで問題文が映される時間が短くなってしまったため、どういう問題文なのかよくわからず、こちらは考えられない。本末転倒の典型的な例といえる。
 また、ゲストで品川庄司の品川が出ていたが、いかにも受け狙いでわざと馬鹿なことを書いて空欄を埋めたのがわかる答えで興ざめ。芸人の馬鹿は演技だというくらいのことは見る方もわかっているのだが(あの羞恥心のつるのにしたって本当の馬鹿なら「ウルトラマン」のとき台詞を覚えられないだろうし、好きだという将棋のルールだって覚えられないはずである)、演技はあくまで自然にやってくれないと。もちろん、演技とわかっていても「ますだおかだ」のように突き抜けて馬鹿を演じていれば、それなりに笑えるんだけどね。
 かつて毒舌で売っていたタケシは子どもに「この人、ホントはいい人なんだよね」と見抜かれたときからおもしろくなくなった(監督、MCといろいろやっているが、ここ10年以上、タケシをおもしろいと思ったことは一度もない)。芸人がおもしろくなくなって人気が落ちるのは、
1 女優や美人とつき合ったり結婚したりする(大竹しのぶと結婚していた当時のさんま。最近ではモデルとつき合っていたインパルスの堤下など。さんまは離婚して復活したが、堤下は別れてもまだ潜ったままである)
2 お笑いをやっているが実はりこうなんだぞというところを見せたがる(たけしが典型。爆笑問題の太田が要注意)
 文化人コンプレックスは要注意である。
 なんだかんだと言っても視聴者は芸人を自分たちより一段下の人間と見て馬鹿にしたり笑ったりしているのだから、女優や美人とつき合ったり、りこうぶったとたんに人気は急降下する。麒麟の田村も「貧乏」で視聴者の優越感を満たして人気が出たが印税2億などという報道ですっかり人気を落とした。芸人は「おもろいやんか」と思われてナンボ。品川も小説を書いたりしているようだが、気をつけないとね。


☆「あらびき団」
 朝日新聞で「あらびき団」がとりあげられていた。TBSの水曜午後11時50分から放送している30分番組で、私は毎週楽しみにしているのだが、マイナーな番組なので新聞に取り上げられるとは思わなかった。番組はふつうならまあテレビにはとても出られないような芸人たちがあらびきな芸を披露し、それを東野と藤井がくさすというもの。安穂野香(はげのおっさんがセーラー服を着てキーボードを弾く。最初見たときは呆気にとられたが何度も見ていると飽きる。CDも出したそうだが、何と名古屋の人だったとは驚き)、メグちゃん(おもしろくない芸を披露していたが親にバレて引退)、ふとっちょ☆カウボーイ(たるんだ腹を見せてパンパーンとピストルを発射する真似をしているだけの全くおもしろくないデブ)、みっちー(最近の……実におもしろい。私もやってみる、と全く似ていない小島よしおの物真似など。あまりに似ていないのがけっこうおもしろいのだが最近あまり見かけない)などはこの番組で初めて見た。売れていない自称グラビアアイドルがとんでもない芸を披露し、藤井に「大丈夫なんでしょうか」と言われることもある。世界のナベアツ、はるな愛、品川庄司の庄司、ケンドーコバヤシなどの「有名人」も時々出演する(たいてい芸そのものはおもしろくない)。
 粗挽き芸なので芸そのものはおもしろくないものがほとんどなのだが、東野が「ひどいねえ。何ででてきたんだ」「おい、ちゃんとオーディションやってるのか」、藤井が「今後が心配です」「何だったんでしよう?」などと言いたい放題のくさしのタイミングが抜群で笑える。深夜番組ならではのおもしろさがあるので、なまじ新聞で話題になったからといって(テレビ朝日がよくやって失敗しているように)ゴールデンに移行しないようにしてほしい。少なくとも知らないグラビアアイドルが水着で出てきて、パンを一口で食ったり、うんこ座りしたりという粗挽き芸は、ゴールデンになったら絶対に見られないのだから。
 ちなみに、我が家の奥様のお気に入りは「モンスターエンジン(……という暇をもてあました神々のたわむれ)」、私のお気に入りは「ふうせん太郎」(でかい風船に入ってジャンプしたり竹馬に乗ったりするパフォーマーだが毎回必ず失敗する)。
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今年のテレビ3 テレビドラマ [テレビの雑感日記]

 不規則な仕事なので連続ドラマはなかなか見られません。ここに書いた故ドラマも、必ずしも毎回見ていたわけではありませんが、それでも「だいたい見た」と言えるのはフジテレビの3作だけでした(正確に言うと、「医龍2」は去年末ですが、まあ感想の記録として……)。

☆「チームバチスタの栄光」
 原作は話題になり映画にもなったが、実は海堂さんってあまり小説がうまくない。まず登場人物の描写がもう一つはっきりしない(メインの2人のコンビを含む)のできちんとしたイメージがもてない(もちろんこれは私の個人的な感想で、たとえば大家では池波正太郎氏の作品は「鬼平」にしろ「剣客」にしろおもしろかったという記憶がない)。しかも、犯人は数人しかいないチームの中にいるはずで、「直接」手術をしている人間はまず除外していいだろうと考えていくと、怪しい奴がやっぱり犯人。しかも、その理由というのも他人を納得させうるものではない。内容的にも、まあ2時間ドラマといったところである。その意味では(まだ見てはいないが)映画にはしやすいのかもしれない。
 それをフジテレビは連続ドラマにした。
 2時間のものをどうやって10時間に引き延ばすのか。まず、2巻本の上巻の最後になって突如出てくる白鳥を最初から出したあたりに苦心の作が見える。しかも、原作では犯人だった人物がちょうど折り返し点を過ぎたところで(最後の患者死亡の犯人であることは認めたものの)、まだ別に犯人がいると言い残して死んでしまう、というか殺される。つまり、ここから後は執刀医の秘密くらいしか原作にはないわけで、まあそれにからんだ犯行だろうなという想像はつくものの、以降はシナリオライターの創作ということになる。
 そうなってくると若干の危惧がないわけではない。フジテレビには「らせん」という前科があるからだ。「らせん」はもちろん、貞子「リング」の続編である。「らせん」(原作)のつまらなさについては、すでに書いた。
http://tcn-catv.easymyweb.jp/member/tag1948/default.asp?c_id=2149
 映画の「らせん」は、その原作にかなり忠実だったこともあり、なんじゃこりゃあといった作品だったが、関係者もそう感じていたのだろう「リング」の設定だけ使って「リング2」という原作とは関係ない続編が作られた(「らせん」よりはおもしろかった)。一方、フジテレビの「らせん」は原作と同じ題名で全く関係ない物語を作った(貞子が出てくるというだけの完全な創作)。最初のころこそ謎が謎をよんでそれなりにおもしろかったのだが、結局のところ収集がつかなくなり、めちゃくちゃになって終了。
 こうした前科があるだけに、期待はしていなかったのだが、まあ「らせん」よりはマシで怒りたくなるほどではなかった。ただ、(ネタバレしないように書くが)2000例の手術で99.5%の成功率というと失敗はたった10例。で、アメリカの病院で日本人の女の子の心臓手術というと多分、問題の1例だけでは。それを覚えていないというのはいくら緊急オペだったといっても、不自然なのでは?


☆話題のドラマ「SP」を見たが……
 夜11時代のドラマで高視聴率をとって話題になっている「SP」というドラマを見た。
 結論から言うと、何が話題になるのかさっぱりわからないドラマだった。知っている俳優はV6の岡田、そして堤真一、平田満、山本圭くらいしかいないが、それなりの役者がそれなりにこなしていて大きな不満はない。岡田も、あの身長でSP?という点をのぞけば(「特殊能力」を買われてSPになれた?)意外と動きがきびきびしていて悪くない。
 なぜか突然クラシックが流れ出す(ショスタコーヴィチの「交響曲第5番」やヨハン・シュトラウスの「美しく青きドナウ」など。「2001年宇宙の旅」の真似事はいいかげんに打ち止めにしてもらいたい)のにはうんざりしたがテーマ曲のテンポなどなかなかいいし、映像のつなぎもスピード感がある。ただし、スタイリッシュな演出にこだわりすぎたため、SPのメンバーの女性がすぐデブSPの頭をたたく、子供の写真を持ち歩いているなどという性格設定はあるもの仲間キャラクターの描き分けがもう一つできていない。回想シーンがくどい、岡田の「妄想」と現実の描き分けがうまくいっていないなどの難点はあるが、まあ許容範囲と言えないことはない。
 最大の問題は、シナリオ。
 たとえば、人気取りにということだが、話題になるというだけなら、暴漢に襲われたというだけではだめだったのか。刃物を持ち出す必要があるのか。平田とはどういう経緯で知り合い、依頼したのか。依頼を受け人殺しまでした平田はなぜ総理を恨み、あれほど執拗に殺害しようとしたのか。長年刑務所に入っていた平田がさくさくとインターネットをやっていたが、平田はパソコンをどこで習ったのか。ピストルの命中率もいいし、単なるヤッちゃんとも思えない。何者?
 思わせぶりなまま死んでいった秘書やキャリア。とくにキャリアはどういう意図で誰の命令で動いていたのかさっぱりわからず、ときどきニヤリと意味ありげに笑っていただけで、自殺とも秘密を守るため殺害されたともとれる死に方。
 第1話で都知事(大場久美子!!)を狙ったスキンヘッドの男は、第10話で岡田ともみあったあとまだ取り押さえられていなかったが、どうなった。第3エピソードは尻切れトンボで終わってしまったが、あの殺人集団は放置されたままで知らんぷりなのか。最終回、公安君がキャリアが死んでいるマンションの窓から下を見ると一台の車が走り去っていくので、キャリアは誰かの命令でテロリストというか殺人集団に殺されたんだといいたいのかもしれないが、相当無理がある。事件後1か月なんだから殺す時間はいくらでもあるし、捜査が入るので殺したんだとしても、踏み込む直前に殺すというのは危なすぎてあまりに説得力がない。
 スナイパーの男が総理を殺さずにああいう弾丸で撃ったのは何だ。ただ騒動を起こすためだけの愉快犯だったのならそれまでの展開が大げさすぎる。また、ラストどういう手づるでSPに加入することになったのかも不明。死んだキャリアの依頼で動いていたのだが、他にも連絡・命令ルートがあったということなのだろう、多分。要するに、まだまだ終わっていませんよー、というつまらない引き延ばしでしかない。
 堤がラストで突然のように「大儀」などと言うが、そういうことならなぜ今まで1人のときもSP側からの要求が上にいれられず深刻に悩む「演技」をしなければならなかったのか。若い堤が事件現場で殺人をただ見ている必要があったのか……。
 何よりも岡田の特殊能力がイカされていないのが痛いし、そもそもああいった能力が必要だったのかという疑問も残る。上に書いたように、ただ身長が足りないが特殊能力を買われてSPになれたというだけの理由ではあまりに弱い。
 こういった整合性のなさは、おそらくシナリオライターに結末が見えていなかったためではないかと推測する(一部は次回スペシャルへのあざとい布石)。様々な謎や恐怖を提示するのは比較的楽な作業で、これは結末が見えていなくても可能である。が、結末が見えていても難しい収束の作業が、見えていない状況で謎をばらまいた場合より一層、ラストに向かっての収束がむずかしくなることは明白である(第3エピソードの殺人集団などは、SPらしい話を作ろうと始めたのはいいがうまく収束できなくて投げ出したという推測さえ成り立つ)。結末が見えていないシナリオライターと下に書くように視聴率がいいので「柳の下」を狙いたいテレビ局の思惑が握手してこんな中途半端な結末になったのだろうと思う。
 次回2時間スペシャルをやるということなので、そういった疑問はスペシャル(あるいは噂がある映画)で解き明かされるはずだという意見もあると思う。しかし、1/26の放送が「最終回」だと番組でも告知されていたわけだし、新聞やテレビ雑誌にも(終)の文字が印刷されていた。視聴者は「いよいよ最終回か」と思って見たわけである。
 まだまだ視聴率がとれそうだからと引っぱりたいテレビ局の気持ちはわからないではないが、やはり連続ドラマの最終回はそれなりの結末をつける必要があるのではないのか。正月にやった「のだめカンタービレ」のスペシャルだって連続ドラマとしてきちんと結末をつけた上でのスペシャルだったわけで、それが当たり前だと思う。今回の「SP」の結末に関しては関係者のみみっちいというか小狡い思惑が見え隠れしている気がして後味があまりよくない。(それにしても「SP」のスペシャルとなると「SPSP」なのかな?←うちの奥様は春に放送された問題の「SPSP」を見たそうだが、「期待して見たのに、ほとんど総集編だった」と怒っていた。まあ、あざといのはテレビ屋の常なんだけどね)。


☆「医龍」まんがとドラマの間
 先日「医龍」の走り見の感想というか雑文をアップしたところ知り合いのKMさんから「前回の医龍は面白かったですが、今回の医龍2はいまいちです(^^;)」
 というメールが来た。
 評判がよかったので柳の木の下のドジョウを狙ったのだろうが、映画でも1より2のほうがおもしろかったというのは「007ロシアから愛をこめて」「スーパーマン2」「ゴッドファーザーPART2」くらいしかないのだから、やっぱり、ってな感じだ。ま、「エイリアン3(および4)」や「コクーン2」「ポセイドンアドベンチャー2」のような「見なければよかった」馬鹿野郎駄作でなければヨシということだろう。とりあえず毎週録画はしているので、まとまったところでまた走り見してみようと思っている。
 という話とは別に、
 街中を散歩していると古本屋に「医龍」のまんががあった。といっても単行本のコミックスではなくて、表紙に「テレビドラマ化」なんて印刷してある、雑誌である。1〜5まであり比較的きれいで1冊50円という安さ。テレビドラマと違っているところもけっこうあるという話も聞いていたので、どうしようかなあと手に取って迷っていると暇そうな店主のおっさんが、
「5冊200円でええよ」
 タバコ1箱よりも安いじゃんと即買ってしまった。もしかして売れないのをうまく乗せられて買わされてしまったのか?
 帰りのバスの中で、第1巻を見ると、おおっいきなり朝田とミキちゃんのベッドシーン(わかる人にはわかる)。水川さんもここまで頑張ってくれれば視聴率ももう5%は上がったのに、残念(^^;;。朝田はドラマの坂口のほうが断然かっこいい。外科医は体力勝負のところがあるのでうまい配役だと思う。ミキちゃんの水川さんも悪くはないがまんがのミキちゃんに合わせるなら小池栄子かほしのあきあたりがやる必要がある。ただ、そうすると手術のとき、きびきびと動けるのかという疑問もでてくる。ドラマ化のむずかしいところである。脱がないのなら手術室できちんとした動きのできる今の水川あさみで問題ない。
 最も大きな違いは、夏木・妖怪・まりがやっているERの鬼頭教授がまんがではちょっと、いや、かなりキザな男だったこと。女性陣がちょっと弱いのでドラマ化で鬼頭を女に変えたのは納得だが、もう少し華のある女優さんのほうがよかったかも(といってもすぐには思い浮かびませんが)。
 加藤=稲森、伊集院=小池、霧島=北村、野口=岸部、木原=池田なんてところは外形で選んだのかというほどまんがと配役がかなり似ている。もっともまんがの伊集院はドラマよりちょっと嫌な奴ではある。
 それと、加藤と霧島の間に(少なくとも第5巻までには)男女の関係はない。むしろ5巻では霧島はどうやら異母兄弟のミキちゃんに惚れていたようなことが書かれている。
 藤吉=佐々木はまんがはゴリラのようなおっさんだが内科医は外科医ほど体力勝負ではないのだからドラマの蔵ちゃんのほうがよい。麻酔科医の荒瀬は5巻までに出てこないので阿部とどうなのかなんとも言えない。阿部サダヲの荒瀬ははまり役なのでどうなんだろう、まんがを越えているのか?
 あと最初にバチスタ手術を受ける元看護士の奈良橋がこれまたオランウータンのようなおばさんなので、ドラマではいったい誰だったんだろうと見直してみたら、ひょっとして女壺降り師として一世を風靡したあの江波杏子さん?
 総じて乃木坂太郎というこのまんが家、初めて見る人なのだが(少年誌はもちろん青年誌もまるで見ていないので当たり前か(^^;;)どうもまだ人物の描き分けがうまくできないような気がする。そのため違いを出そうとするとついつい強調がきつすぎて藤吉=ゴリラのようになってしまうのではないのか。思い出してみれば、「美味しんぼ」の花咲さんも初めの頃はひどいものだった。「医龍」はすでに十数巻でているらしいので絵柄も進歩している可能性はもちろんある。
(その後、録画しておいた「医龍2」をまとめて見た。まあ1よりはだいぶ落ちるが、それなりに見られる出来にはあった。ただ、いくらなんでも内田有紀が外資系に勤めるバリバリのキャリアウーマンというのは演技力のなさもてつだって撃沈。1で敵役だった霧島がすっかりいい人なっているのが笑えた。)
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2008-2009年末年始のテレビを見ていて [テレビの雑感日記]

★バラエティーの中で闘病記を扱うな
 日本テレビで「世界仰天ニュース」のSPが放送された。4時間半という長丁場である。主婦が旦那をダイエットさせようと5階のベランダから下着をわざと落としとりに行かせていた(エレベーターのないマンションだったようだ)。結婚式のとき花嫁のウエディングドレスのスカート部分が外れ落ちてセミヌードになってしまった。デブがものかごいダイエットをした。あるいは爪の下に堅くなった素麺、パスタが刺さり込んでチョー痛かった、なんていうどうでもいいようなニュースが流されていく。こちらもそのつもりで見ているのでまともにつき合っているわけではなく、パソコンに向かって仕事をしたりジュースを飲んだりしながらときどきチラと見ていたわけである。が、そのうちに小児がんから生還した女性の闘病記が始まった。データ的には小児がんの7割は完治すると言われているのだが、逆に言えば3割は助からない。幸い、モデルになった子は再発もせず結婚もして2児の母親になっているようだが、しかし、病院で仲のよかった子は先に退院していったものの、その後再発して死んでいる。
 がんというと今でも死の病と思われているので生還した女性は「仰天」ニュースになるのだろうか。スタジオは一瞬深刻ぶったものの、すぐにお笑い芸人の笑えないだじゃれとともに次のコーナー、あのジョン・ベネの死の真相に迫るという今日も本意の話へとなだれ込んでいった(このあとが「ブサイク犬コンテスト」なんだって(^_^;)。
 中居と鶴瓶が突然のようにかしこまって、がんと闘っている人たちがこの話を知ればきっと勇気づけられるだろう、なんてことは、絶対にない。なぜなら、まず、がんは不治の病だという一昔前の前提で番組が作られているからだ(完治したことが「仰天」ニュースになるのだ)。あるとしたら、こうした興味本位の(それ自体が悪いと言っているのではない)バラエティー番組の中でお笑いネタとある意味同列に取り扱われることへのやりきれなさと悲しさだけだろう。ことは、生き死にの問題だ。やるならやるで、きちんとやれ。バラエティーの中で闘病記を扱うなと再度言っておきたい。この言葉は、TBSの「余命嫁」や日テレの「ダンスおばさん」のような患者の闘病を下手な感動物語に置き換えてしまった番組にも当てはまる。患者にとっては、そうしたお涙ちょうだい番組よりも、その人たちの治療の過程でどういう問題があったのか、治療方法は正しかったのか、他に方法はなかったのか……、そういった検証こそ求められていると思うのだが。

★テレビの活力は落ちているなぁ
 去年はフジテレビが「のだめカンタービレ」のSPを2夜連続で放送するなど力の入ったところを見せたが、今年はもう何度も再放送している「HERO」を映画放送に合わせてまたまた再放送するなど手抜きが目立ち、これといった番組はなかった。ここ数年勢いのあったフジのドラマも去年後半から失速しているので制作予算がやりなかったのだろうか。まあ、きちんとしたドラマを作るより人気のわりに安く使えるお笑い「若手」芸人を集めて馬鹿やっているほうが金はかからずに視聴率がとれるということなんだろう。
 TBSのさんま・玉緒の「夢かなえたろか」も経費削減のためか、大々的に海外ロケしたようなものはなく、自局のドラマに出ているタレント(春馬)に会わせるなんていうお手軽ぶり。デーーブ・スペクターに会いたいというのも、会いたいと言っているあんちゃんが、タレントをめざしているということになると、「仕込みか」と勘ぐりたくなる。それとも不況で庶民の夢も小さくなったのか(ちなみに、名古屋の新聞に載っていた去年の名古屋での年間視聴率は1位が東海テレビ=フジ。2位が中京テレビ=日テレとメ〜テレ=テレ朝、4位CBC=TBS。こんな番組編成をやっていたのではTBSは今にテレ朝に抜かれてしまうだろうと去年のブログに書いたことが名古屋ではすでに実現していた)。
 例年なら東京を離れている年末年始には(CATVのものも含めて)いろいろ見たい番組があるため何本も録画予約するのだが、それが今回は1本もなかった。ちょっと真面目に勉強しようとNHKが小林、益川というノーベル賞を受賞した両氏を招いた特番も見たが、結局のところ「すごいですねぇ」「えらいですねぇ」で終始してしまい、かんじんの「理論」のわかりやすい解説はついになかった(ま、びびる大木が解説役という時点でアウトですがね)。
 といったぐあいで、地上波は何の反省もなくぬるい番組を垂れ流しているし、BSデジタルに至っては夜はどの局もショップ番組の大安売り(これはもはや番組とも言えないかもしれない)。これで電波が足りない、電波の有効利用のために地デジに移行なんて言っても説得力ゼロ。このブログでも何度も言っているが、莫大な金をかけてまで地デジに移行しようとするのは省庁と電気メーカー(あ、新タワーの建設なんかみからむから不動産家や土建屋もだ)とが結託した陰謀か、あるいはお役所にありがちのバブル時の計画が見直されもせずそのまま生きてしまっているのか。そもそもまだ見られるはずのテレビが見られなくなる、つまり粗大ゴミとかしてしまうわけで、政府の言う「もったいない精神を生かそう」という言葉はどこへ行ってしまったのか。無駄な建設なんかやめ、民放の2時以降の深夜番組やBSデジタルを全面的にやめてしまえばずいぶん省エネになり地球温暖化防止にも役立つと思うのだが。

★どつき漫才
 どつき漫才といえば、私のようなおっさん世代には「正司敏江・玲児」がすぐに思い浮かぶ。このコンビ、ただどつくだけの漫才からエスカレートして跳び蹴りまで飛び出すようになり、着物姿の敏江がすっ転んでパンツ開帳が定番になっていた。登場したときは夫婦が確か玲児の浮気がバレて離婚。最近は見かけないが、離婚してもコンビは続けていたはずなのだが、どうしているんだろう。無事なら60代後半のはず。どつき漫才を続けているんだろうか?
 前置きが長くなった。
 最近の漫才コンビで私がおもしろいと思うのは、たか&としとオードリーなのだが、ある意味どちらもどつき漫才である。たか&としはだいたいたかがボケてとしがどつき、時としてたかが無関係なボケをかましてとしをどつくパターン。オードリーは若林があれこれくっちゃべり、それに対して春日がボケつっこみ。それを若林がどつくというパターンである。
 両コンビともリズムがあってなかなかおもしろいと思っているのだが、常にペチペチどつきが入るとさすがに飽きてくる。ダジャレ言い間違いを延々と続けていくナイツが強弱に乏しく5分も聞いていると飽きてくるのと同じである。始めから終わりまで同じパターンでどつくのではなく、強弱をつけるとか思わぬところでどつく(あるいは当然どつくべきところでどつかない)なども工夫があってしかるべきではないか。そういう意味では、時としてたかの逆襲のあるたか&としの方が一歩先をいっており、事実、一歩おもしろいと思う。

★ピン芸人はつらいよ
 エドはるみがお笑い番組の司会をやっていた。といってもセンターではなく、MCの補助のような役割で気の利いたやりとりはできず、合間に「グー」とか「コー」とか言っているだけ。これでは笑えない。だいたいこの人、「グー」が受けていたころからどうして受けているのかわからなかったのだが、マラソンを妙に真面目に走ってしまったのが命取りだったのか。素人芸でよく1年もったという言い方もできるが、果たしてこの1年生き延びることができるかどうか、はなはだ疑わしい。去年「踊るさんま御殿」で、さんまが「結婚のときに重要なのは?」とせっかくふってやったのに何か真面目なことを答え、「タイミングー」でしょうがと苦笑されていたくらいだから番組のタイミングーが読めないのだろう。要するに素人なのだ。我が家の奥様によると、ドラマでは学芸会ではなくそれなりによかったそうなのでそろそろ転身を考えるタイミングなのかもしれない。
 同じくピン芸人では「女王様」キャラで売り出した、にしおかすみこも服を着たとたん単なるおばさんになってほとんど消えてしまった。デブの加奈子ちゃんも消滅寸前。男では「フォー」のレイザーセモンHGは消滅(よくもった)、「あると思います」のエロ詩吟あんちゃんは早くも行き詰まっており、あれほど売れに売れた「そんなの関係ねー」の小島よしおですら最近は失速して完全に過去の芸人に成り下がっている。なんだかんだと言って、コンビと比べてピン芸人を長く続けていくのは至難の業なんだなあと思う今日この頃である。

★継続はちからなり?
 新年のテレビ朝日で「2009年(!)流行語大賞」というのをやっていた。各芸人が流行語になりそうな言葉を考え、その言葉を入れたネタを披露し優劣を競うというものである。と言っても深夜のバラエティなのでいいかげんなものなので、それまでの経緯を全く無視し、大木という女子アナの判定で大賞が決まってしまった(^_^;。
 という経緯はともかく、見ていて思ったのは「ますだおかだ」の岡田のとんでもなさ。彼ら(というか岡田)の言葉は「ぱふっ!」。増田も全然からめず、スベリにスベル。にもかかわらず岡田は「ぱふっ!」の連発。「おぎやはぎ」や「次長課長」などずっとうまくネタを披露した連中を蹴散らしてしまった。で、途中で言葉を替えてもいいということになったら、「切り取り撮影」というわけのわからん言葉にチェンジ。またまたスベリにスベッテいるにもかかわらず「切り取り撮影でお願いします」の連発で場をとってしまった。ううむ、……継続は力なのか?
 スベッテ焦る「ペナルティー」のワッキーや、こういう番組で全くからめず存在感のなかった「アンガールズ」や「ハリセンボン」などは、この岡田の図々しさを少し見習うべきではないか。
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再度・地デジは本当に必要か?? [テレビの雑感日記]

★本当に地デジを強行するメリットはあるのか?
 理解に苦しむこと、このブログに何度も書いてきたが最近テレビチューナーからの画面を見ていると「アナログ」の文字が画面右上にずーっと出ているのが妙に気になる。CATVはすでにデジタルに移行しているので、いわゆる地上波はすでに地デジの受信になっており、もちろん「アナログ」の文字は出ない。
 「アナログ」の文字がずーっと出ているのだから、気にならないわけがない。これは、2011年7月から地上波アナログがなくなり(つまり見えなくなり)地デジに完全移行しまっせという「警告」ということらしい。が、実はこれはそういうことではなく、「嫌がらせ」だと思う。というのも、本当に視聴者のことを考えて注意を呼びかけているのだとしたら、なぜ本編のときだけ「アナログ」の文字が出て、CMになると消えるのか説明がつかない。どう考えても、これは「アナログ」の文字が邪魔なら早く地デジ対応テレビに買い換えろ、という「嫌がらせ」+「脅迫」だろう。
 地デジへの移行は、限りある電波を有効に使うため、というのが理由らしいが、たとえばBSデジタルの番組を見た人ならわかると思うが、夜はほとんど全局がショップチャンネル化している。昼間もこれといった独自制作の番組はなく、たいていが過去の番組の垂れ流しである。しかも、民放一局でBSのチャンネルを2〜3チャンネルも独占しているのだから呆れる。垂れ流しと言えば、民放はBSだけでなく金をとっているCS放送でも過去番組ばかりである。つまり、BS、CSのほとんどの電波が垂れ流しに使われているわけで、「限りある電波を有効に使うため」というのなら、まずBS、CSの電波を有効に利用することを考えたらどうか。
 だいたい(アナログ放送があれば)まだ使えるテレビが使えなくなる、つまりジャンクになるということ自体、政治家が最近やたらと口にする「もったいない」精神に反しないか。地デジにすることによるメリツトは小さく、デメリットは限りなく大きい。強引な地デジへの移行は、私にはどうしても政治家が家電業界、土建屋と結託しての悪巧みとしか思えないのだが。


★接続は勝手にしろという無責任さ
 半年ほど前に「ぷっ、スマ」というテレビ朝日の番組で、芸能人が地デジのアンテナ、チューナー、ディスプレイを正しく接続して絵を出すという競技があった。レギュラーのSMAP草薙は「地デジ大使」と称して「2011年7月には地デジがなくなる」と多くの人を不安に陥れている張本人である。それほど言うのだから当然、地デジには精通しており一番に接続するだろうと思って見ていた(確か4人での競技)。ところが、その草薙のディスプレイになかなか絵が出ない。正確なことは覚えていないが3位くらいだったと思う。
 私の母親はテレビとビデオを接続することができず、「テレビデオ」を買った人間である。テレビを見るのがほとんど唯一の楽しみなので、まだ写るテレビを泣く泣く処分して新しい地デジ対応のテレビを買ったとして(それでも年金生活者にはかなり大きな負担である)アンテナ線はもちろん、DVDプレーヤーなど接続できるとはとうてい思えない。と書くと「近くの電気屋さんで買えばやってくれるよ」という人が必ず出て来る。そういう人は、近くの電気屋さんは(もちろん例外はあるが)高いということを知っていて言っているのだろうか。私の知り合いは某安売り店でDVDレコーダーを買ったのだが、安いこととバーターでそうした接続サービスなど一切ない。いわゆるi-LINKなど今までのアナログとは違った部分もあり、マニュアルを見たがよくわからない(総じて家電のマニュアルはわかりにくいものが多い。まあ、パソコンのマニュアルよりはマシだが)。相談されて、私が接続図を書いてやったことがある。
 もちろん家電業界が、安売り店も含めて無料接続サービスの徹底を通達したなんて話は全く聞かない。このままでは、テレビが見られなくなるからと地デジ対応テレビを買ったものの、うまく接続できなくてテレビが見られなくなる老人が続出するかもしれない。悪評だった老人切り捨ての「後期高齢者医療制度」と同じで、もしかするとこの「地デジ移行」も老人の切り捨てが目的なのではないかと思ったりする今日この頃である。

★デジタルダビングの問題点
 デジタルというだけで知らない人はなんとなく、「凄い」と感じるらしい。デジタルだから画質がいい、音質がいいなんて素朴に感じてしまうのである。だから、たとえばDVDはデジタルで映像を記録すると聞くと、「凄い」ということである。しかし、実際問題として、録画レート35(DVDで約2時間録画)くらいだと我が家のビクターSX3Spiritという古いビデオデッキのS-VHS3倍モード録画とどっこいの画質でしかない。ワンセグに至っては論外で、単なるVHSの3倍モード録画よりも劣る。また、デジタルといっても元々のソースが悪ければ画質は悪いわけで、前からのソースをそのまま使うのか、新たにデジタル・リマスターを起こすのか、でずいぶん違ってくる。私がよく見る映画に関して言えば、だいたいWOWOW>>NHK-BS2=ムービープラス=日本映画専門チャンネル>>ザ・シネマという順序になる。
 といった画質も問題もさることながら、デジタル放送をデジタル録画するときの最大の問題点はHDからのダビングが1回しかできないということだ(「コピーワンス」という)。しかも、このときはCPRMというDVD-Rを初期化してVRモードにしないと録画できない。単に録画用としか書いてないDVD-Rを買ってきても録画できないのだ。コピーワンスは正確にはダビングではなくムーブ(HDDの映像をDVDにコピーするのではなく、移す)なので、DVDにダビングされるとHDDの映像は消えてしまう。で、ダビングに失敗したらどうなるかというと、HDDの映像は消えてしまい、DVDの映像も再生できないという事態に陥る。
 外国に行って来た知り合いに聞くと、そもそもコピーワンスのような制限は全くないそうで、こんな馬鹿なことをやっているのは日本だけなんだという(ま、どこかで利権が動いているんだろう)。さすがに評判が悪いので「コピーワンス」から「コピーテン」へということが言われ出した。要するにコピーを10回できるようにすれば文句はないだろうという姑息な手段である(9回コピー、10回目にムーブ)。
 それで問題ないのかというと、実はある。
 まず器機がコピーテンに対応していなければできないということ。たとえば我が家のシャープ製DVDレコーダーは2006年末のものなのだが、シャープのアナウンスによればファームウエアアップでコピーテンに対応できるのは2007年度の製品からなんだそうだ。おいおい、と文句の一つも言いたくなるではないか。さらに、WOWOWなどはコピーテンには対応せず、あくまでコピーワンスでいくと宣言している。NHK-BS2やムービープラス、日本映画専門チャンネル、ザ・シネマなどは常時、WOWOWでも思い出したようにロゴマークが表示されるのだから、いっそのこと馬鹿なコピー制限などやめてしまったらどうか。


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3月29日(日)のテレビと「黒部の太陽」 [テレビの雑感日記]

3月29日(日)のテレビより
 テレ東の「大食い」を見た。確かこの番組の第1回は梨本と松本明子の司会で、最後は帝王ラーメンとかいうでかい鉢に入っているラーメンを食べるというものだったと思う。今回は女王決定戦で女性限定。去年の混合戦では決勝戦3人の中で最下位だったものの、女性限定となるとさすがに魔女は強かった。ギャル曽根はすっかりタレント気取りで、不細工な自分がなぜバラエティに出られているのかという原点を忘れていますな。決勝戦で「お手伝い」に回るようでは存在価値はほとんどゼロ。ようするにタレント気取りで勝とうという気迫が感じられない。これでは、魔女には永久に勝てませんな。
 その後、ぼんやりとテレビのチャンネルを代えていたら(のんびりと遊んでいたわけです。日曜ですから)、TBS「情熱大陸」で小林・益川のノーベル賞をやっていた。いまさらのようにノーベル賞か、とも思ったのだが他に見る番組もないので、ぼけーっと見ていると、これがこのての番組としては人物像にきちんと焦点が当たっていて、なかなかにおもしろい。ついつい最後まで見てしまった。益川さんというのは本当の意味での天才肌の学者ですな。こういう人は逆に実証的なことは苦手で、どちらかというと着実に積み上げていく小林さんといい補完関係にあったことがうかがえる。この人、教育者としてもよろしいですねー。講義風景を映したいというテレビ局の要望に対し、学生たちに「講義を映させてほしいということだが、反対の人がいれば断ります」と言うところなど人柄がよくでていた。どうやら年度最後の講義らしく、「最後に何でも質問を受け付けます」と言われて出てきた質問が「就職活動がうまくいかないのだが……」というのではいかに一般物理の講義とはいえ情けない。そんな質問にも、きちんと答えるところが素晴らしいと思う。ただ、せっかくの機会なのに、講義を受けている学生が少ないのが気になった。京都産業大学の学生、ちゃんとせんかい。
 その後、紅茶など飲み、寝る前に奥様が適当にチャンネルを代えていたら、とんでもない番組にでくわした。
 イマイチのイケメン風2人の若者が仮面をつけたデブの姫様とえたいの知れない着ぐるみと一緒に下手なダンスを披露しているのだ。新聞を見ると「ダンスの国の王子様・選」。つまり総集編らしい。若者はダンスはともかく、舞台なら怒りで物が飛んでくるほど会話の間がいい。着ぐるみの2人は論外と思ったら、なんとデブ姫はハリセンボンの近藤。えたいの知れないほうはガナリア(カナリア風ペットらしい)で箕輪。最後のテロップで名前が出るだけで、終始素顔が見えないこんな仕事もしてるんだ。ともかく、最近はCATVでももう少しちゃんとやるぞと思えるほどの番組の緩さ。「選」ということは要するに最終回なんだろう、と妙になっとくしていたら、どうやらこの番組人気があるらしく最後にリニューアルして再登場と告知があった。こんな緩い番組がまだ続くというのは驚きだったが、なんでもデブ姫が柳原加奈子でガナリア改めガマリアが悪口あだ名の有吉だという。実は、これが一番驚いた。



フジテレビ「黒部の太陽」
 フジテレビのドラマ「黒部の太陽」が2夜連続で放送された。なんでも開局50周年記念特別企画なんだそうだが、確かテレビ朝日も開局50周年とか言っていたが、少年サンデー・少年マガジンの創刊50周年……。今年はなんだか50周年が多いなあ。
 さて、この「黒部の太陽」、一言で言ってNHK「プロジェクトX」の元祖のような話である。原作は読んでいない。映画は、ずいぶん大昔に劇場で見た。トンネル内に水がどどーっと出て来るシーンの迫力などなかなかのものだったが、ダムを作るのになぜトンネル堀のシーンばかりなのかもう一つ理解できなかった(今にして思えばダム建設の資材運搬のための道路だったのね)。全体のストーリーはほとんど忘れてしまったが、三船敏郎、石原裕次郎のほかに滝沢修、志村喬、宇野重吉、辰巳柳太郎、大滝秀治、芦田伸介といった名優たちのそろい踏みの印象は残っている。
 その後、テレビで放送された記憶はなく、ビデオやDVDでも見ないと思ったら、なんと石原プロが版権をもっていてテレビ放映、ビデオ化を拒否しているんだそうだ。あまり当てにならないWIKIによると「石原裕次郎自身が『こういった作品は映画館の大迫力の画面・音声で見て欲しい』と断ったため」ということらしいが、では石原プロが劇場での上映に力を入れているかというとそういう噂は全く聞かない。これはもう文化的犯罪である。先年亡くなった熊井啓監督に対しても失礼である。何年かに1度石原プロのイベントで上映されることがあるらしいがそれらはすべて短縮版だということなので、もしかすると不手際でオリジナルのフィルムをなくしてしまったのではないのか、と勘ぐったりもしたくなる。
 その「黒部の太陽」が2夜連続5時間のドラマになるというので「ながら見」してみた。結論から言うと、思っていたより正面からきちんと取り組んでいて十分に及第点をあげられるドラマになっていたと思う。トンネルの中の様子や当時の風俗などもそれなりに再現されていた。
 実際にこのプロジェクトに携わった人に言わせれば、おそらく事実と違うとか美化しすぎとかの批判もあるのではないかと思う。が、ドラマなのだから事実を基にしたフィクションと思えばいいのではないか。不満は別のところにある。例えば香取慎吾は熱演なのだが、いかんせん「親方」としてのオーラがない。大河ドラマの「新撰組」の近藤勇のときも局長としての貫禄に欠けていたが、あの人のためなら、という感じがしないのは痛い。ユースケに至ってはとても土木屋には見えない。完全なミスキャストというしかない。あのへたれでキャシャーンな体力では1日ももたないと思う。小林薫の一家を軸にしたのはいいが、なんだかメロドラマの比重が増してしまって話がどたばたしてしまった。香取もごり押しがうまくいかなかったからといって泣くな。さらに白血病なんてものまで待ちだす必要があったのか。もっと直球でよかったのではと思う。要するに現地ロケなどもなかなかにがんばって努力賞といったところなのだが、その努力がちょっと脇道にそれていたのが惜しい。
 それにしてもこの工事で百数十人が死んだという現実を知ってしまっていると、トンネルが開通したからといって、手放しでは喜べないものを感じる。ダム工事による自然破壊・環境破壊もあっただろうし、やはりこれはそういうことがあまりうるさくなかった1960年代の神話なんだろうと今になって思う。
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最近のテレビ雑感 [テレビの雑感日記]

「エコ」を言う前にBSデジタル廃止を(2009.06)
 我が家は朝日新聞を購読しているが、この春からテレビ欄の局位置が地上波デジタルの並びに変更された。今までのアナログの(東京での)チャンネルは欄は左から、NHK1、NHK教育3、日テレ4、TBS6、フジ8、テレ朝10、テレ東12と並んでいたのだが地デジチャンネルになって、NHK1、NHK教育2、日テレ4、テレ朝5、TBS6、テレ東7、フジ8の並び順になったのである。今までと同じチャンネルの日テレ4、TBS6、フジ8が得したような気がしていたが、しばらく使っているうちに、テレビ欄のセンターにきたテレ朝5が一番得をしたことがわかった。目が、まずそこへ行くのである。
 そして、その紙面変更と同時に、BSデジタルの番組が載るようになった。いつの間にか、民放各局は、BSデジタルの放送も始めていたのだ。
 驚いた。
 いや、驚いたというのは民放がBSデジタルをやっていたということではない。我が家のCATVではBSチャンネル表示にするとテレビの画面にチャンネル表示が出る。だから、民放各局がBSデジタルのチャンネルをもっていることなど、とっくに知っている。ところがBSデジタルの基本はWOWOWで、映画を放送するときだけたまにNHKのBS-2かBS-hを見る程度である。はっきり言って、民放のBSデジタルなぞ見たことがない。その理由が、新聞のBSデジタル欄を見てはっきりした。垂れ流される番組のほとんどが、所謂「ショップチャンネル」なのである。ためしに、最近、BS=iからBS-TBSと名前を変えた、TBSのBSデジタルの内容を見てみると、ざっとこんな具合だ(2009.05.29)。
 15:00-18:00 ショップ
 18:00-00.00 韓国ドラマ、世界うるるん滞在記(地上波の再放送)
 00:00-03:00 ショップ
 驚くことに所謂ゴールデン・プライムタイムを含む12時間のうちなんと半分の6時間がショップチャンネルなのである。しかも、それ以外の番組も昔の地上波の再放送としょうもない韓国ドラマ。これでは見ないもの当たり前というものである。ところが、TBSはCSでもチャンネルをもっていて(TBSチャンネル)こちらも再放送主流だがかつて話題になったドラマや「ザ・ベストテン」など、ちょっと見たいかなと思う番組もある。あるが、ところがどっこい。こちらは有料なのだ。つまり、無料のBSデジタルではショップチャンネルを垂れ流し、見たい番組はCSで放送して金をとるというわけである(日テレ、フジ、テレ朝も全く同様。テレ朝では午前0時から9時まですべてショップ番組だったこともある)。ホントにやっていることがセコイ。
 要するに何を放送するのかわからないが、「枠」があるのでとりあえずその枠を確保し、確保したのはいいが流す番組もないのでショップ番組(早い話がCMだ!)を垂れ流しているというのが、BSデジタル放送の実態だと思う。偉そうに「エコ」を言うのなら、電波の無駄遣いBSデジタルを一時休止したらどうか。酔っぱらって裸になる男がキャラを勤めていた地デジ化ではまだ見られるテレビが見られなくなるという「もったいない」で多くの家が困ることになるが、民放のBSデジタルを止めたところで困る家なんぞでない。そして、止めてしまえば間違いなくエネルギーの節約になる。「エコ」を主張する前にエコを実践すべきではないのか。
 それにしてもだ、(何度もしつこく書くようだが)地上波デジタルへの移行の理由の一つが、限りある電波の有効利用だったはず。って、電波あまってるじゃん、とため口の一つもたたきたくなるようなBSデジタルの中身ではある。新聞も限りある紙面をこんな無内容なもので埋めようとせず、有効利用して意味ある情報を伝えてもらいたい(もう、書いていることがやけっぱちになっている。お前のブログこそ無駄だから止めろ、と言われそうだ)。


★TSUTAYAの焦り??(2009.05.10)
 「ネットで借りて、自宅に届き、ポストに返却」
 テレビで何度も流れているDMMのCMである。何を言いたいのか明りょうで、最近のCMの傑作だと思う。もっとも、このシステムがうまくいってこそ評価されるCMで、うまくいっているのかどうか利用していない私にはわからないが、問題の指摘など聞かないので、とりあえずはうまくいっているのだろう。ソフトバンクのようにイヌだ外人だという奇妙な設定で(どういう家族なんだ?)人気を博しても、何度も通信障害を起こしていると、力を入れるところが違うだろう、と言いたくなってしまう(以前のNOVAウサギが人気になったときもそうだが、本筋と関係ないキャラクターで受けをとろうとするCMを、私は基本的に信用していない)。
 ところが、最近も極めて似たようなフレーズのCMが登場した。歌にこそなっていないが、「ネットで借りて、郵便受けに届き、ポストに返却」というTSUTAYAのCMだ。TSUTAYAといえばレンタルビデオ業界の最大手。25-20年ほど前には街のあちこちに個人事業のようなレンタルショップがあり、ここは音楽物(CDと音楽ビデオ)、ここは洋画、ここはアダルト物と各店に特色があった(顔なじみになると「裏」もこっそり貸してくれたりした。いい時代だったなぁ)。まあ時効だと思うしその店もとっくの昔に潰れてしまっているので書いてしまうが、違法にレーザーディスクをレンタルしている店もあり、私はよく利用した。それが、今ではビデオレンタルをやっている店といえば、一部アダルト専門店、輸入ビデオ専門店などをのぞけばTSUTAYAしか見かけなくなってしまった。やはり何と言っても品揃えの数が違う。しかも、TSUTAYAはCDも扱っているのでCDもDVDもというとき、1か所ですんでしまう。まことに便利である。街のショップは次々と閉店に追い込まれ、TSUTAYAだけがどんどん店舗数を拡大していったこともうなずける。
 そのTSUTAYAがである、DMMなんていうマイナーな会社(ネットではよく名前を見るが、私はアダルト専門の会社だと思っていた)のCMのマネをするとは。
 このあたりに実はTSUTAYAの焦りが見えるような気がする。
 かくいう私もTSUTAYAの会員だったのだが、2年ほど前に更新を止めてしまった。というのも、気がつけばビデオ(含・DVD、CD)を借りなくなっていたからである。我が家はCATV(およびWOWOW)と契約していて、映画関係のチャンネルだけでもWOWOW、チャンネルNECO、ムービー・プラス、ザ・シネマ、日本映画専門チャンネルとある。最新作から古い映画まで家で寝ころんでいて見られるのである。別料金をとられるので我が家は入っていないが、アダルト専門チャンネルも複数ある。しかも、CSの放送までもがハイビジョン放送になったので、画面もDVDに引けを取らない。劇場公開後、最も放送が早いのはWOWOWで約半年〜1年後。これはDVD発売の公開半年後よりは遅いが、地上派よりは断然早く、もちろんノーカット、ノートリミング、ノーCMである。ここ数年は、何がなんでも早くみたいと思える映画はないので、これで十分という気がする(第一、それほど見たい映画なら劇場へ見に行く)。有料で1作品ごとに画面で契約して見るというペイパー・ビューという制度もあり、これはDVDの発売とほぼ同じか、それより早いこともある。わざわざTSUTAYAまで借りに行く必要を感じないのである。
 そこにDMMの「ネットで借りて、自宅に届き、ポストに返却」である。TSUTAYA関係者は、焦ったんだろうねえ。誰が見たって、下手なモノマネとしか思えないCMを慌てて流すことになった(と想像している)。しかし、この宅配システムも一過性のものではないかと思う。
 というのも、昔、CD-ROMの図鑑を作ったことがある。
 紙の媒体と違ってCD-ROMの場合はランダム検索ができること、音や動画が再生できることなどが特徴なので、できるだけ動画などを入れようとした。ところが、CD-ROMの容量は650-700MBしかない。動画の質をかなり落とさないと本数を入れられない。(とうじはまだ規格も決まっていなかった)DVDが登場し、パソコンでも再生できるようになったとき、あのときDVDというメディアがあったらなあ、と悔しい思いをしたものである。なんせ容量は4.5Gもある。かなり質のいい動画を多数入れられるはずである。そう考えていたのもわずか数年。今ではインターネット配信でもそこそこの動画が再生できるようになった。まだテレビのハイビジョン画面のクオリティーまではいかないが、いずれそうなるだろうことは明かである。
 そのときDVD(そしてブルーレイ)は、どうなるのだろう。つまりは、TSUTAYAはどうなるのだろう。順調に拡大してきたTSUTAYAも大きな転換期にあり、明確な打開策が未だないことが、モノマネCMになったのではないかと思うのだが、どうだろう?


★芸人がタケシをめざす危ない道(2009.04.19)
 もともとそういった傾向があったのだが、「太田総理」がそこそこの視聴率をとったことも影響しているのだろう。爆笑問題、とくに太田の文化人化傾向にますます拍車がかかっている。小心者の太田が行き場に困ってめちゃくちゃ言い出すパターンを私は嫌いではないのだが、文化人気取りにはちょっと危険な匂いを感じる。だいたい芸人が文化人を気取って、ろくなことはないのだ。というのも、社会の表面に出て来る文化人なるものが、そもそもとびっきり怪し気なのだから、そんなものになったところで何かいいことがあるのか、と思うのだが、芸人の文化化が止まらない。最近も、おしゃべりクソ野郎の品川が映画監督などをやった(だいたい、この品川、目立ちたいせいなのだろうがバラエティーのどんな場面でも割り込んで話してくめので、とてもウザイ)。おそらく、こういった傾向の中には、いつも馬鹿やっているが実はおれは馬鹿じゃないんだぞ、という屈曲した意識があるのだと思う。
 そうした彼らのお手本が、実はタケシなのではないのか。お笑いで一世を風靡し、書いた本はベストセラー、映画を撮れば高い評価を得る。まあ、世の芸人どもが目指すのも無理はないかとも思うのだが、実はタケシの評価は(評価などというものは、もともとそういうものだと言ってしまえばそれまでだが)巨大な虚構の上に成り立っているということを彼らは忘れている。実は、タケシがそれなりにおもしろかったのは例の事故の前までであって、あれ以降のタケシは私には口が曲がった何を言っているのかはなはだ聞き取りにくい言語不明瞭なただのおっさんにしか見えない。映画「監督バンザイ」は集中力を欠いた退屈な映画だったし、安住アナの番組のコメンテーターとして出ているタケシの発言はちょっと斜に構えているだけで物事の本質には全く迫っていない。それでもテレビは、タケシの名前があると企画が通りやすいのだろう、タケシの番組をありがたがる。それを身近に見ているから、芸人たちはタケシをめざしたがる。馬鹿と思われているよりも、馬鹿もやっている利口と思われたほうが世間体もいいし、いつまでも馬鹿やってられるか、といったところなのだろう。
 しかし、本当の馬鹿では馬鹿はやれないということは、世間の誰もが知っていることなのである。クイズ番組で馬鹿言っている芸人だって本当に馬鹿ならそもそも台本を覚えられない、決められたところでボケられないくらいのことは子どもだって知っているはずだ。そうしたお約束の上での馬鹿なのに、実は俺馬鹿じゃないんだぞ、と正面切って言われたらしらけるだけである。
 こうした芸人の文化人化傾向は日本ではやはり森繁久彌の成功が大きいのではないかと思う。いわゆるアチャラカ芸人だった森繁が映画「夫婦善哉」でいちやく俳優として評価を高め、社長シリーズではもちろん社長(このシリーズ何か見に行くと必ずといっていいほど併映でやっていて何本か見たが、おもしろかったためしがない)、テレビの「七人の孫」ではいいおじいちゃん。森の石松などで馬鹿やっていた芸人から「演技派」役者へと見事な変身ぶりである。勝手な想像だが、その森繁に追いつけ追い越せと後を追いかけてもう1つうまくいかなかったのが「幕末太陽伝」「私は貝になりたい」のフランキー堺ではないかと思う。私がご贔屓だった植木等も「喜びも悲しみも幾年月」(リメイク)のおじいちゃん役があまりにぴったりで(ブルーリボン賞受賞)、ちょっと危ないかなと思わせた一時期があった(黒澤「乱」の快演でそれは杞憂に終わった。この件については以前にも書いたので、興味のある人は「植木等」で検索してほしい)。そんなことを考えると、50になっても馬鹿一筋のさんま、60になっても馬鹿一筋の高田純ちゃん、アホの坂田師匠(アホであって馬鹿ではないので「馬鹿」と言われると怒るという伝説がある)は、もしかすると偉大なのかもしれない。いや、間違いなく利口になりたがる芸人よりはるかに偉大である。世間に対する自分の存在価値がどこにあるのかを知っているだけでも偉大であり利口である。
 「馬鹿をやっている芸人は仕事でやっているのであり本当は馬鹿ではないことくらい皆知っている。それがわからず馬鹿ではなく利口なんだと言いたがる芸人は馬鹿で、馬鹿を続ける芸人こそ利口なのだ」


★TBSの迷走と馬鹿番組編成(4/11)
 こんな記事があった。
http://www.so-net.ne.jp/news/cgi-bin/article.cgi?gid=ent&aid=p-et-tp0-090411-0007
 削除の可能性もあるので簡単に書いておくと、4/9のTBSの番組最高視聴率がなんと再放送の「水戸黄門」だったというのだ。しかし、それにしてもだ、その視聴率が7.2%ということは二桁とった番組が皆無ということ。こりゃあちょっとひどくないかい。
 以前、テレビ朝日が深夜でちょっと人気がでた番組をゴールデンにもってきて失敗している愚を書いたことがあるが、今回のTBSの番組構成は大愚・大馬鹿と言っていい。「ひるおび!」なんていうわけのわからん帯番組が11時から2時過ぎまであり、いくつかドラマの再放送などがあって5時から「サカスさん」なる軸がはっきりしないバラエティー番組。そして6時から8時まで報道番組と称する「THE NEWS」。
 サラリーマン時代、入ったそば屋などのテレビでフジの「笑っていいとも」を見たことがあるが、「ひるおび!」のような11時からの番組ではサラリーマンの昼休みは中途半端で、店主がよほどの関心を持っていない限り「ひるおび!」にチャンネルを合わせることはないだろう(店に入ったときには店主により、あるチャンネルが設定されており客はその番組を見るのである。私が行く3軒の店では2軒が「笑って」で1軒がNHKだった)。しかも、そんなはつきりしない番組が2時過ぎまでというのだから、これはもう垂れ流しと言うしかない。5時からの「サカスさん」は見たことはないが(だいたい仕事をしている人が見られる時間ではない)、このあたりの時間帯はかつてのTBS「銀座NOW」やフジ「夕焼けニャンニャン」のように高校生あたりの視聴時間だろう。でなければ、主婦か。そうした作りになっているんだろうか。6時からの「THE NEWS」に至っては論外で、ニュースを見たい人はNHK7時のニュースを見るだろう。小林アナはカッコつけて報道番組をやりたかつたのだろうが、ただ原稿を一生懸命読んでいるだけで、バラエティーに出ていたときのような溌溂さ皆無。これでは食事時の家庭では気楽に見られるバラエティー番組にチャンネルを合わせること必然である。
 さらによくないことには、テレビは何日の何時からは何を見るというぐあいである部分「習慣」なのだが今回の大改悪シャッフルのせいで何がなんだかさっぱりわからなくなってしまった。以上、とくに考えなくても誰にでもわかることだと思うのだが、TBSの上層部にはよほど×××な人間がいるのだろうか。
 週刊文春だったかに小林信彦が、1960年代のTBSは民放のNHKとまで言われていたが現在のTBSは溜息みたいなことを書いていたがおおむね同感である。かつてテレビ界は三強(日テレ、TBS、フジ)、一弱(テレ朝)、一番外地(テレ東)などと言われていたが、このままではTBSが番外地の座に坐る日は近いと思われる。
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29インチと40インチの差 [テレビの雑感日記]

 長年親しんで来た29インチのブラウン管テレビの上の部分にちらちらとした線が入るようになった。初めのうちこそしばらく見ていると消えてくれたのだが、そのうち消えなくなり、それどころか線の本数が増えてきてとても醜くなってきた。もちろん地デジチューナーなぞ内蔵していないが、我が家はCATVの契約をしていおりCATVのチューナーの出力をテレビの入力につないでいるので2011年7月以降も全く問題はない。とりあえず今のテレビでいいや、と思っていたのだが、そうもいかなくなった。よくわからないが、「エコ・ポイント」というものもつくというので思い切って新しいテレビを買うことにした。
 キーポイントは、できるだけ安く、である。
 映画好きの私としては、120インチのハイビジョン管投影をスクリーンで見ている知り合いのSYさんまでとはいかないにしても(狭いマンションではまあ無理)、できるだけ大きなテレビを買いたいところである。が、困ったことがわかった。我が家の(今までの)テレビはテレビボードに置いてある。テレビ台(ラック)ではなく、上下左右のあるボードである。けっこういい値段のしたボードで、それなりに高級感もないではない。ところが、このボードを買ったとき民生用のテレビで最も大きいのは36インチテレビだった。思い切って大きなボードを買ったつもりだったのだが、それは36インチテレビが収まりますよ、という大きさだったのである。寸法を測ってみると今のワイド液晶(あるいはプラズマ)テレビの42インチはちょっときびしく、40インチでぎりぎり、37インチならすんなりというところだった。
 電気店で研究した結果では、46インチを越えると(なぜか)テレビ的ではなく映画的に見えることがわかった。ただし、50インチとか52インチとなると、おそらく量産の問題もあるのだろう、突然、40万とか50万、つまり一昔前の1インチ=1万円の時代に逆戻りする。それが46インチだとエントリーモデルなら20万そこそこで買える。本来なら46インチを買いたいところなのだが、上記のような寸法の問題から40インチに落ち着いた残念。
 で、問題の画質なのだが、やはりハイビジョン放送(1080i)の画質と今までの標準画質(480i)では、ちがいがはっきり出る。とくに地上波は旧来のアナログと地デジチューナーを切り換えてやると、アナログはもやっとした感じがどうしても拭いきれない。ふむ、だから地デジはいいでしょうということで、エコ・ポイントの大判振る舞いをしたのか。実際、画面が大きくなればなるほどエコ・ポイントの額は大きくなる。つまり、我が家は政府・家電業界の策略にまんまとひっかかってしまったわけだ。もしかすると、今のこの時期に故障するようテレビに「タイマー」が組み込まれていたのかもしれない。
 閑話休題。
 それでも、リビングに運び込まれてくると、さすがに店頭で見たときと比べて大きく感じる(1時間ほどで慣れてしまったが)。よーく見ると早い動きでは微かな残像があるが、まあ気になるほどではない。エコ・ポイント23000にテレビ・リサイクル3000、それに販売店のポイントを差し引けば10万円を切る値段なので、それなりに満足はしている。で、今の40インチとかつての29インチとの印象の違いなのだが、その前に、地デジはハイビジョンなのでワイド横16:縦9で送られて来るはずなのだが、左右をカットし旧来の横4:縦3でも収まるように収録されている番組が意外に多いことに気がついた。こうした番組は要するに真ん中の部分だけが必要なのではっきり言って40インチの画面の左右が全く生かされていない。せいぜい一回り大きいかな程度のイメージしかなく、40インチにした意味があまりないということになる。
 対して、もともとワイド画面で作られた映画などはハイビジョンのものを見ると(とくに画質のいいWOWOWなど)ワイド40インチの左右いっぱいに広がって見られるので、上下に不必要なほど黒地があってせせこましく感じられた4:3の29インチと比べて4倍くらいに感じられる。ビスタ・サイズだと黒地部分がないので、なんだか得したような気分になる。いわゆるシネマスコーブだと今までの4:3ではただでさえ狭い画面のうち映像の画面が半分以下になってしまい悲しいものがあったが、ワイドだとそれも許容範囲に収まる。40インチとはいえ、「インディー・ジョーンズ クリスタル・スカルの秘密」など、どうってことはない映画なのだが、楽しく見られたのはひとえにワイド40インチのおかげだと思う。

 それにしてもだ、私の入っている東京ケーブルネットワークの番組案内の折り込みに先月、CSのハイビジョン化の告知が入っていた。「日本映画専門チャンネル」などCSの番組を見ていると、ハイビジョンでお届けするなんて宣伝がよくあるのだが、ありゃうちのCATVはまだハイビジョンじゃなかったのかと、びっくり。それでも来月からハイビジョンになるんだから、ま、いいかと思っていたら今月の案内に、ハイビジョン化されるのは1000円高いデラックスコースだけで、スタンダードコースは今まで通りとあって、またまたびっくり。もうけたい気持ちはわかるのだが、それにしてもやり方があまりにも、あくどいというかミエミエというか、テレビも大きくなったことだし、これは真剣にスカパーへの移行も考えなければならないのかもしれない。
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「突き抜けた」笑いと「こち亀」 [テレビの雑感日記]

 CATVの「日本映画専門チャンネル」で「東宝娯楽シアター」が始まった。大きな柱は森繁久彌の「社長シリーズ」「駅前シリーズ」、加山雄三の「若大将シリーズ」、そして植木等を代表とする「ニッポン(日本一)シリーズ」「クレージー・シリーズ」である。この中で興味があるのは植木等のシリーズだけで、申し訳ないが他のシリーズを見る気はない。
 その植木等というかクレージーキャッツのシリーズは、7月が第1作の「ニッポン無責任時代」で、8月が「ニッポン無責任野郎」である。むろん、「ニッポン無責任時代」はしっかりと見た(映画館では1度見ただけだが、その後テレビで3回は見ている。ビデオ、レーザーディスク、DVDで見た回数を加えると2桁になるかもしれない)。
 おもしろかった。第2作の「ニッポン無責任野郎」は「時代」が大ヒットしたので急遽作られたと思われるお手軽作品で「時代」よりは落ちるが、それでも十分におもしろい映画で、これも映画館に始まり数回は見ているが、今度も見るつもりである。待ちきれなくて、家にあるDVDの「クレージー黄金作戦」を見てしまった。
 と同時に、日本の笑い(コメディー)ということで考えると、これは相当異質な笑いだなという気もした(とくに「時代」)。
 なぜこんなことを言うかというと、香取慎吾主演のテレビドラマ「こち亀」第1回を見たからである。「こち亀」のまんがはもう何十年も前に「ジャンプ」で読んだだけでアニメも見ていないので昔の印象だけで書くが、あのまんがはもっと突き抜けた笑いのまんがだったと思う。大人ものでは悪徳警官は珍しくないが、博打はうつ、他人ものは盗む、それでいて反省がないという警官を登場させただけでもその突き抜けぶりがわかろうというものである。
 当時(要するに数十年前)日本で最も突き抜けた笑いのまんがを描いていたのは山上たつひこで、「チャンピオン」の「がきデカ」なんてのはどうってことないが「喜劇新思想大系」にはぶっ飛びましたなぁ。筒井康隆の「アフリカの爆弾」なんて、もともとの小説が相当ぶっ飛んでいるのにそれをさらにぶっ飛ばしてしまったのだから、みていて思わず椅子から転げ落ちそうになったほどだ(←嘘です)。いまでこそ秋本治なんて名前を使っているが「こちら葛飾区亀有公園前派出所」連載当初は秋本ではなく、「山止たつひこ」なるペンネームをつかっていたのだから、作者の目標は、山上だったのではないのか、と推測したい。
 日本の喜劇というと「寅さん」に代表されるように人情喜劇が主流である。外国ものでも人情をからませたチャップリンの喜劇は受けるが、キートンやマルクス兄弟などはあまり受けていないと思う。少なくともそういった人情喜劇の流れからは「こち亀」は無縁だった。だから、私はけっこう愛読したのだと思う(といってもほんの初期だけだが)。
 ところが、ドラマの「こち亀」はかなりの人情ものとなっていたのだ。ええーっ、神輿だってぇ。下町がどうしたこうしたなんて、私には全く関心がない。これはちょっと違うのではないか、と思いつつ見た。つまらなかった。もっとも、ほとんどの作品が、人気がでると一般的にとんがった主人公の角がとれ、いい子になる傾向があるので最近の「こち亀」まんがはけっこう人情ものに流れているのかもしれない。残念だが、そのほうが一般受けするのである。大昔の「ハリスの旋風」の石田国松くんも登場したころはめちゃくちゃのガキ大将で爆笑ものだったが、いつの間にかいい子になってしまい、(私的には)つまらなくなってしまった。
 ついでに、どうでもいいようなことだが、確か両さんは春日八郎のフアンだったと思うが今もフアンなんだろうか。私も春日の八っちゃんの歌は好きだが(「長崎の人」「ロザリオの島」「赤いランプの終列車」なんかいいねえ)、最近では春日といえばオードリーだもんなあ。「ダーティハリー」にあこがれている大金持ちお坊ちゃま・中川は今でもマグナムをぶっ放しているんだろうか。何のときだったか、急ぎのとき垂直離着陸機ハリアーを呼んだこともあった。そういえば秋本・カトリーヌ・麗子もオリンピックの射撃で金メダルをとったような記憶がある。それほどの逸材がなぜ亀有派出所にいるのかは不明。勤務中に競馬をやったり、まんがとはいえそこまでやってしまっていいのか、と思ったほどである。そういえば、やくざもビビルほどの入れ墨を背中に入れている警官や、元キックボクサーのおかま警官なんてのもいた。それほどぶっ飛んだ設定だったのである。とんがっていたのである。そこに私なんぞは、ちょっとクレージーの笑いに通じるものを感じていた。それが、人情喜劇になったのではどうしようもなく、見る気もしないわけである。
 ま、それはともかく、そんなことをあれこれ考えてくると、植木等の「ニッポン無責任時代」の笑いは、日本にあってはやはり相当異質であることがわかる。だいたい、この平均(たいら・ひとし)という男、飛んで来たボールを屋上から下へひょいと投げて知らんぷり、社長室の葉巻は盗む、それでいて、三流大学出だからどうせ出世は無理だし適当にやっていくからよろしく、との賜る(それでいて、社長になってしまうのだが)。そこには、こつこつやる奴はごくろうさんという笑いがあるだけで、人情の欠片もない。
 いったいこの笑いはどこからきたのか。
彼らがジャズマンだったことも影響しているとは思うが(笑いに軽快なリズムが感じられるのである)、リーダー・ハナ肇の「馬鹿シリーズ」などは監督が「寅さん」の山田洋次ということもあり、人情喜劇そのものである(つまり、私は好きではない)。僧侶をやっていた植木のお父さんが仏像を叩いて、こんなものはただの木だ、なんて言ったという話を聞くと、植木家の血筋なのかもしれない。が、話が取り留めなくなってしまったので、このへんで。
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瀕死のTBS、このまま頓死か? [テレビの雑感日記]

↓テレビ視聴率。
http://www.videor.co.jp/data/ratedata/top10.htm
 局全体の視聴率はフジ、日テレ、NHK、テレ朝、TBS、テレ東くらいの順位だろうか。もちろん視聴率がすべてではないが、そにしてもTBSの没落が目を引く、というかひどすぎる。かつて「民放の雄」と言われたことが嘘のようなもので、これでは没落どころか墜落である。ブタマークの下で「頓死」である。
 古くは「月光仮面」「ウルトラマン」「時間ですよ」「ザ・ガードマン」「赤いシリーズ」「水戸黄門」、単発での「私は貝になりたい」「おんなたちの忠臣蔵」など話題作は数知れず、「ドラマのTBS」と言っても誰も異論はなかった「月光仮面」は初のヒーロードラマだったし、「ウルトラマン」は初の(今見るとチャッチイが)本格的特撮ドラマだった。ただニュースを読み上げるだけのニュース番組が横並びだった中で、キャスターなるものを中心に置き解説も加えるという本格的なニュース番組(「ニュースコープ」)を最初に立ち上げのもTBSで、「報道のTBS」と言っても誰もこれまた異論はなかった。生番組であそこまで作り込んだ「八時だよ!全員集合」や「クイズダービー」などバラエティー番組にも見るべきものがあった。つまりは他局のやっていないようなことを次々と実現させていたわけで、このころのTBSは、何事につ時代の半歩前を行っていたのだと思う。「民放の雄」という看板にいちゃもんをつける者もいなかったと思う。それが、今やテレ東と最下位争いをするテレビ局になってしまったのである。
 これほどダメダメになるのにはやはり相当な組織の硬直化・腐敗があるのだろうと推測する。たとえば、「偉いさん」がつまらない思いつきで言ったことが、誰もそれに反対せず、そのまま通ってしまうなんてことがあるのではないのか。いい例が、今年の春に行われた、全く意味不明の番組シャッフルである。
 先日、朝日新聞に「(春の番組シャッフルの)効果が出ていない」なんていう編成局長の談話が載っていたが、まるで他人事のような発言だった。テレビは生活のリズムとともにあるものなので(月曜の○時は○○を見ようというような生活「設計」)誰が考えても意味のない番組シャッフルは視聴率の低下につながることくらい予想できなかったのだろうか。予想できなかったとしたら馬鹿でかつ無能。おそらくは、意味がないと思いつつも、皆が自己保身のために偉いさんの馬鹿な考えをそのまま受け入れてしまったのではないかと推測する。そんな自分の意見も口にできないような雰囲気がTBSにはあるのだろうか。万が一、社内に言論の自由がないのだとしたら、完全にマスコミ失格である。即座に会社を解散したほうがいい。電波の無駄遣いなのだから、せめて電波を停止して地球温暖化防止に少しでも役に立つべきだと思う。
 馬鹿な番組シャッフルで何が起こったか。
 たとえば、我が家では何となくではあるが、月曜夜7時はTBSの「東京フレンドパーク」を見ていた。どうしても見たいという番組でもないのだが、他の局の番組よりはおもしろいし、気楽に見られるのがメリットだった。が、他の曜日に移ってしまったので、「仕方なく」フジの「ネプリーグ」を見ることになった。で、移った先の「フレンドパーク」を見ているかというと、そこまで追っかけて見るだけのものでもないので、結局見なくなってしまった。「ぴったんこカンカン」「うたばん」「イロモネア」なんてのも移動で見なくなった番組である。少なくとも我が家に関して言えば、TBSはいくつかの番組の視聴者家族を失ったわけだ。
 映画が大ヒットした「ROOKIESルーキーズ」にしてもテレビドラマのほうの視聴率は最高(最終話)でも19%だったと記憶している。大ヒットというほどのものでもない。いろいろな原因が考えられるが、まず土曜の夜8時というかつての「全員集合」の時間帯に若者たちが見ると想定されるこういうドラマをもってきていいのかどうかという問題がある。今時の若者はこの時間、家でテレビを見るものなのだろうか。次に、これは記憶だけで書くのだが、このドラマ、5月下旬と6月中旬から7月中旬の二度にわたってバレーボールだったかの中継で番組が中断されたはずである。連続ドラマが2週間も3週間も中断されてもまだ見てくれるというのは、よほど忍耐強いコアなフアンだと思うが、視聴者を馬鹿にした編成であることは間違いない。映画の大ヒットを思えば、曜日はともかくとしてせめて9時か10時からの放送で馬鹿な中断なんぞなければ、それこそ平均20%もあり得ないことではなかったと思う。つまり、ここにも馬鹿シャッフルの影響が出ていたわけである。
・「キングオブコント」 同じ賞金1000万でも昨年のM1チャンピオンは、ノンスタイル、その前はサンドウィッチマン、さらにその前はチュートリアルとすぐ出てくるのに、ええとコントは……と考えてもなかなか出てこない(バッファロー吾郎)。単にM1のパクリ番組だという以前に選出の仕方、決定の仕方が不明瞭かつ不自然。大勢の芸人が出ていて、賞金も高額なのにこれほど緊張感なく、おもしろくもなく、盛り上がらない番組も珍しい。今年も第1次でのトップがM1王者のサンドウィッチマンだったので、このままではM1のコピーになってしまうため、2位か3位の連中が2次で逆転優勝するだろうと予想していたらその通りになった。つまり、予想通りの下手な演出で、何の驚きもない。
・「こちら葛飾公園前派出所」 香取慎吾の両さんがまんがのイメージと違っていても。香取のキャラクターをそれなりに生かす方法はあったと思う。が、マギーの脚本があまりにひどい。あきれかえるほど悲惨なできばえについては、すでに書いたので繰り返さないが、7月期のドラマはオール1桁。「ドラマのTBS」今何処。
・6時から8時の馬鹿ニュース。7時台のニュースはNHKだけで十分。その時間帯に情報番組初めてでおどおどしているおねえちゃんとあまり滑舌のよくない地味なおっさんを持ってきてどうしようと思ったのだろう。これでは、安心してニュースを見る気にもならないし、そもそもこの時間帯にニュース番組を持ってくる気が知れない。
 ちょっと思いついた最近のダメ番組だけでも、こんなところがぞろぞろ出てくる。これでは、少ない制作費ながらも知恵をしぼって「大食い」「お宝鑑定」「田舎に泊まろう」など、他局にはない番組を作り出してきているテレビ東京の関係者のほうがはるかにマシである。
 なんて書いていたら、没落を象徴するような事件があった。確か木曜の8時から日曜の8時に引っ越ししてきた「うたばん」が今度は火曜の9時に引っ越すんだって。もう、やっていることがめちゃくちゃ。月曜に放送された「おくりびと」はTBSのロゴが画面右上に出ているのはまた許すとしても、映画「おくりびと」なるロゴがずーっと出っぱなし。もう、やっていることがセコイ。
 TBSが没落し、「民放の雄」の看板を下ろされてからは、3強(フジ、日テレ、TBS)、1弱(テレ朝)、1番外地(テレ東)と長らく言われてきたが、すでにTBSとテレ朝の位置は入れ代わっている。最近のこのていたらくを見ると、テレ東にも抜かれ、原子力潜水艦になる日も意外と近いのかもしれない。全く、上に上がるのは難しく、それを維持するのはさらに難しいが、落ちるのは簡単だなぁ……。
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