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首長竜で減点「REAL(リアル)」 [映画の雑感日記]

「REAL(リアル)」☆☆☆

 黒沢清監督といえば、「回路」「トウキョウソナタ」「アカルイミライ」などそこそこ見られる映画を作る人である。その意味では評価しているのだが、ただ、私はこの監督の作品には、いつも何か足りないものを感じているのも事実。着眼点も話の展開も悪くはないのだが、見終わってみると、何かもの足りないのだ。
 黒沢監督が得意とするのはホラーで色づけされた幻想的な映画である。
 ただし、ホラーであっても、黒沢映画は血飛沫が飛び散ったりすることはあまりないのでスプラッタ大嫌いの私でも安心して見ることができる。今回は、「リアル」というタイトルなので、「おっ、得意分野の映画だな」と思ったわけだ。現実崩壊を描いたら右に出る者のないフィリップ・K・ディックの作品をこよなく愛する私としてはこれは見ないわけにはいかない。で、見始めたわけだが、サブタイトルを見てびっくり。なんとあの「完全なる首長竜の日」の映画化なのだ。
 原作は乾緑郎の小説で、私は知り合いのFSさんから文庫本を借りて読んだ。何が現実で何が現実でないのか判然としない話の進行は、小説の題よりも映画の題のほうがピッタリくる。で、その小説なのだが、似非ディックというか、おいおいと言いたくなるというかちょっと期待しただけに、はっきり言って「がっかり小説」だった。なぜこの作品がそれほど話題になり映画化までされたのか、少なくとも私には全く理解できない(審査員満場一致での第9回『このミステリーがすごい!』大賞受賞作。まあ主催も発売元も宝島社というマッチポンプというか自作自演なのだが)。原作の感想というか不満についてはかつてブログにアップしたことがあるので、気になる人は見ていただきたい。一言で言って、世界の「転換」が、ディックのように深化に向かわず、並列の繰り返しに過ぎないことへの不満である。
http://meisoud.blog.so-net.ne.jp/2012-02-25
 もちろん小説と映画は、原作→映画化という過程があるにせよ全くの別物であるわけで、原作(というより原案)がダメでもおもしろい映画もあれば、その逆もある。そのいい例が「ベン・ハー」で、映画のあまりのおもしろさに新潮文庫の原作を買って読んだんだが、ゴミのような小説だった。逆に、眠らないように必死だった凡作超大作映画「戦艦バウンティ」の原作はなかなかに読み応えのある佳作だった。
 映画の結論を書くと、そんな不満満点の原作にもかかわらず、色調、場面展開など黒沢タッチはなかなか快調で、最後まで退屈せずに見ることができた。最近、あまりにつまらない映画(「お前が歳とって感性が鈍くなっているだけだろう」という指摘があれば同意はするが納得はしない)ばかり見ていたので、見終わって「時間を損した」「何だったんだこれは」という落胆と怒りがなかっただけでも、とりあえずは合格である。
 原作がディックの作品のように深化していくことなく、だらだらと並列的に進んで退屈した「愚」を繰り返さず、世界の「転換」を1回だけにしたのも悪くない。映画が小説のように、おや?と思っても引き返して確認できないことを踏まえての賢明な脚本だと思う(ビデオなら見返せるとかということを言っているのではない。映画というものはとにもかくにも劇場で見ることを前提に作られるもので、劇場では途中で見返すことはできないと言っているのである。念のため)。
 極端なことを言うと、この映画、登場人物の設定も首長竜の理由もほとんど原作無視。原作から借りたものといえば、センシングという他者の意識に入って行くということくらいなものだろうか。原作と違うといえば、ハッピーエンドにした結末も、不快と不満を抱いて映画館を出てきたくはないので、甘いと言えば甘いのだが、商業映画なのだからこれはこれはでいいと思う(もっとも、ラストで目を開いた人物の見る世界が本当にこの世界なのかあるいは、・・・という読みができないわけではなく、どちらかというと私はこの意見なのだが、これ以上はネタバレになるので書けない)。
 主演は佐藤健と綾瀬はるか。売れっ子ですなあ。いつ寝ていつ食事しているんだと思うほど売れている2人だが、いくつもの映画やドラマで鍛えられているせいか、抑えた台詞回しで悪くない(とくに綾瀬は走る姿が決まっている。デビュー前に高校で陸上部にでも入っていたのだろうか。「孤高のメス」での夏川結衣のドタドタ走りとは雲泥の差だ。残念な点をあげるとすれば、「プリンセス・トヨトミ」のときのような「乳揺れ」が見られないことくらいか(^^)/)。
 その他では、医者として中谷美紀が出てくる。おっと、綾瀬&中谷って、あの「JIN-仁-」じゃないか。あと、まんが雑誌の編集長としてオダギリジョー。低視聴率ドラマが打ち切られて「ウチキリジョーなんて言われていたが、「舟を編む」にしろ映画ではまだまだ売れっ子のようだ。演技も自然だし、いいんじゃないですか。「あまちゃん」で再ブレイクした小泉今日子も出ているが、あまり印象には残らない。まあ細かいことを言いだせばきりがないが、俳優陣にとくに問題は感じなかった。
 問題は、首長竜である。
 原作でも、なんで「謎の核心」が首長竜なのか、通り一遍の説明はあるものの、とうてい納得できるものではなく、映画でもこの弱点は払拭されていない。黒沢監督もその点が気になっていたのだろうか、あるいは動的な場面が少ないので観客サービスのつもりだったのだろうか、突然、CGの「リアル」首長竜が登場したのには、驚いたというか、おいおいというか、なんで?というか、正直がっかりした。
 そういう映画ではないだろう、これは。
 しかも、それがいかにもCGで描きましたという感じの首長竜なのだ。意識下での首長竜だから(細部までわかっているわけではなく、その意識者のイメージなのだから)それでいい、と思っているとしたら、大まちがい。それではリアル=現実というタイトルの意味がない。意識世界が現実の世界と拮抗している、いや現実の世界以上に「リアル」なんだというところが、この話の核心なのだ。どうしても出したいのならここは絶対に現実以上にリアルな首長竜でなければならないだろう。それが技術的、予算的にできないということなら、やはり出すべきではなかったと思う。
 三途の川を連想させるベタな比喩ではあるが、「舟で往く」のか往かないのか、というだけでいいのではないのか。くどいようだが、どう考えても違和感満載の首長竜は出さないほうがよかったと思う。この首長竜のシーンだけが映画全体の統一されたイメージから完全に浮いており、映画全体の統一感を破壊してしまっているのだ。
 最初に黒沢清監督の映画には「いつも何か足りないものを感じる」と書いたが、今回は「足りない」ではなく、はっきり「余計」だった。結果、余計なCG首長竜のせいで、★1つマイナスになった。そこまでは、そこそこおもしろい映画だっただけに、実にもったいない。

↓予告編 
http://www.youtube.com/watch?v=_LmmVPYXj-Q
リアル.jpg
☆★は、尊敬する映画評論家・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。合格というか、まあ許せるラインということです)
コメント(1) 

コメント 1

サンフランシスコ人

黒沢清の『回路』...

http://www.austinfilm.org/screening/pulse/

9/27 テキサス州オースティン市で上映...


by サンフランシスコ人 (2019-09-09 03:49) 

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