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亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」雑感 [短編・雑文]

亀山郁夫訳「カラマーゾフの兄弟」雑感

埴谷雄高・十三年後のアリョーシャが書かれていたら、ほんとうにおもしろいものになったと思いますね。
荒正人・はたして書くことができたでしょうか。
埴谷雄高・ドストエーフスキイが生きていたら、必ず書けたと思いますよ。だいたい「悪霊」とか「カラマーゾフの兄弟」が書けたことがすでに不思議で、そういう不思議を実現し得た作家なら十三年後のアリョーシャが書けるのは当たり前だと思いますね。

 上に引用したのは1963年というから40年以上も昔、「近代文学」の埴谷雄高、荒正人、そして作家の大江健三郎の三人で行った座談会の一部である。今回、何十年かぶりに「カラマーゾフの兄弟」を通読して思ったのは、これだけの作品が前座だとしたらいったい本編(書かれなかった第2部)はどんなものすごいものになったのか、本当に残念な気がする。
 それにしても、未完とはいえ「死霊」でドストエーフスキイが時代の制約から書ききれなかったそこからさらに半歩を踏み出そうとした埴谷雄高である。上の発言は、まさにドストエーフスキイ文学の核心をついた言葉といえる。
 ドストエーフスキイあるいは「カラマーゾフの兄弟」については埴谷雄高のすばらしく魅力的な評論があるし、ロシア語の構造から作品の内容に鋭く迫った江川卓の評論もあるし、亀山氏もNHKブックスで詳細に論じている。おそらくドストエーフスキイに関係する本を積み上げたら1メートルを楽に越えるのではないだろうか。私のような素人がそれらの本以上に付け加えることは何もないので、きちんと知りたい人はそういう本を読んでもらいたい。ここでは光文社文庫・亀山郁夫「カラマーゾフの兄弟」読後の感想を思いつくままに書いていくつもりである。ただ、作者ドストエーフスキイが何をどう意図しようと書かれた作品はそれがすぐれたものであればあるほど作者からは独立した生命をもち、読者の様々な勝手な解釈を許すはずである。そういう前提で勝手なことを書き連ねてみよう。

 「カラマーゾフの兄弟」を最初に通読したのは学生時代のことで、河出書房の世界文学全集(グリーン版)の米川正夫訳の2巻本である。ドストエーフスキイ作品としては同じ米川訳「罪と罰」に続くもので、よくわからないながらもそれなりに熱中して読んだ記憶がある。そうなると四大長編と言われる残りの「白痴」「悪霊」も読んでみたくなるわけで、世界文学全集には入っていなかったため米川正夫個人全訳「ドストエーフスキイ全集」を買うことになった。以来数十年、この全集のすべてを読んだわけでもなくすべてを読むこともないとは思うのだが、時々作品の一部を拾い読みしたり、創作ノートをぺらぺらとめくってみたりすることはある。
 社会人になってから読んだのは、筑摩書房からこれも個人全訳「ドストエーフスキイ全集」を出している小沼文彦訳の「カラマーゾフの兄弟」を駆け足読みしたことがある(図書館で借りたもので仕事の合間に読む形になるため時間が足りなくて一部ぱらぱら読みになるのである。ロシア語は全くわからないので「感じ」で言うと原文にできるだけ忠実に訳したのか、ちょっとくどい感じがして生理的には米川訳のほうが私には合った)。今度の亀山訳「カラマーゾフの兄弟」が3回目の通読になる。駆け足読みではなく、一応はきちんと読んだつもりである(翻訳については最後に書く)。
 読後最初の感想は、自分の頭の中の「カラマーゾフの兄弟」は長年の間にずいぶん自己流に改編していたんだなあ、ということである。
 一二例をあげると、あまりにも有名な「大審問官」はもっと長いと思っていたらそうでもなく、また父親フョードル・カラマーゾフが殺されるのはもっと後半だと思っていたので第3巻の半ばで殺されたときは、ええっ?と思い昔の米川訳と比較したほどである。もちろん今度の亀山訳が途中を短縮したわけではなく、私の記憶違いである。

 ドストエーフスキイの作品では、基底音として神の問題が扱われる。神は存在するのか否か。存在すると断言できる人は幸せである。が、そういう人も話を聞いてみると根拠があるわけではなく「信仰」ということで話が終わってしまう。そこに全く懐疑はないのか、神が存在しなければ死後の世界もなく死ねば自己が完全な無に解消してしまうのを恐れるあまり在ると思いたいだけではないのか。存在しない、あるいはそんなことはどうでもいいと言う人も、ただ死というものを直視したくないための結論付けで思考を停止しているのではないのか。
 だから、というわけでもないがドストエーフスキイにおける「神」の問題は、邪道を承知で言えば、私は人間の「存在」に置き換えて読んでいる。つまり、限りある生しかもたない人間にとって絶対的なもの永遠なるものが存在するのか否かの問題として読んでいるわけである。もちろん深く考える力もないのだから結論が出るはずもなく、そうしたものの間を揺れ動いているのが我々凡人なのだろうと途中で投げ出してしまうのだが。ところが、ドストエーフスキイ作品の登場人物はそれを極限まで突き詰めてしまうのだ。
 たとえば「悪霊」に出てくるキリーロフの論理。神はいない。しかし、神は必要だ。従って、人間が神になるしかない。その精神的肉体的変化に人間は耐えられるだろうか。そんな極論のあと人間の自由意思の証としてキリーロフはきわめて象徴的な自殺を遂げる。「罪と罰」のスヴィドリガイロフ、「悪霊」のキリーロフあるいはスタヴローギンの延長線上にあるイワン・カラマーゾフは、神はいない、だからすべては許されているとちょっとハッタリ気味に宣言する。
 「罪と罰」におけるラスコーリニコフの老婆姉妹殺し、スビドリガイロフの自殺、「白痴」におけるラゴージンのナスターシャ殺し、「悪霊」におけるピョートルらのシャートフ殺し、キリーロフ、スタヴローギンの自殺、そして「カラマーゾフの兄弟」における父親殺しとスメルジャコフの自殺。
 こうしてみてくるとドストエーフスキイの作品においては殺人と自殺が大きなキーポイントになっていることがわかる。と同時にこの殺人と自殺が「すべては許されている」論理から必然的に導き出される神への挑戦であることも。もう少し補足すると、現実の社会での自殺は、自己の完全なる消滅という考えではなく、死ねば形が変わった生が存在するという錯覚から行われることが多いと思う(「あの世で一緒になる」などという心中がその典型。このような考えが願望に過ぎないことは学生時代に読んだ波多野精一「時と永遠」で学んだ)。が、ドストエーフスキイの作品にあっては、登場人物の自殺はそうした俗論ではなく、自由意思の行使であり、神への挑戦であるという点で大きく異なっている。
 イワンが作った劇詩「大審問官」では神はいないのだから「すべては許されている」という論理はさらに飛躍してこういう結論になる。
「人間は神を望んでいない。いや、現実の生活においてむしろ神の存在は邪魔である(必要なのは、むしろ「悪魔」である)」
(この問題は終盤、熱に浮かされたイワンと「悪魔」との対話でもう一度別の角度から問題にされる。死後の世界を否定していた人間が死んだら死後の世界があってという逸話は秀逸である。)
 この「大審問官」の論理に対抗するためにドストエーフスキイは長いゾシマ長老の話を書く。この話もなかなかにおもしろく、特に若いころゾシマを尋ねてきた謎の男の話など興味津々なのだが、しかし私が読んだ感じではイワンの否定する力に及んでいないと思う。
ついでに今回初めて少し不思議に思ったこと。
 カラマーゾフの父親フョードル・カラマーゾフ殺しがドストエーフスキイの父親が農奴に殺されたこととどう関連しているのかということについてはそれこそ万と書物があるのだが、今回、作品の大きなテーマの1つである「父親殺し」が妙にあっさりしたものである印象を受けた。あまり評判のよろしくない人物だったので周囲の人間やドミトリー、イワンがとくに感慨をもたないのは理解できる。しかし、もう1人の父親というべきゾシマ長老の死にはあれほど大きな衝撃を受けた(聖人の墓の上に座り込むほどの狼狽ぶりというか衝撃を受けたのだ)そのアリョーシャまでもが淡々としているのはどういうことなのだろう? 第4編は2か月後とはいえ、アリョーシャを含めてフョードル・カラマーゾフの死(惨殺!)を惜しむ人間は1人もいない。不思議だ。

 これはドストエーフスキイ論でも「カラマーゾフの兄弟」論でもない、あくまでも「雑感」なので、思いつくまま書いていく。
 ドストエーフスキイの作品で大きな役割をもつものにドッペルゲンガー(分身)がある。彼らは当人が無自覚だった部分にも照明を当て、さらにそれを極限まで拡大して見せてくれる。こうした分身の登場のおかげでドストエーフスキイの作品は深みを増し、文字通りの「巨大作」になったのだと思う。
 すぐに思い浮かぶのが、「罪と罰」におけるラスコーリニコフに対するスヴィドリガイロフ。「悪霊」におけるスタヴローギンから派生したピョートル、シャートフ、キリーロフ。そして「カラマーゾフの兄弟」ではイワンに対するスメルジャコフ。
 これらの中で最も印象に残るのは、やはりスヴィドリガイロフ。すでに妹ドーニャからその名前は知らされているのだが、ラスコーリニコフがうなされるように見る夢というにはあまりにリアリティのありすぎる夢(老婆殺しを再現する夢なのだが実際の老婆殺しのシーンよりはるかにリアリティーがある)、まるで現実以上の現実感をもつその夢の中からやって来るようにスヴィドリガイロフは登場する。鮮やかと言うしかない。この登場のさせかたがあまりに魅力的なので私も自分の下手な創作の中でパクッてみたが、当然のようにうまくはいかなかった。残念、というか己を知らないというか……(^^;;。
 「悪霊」のキリーロフも先に書いたように人から神への理論を具体化したような徒花で印象に残る。これらの分身と比べると残念ながらスメルジャコフは魅力という点では一段落ちると言わざるを得ない。もちろんドストエーフスキイもそのことに気づいていたに違いない。後段、熱に浮かされたイワンの前に現れる「悪魔」は、その不足部分を補うために登場させたのではないかと思う。「あの世」はないと信じていた無神論者が死んだら「あの世」があり……という、悪魔が語るエピソードは「大審問官」の裏返しでもあって実におもしろいのだが、スメルジャコフの人物設定から言ってスメルジャコフに語らせるには無理があったのだろう。

 今回読んでみて、以前読んだ時には全く気づかなかったことの一つに、ドミトリーは現代のキリストになり得るのかという問題提起の発見があった(と私は勝手に思っている)。無実の罪でシベリア送りになるドミトリーの姿には人類の原罪を背負って十字架にかかった(とされる)キリストの姿がオーバーラップせざるを得ない。が、もちろんキリストにはなれるはずがない。作品ではエピローグでドミトリーの脱走計画の話が出て途中で終わっているが、だとすれば脱走は失敗するのか成功するのか、あるいはドミトリーが脱走そのものを拒否するのか。しかし、やってもいない父親殺しの罪を背負ってシベリアへ行くとすると刑期は20年と書かれているの。とすると「第2」の小説の舞台は13年後なのでこれでは間に合わない、というかドミトリーは登場できない(それともアリョーシャ、グルーシェンカといった人物がシベリアへ尋ねていくような設定が考えられていたのだろうか?)。
 また、熱病で死にそうなイワンはそのまま死んでしまうのか、あるいは治るのか。もしドミトリーが服役したままで、イワンが死んでしまうと仮定すると第2の小説はアリョーシャ1人になってしまい「カラマーゾフの兄弟」という題名そのものが成り立たなくなってしまう。ところが第2の小説はそもそ「カラマーゾフの兄弟」という題名ではないという説もあるようで、真相は永遠にわからないのだが、その意味でも第2の小説が書かれなかったのは惜しんでも余りある。

 もう一つ、以前読んだときには横道にそれるようで少々退屈したのだが、少年たちが実に魅力的に描かれていることも新しい発見だった。スネギリョフの息子で亡くなるイリューシャなどこの子中心の話だけでも一編の長編小説ができるほどである。コーリャやトロイの少年などももちろん印象に残る。
 ドストエーフスキイの構想では現在の「カラマーゾフの兄弟」は第1の小説であり、繰り返すがより重要な第2の小説は第1の小説の13年後ということになっている。とすればこの少年たちはそのころには26歳前後になっているわけで、導入として少年たちを数多く登場させているのは当然のことだが、とくに自ら「社会主義者」と言うコーリャがかなり重要な人物として登場してくるだろうことは容易に想像できる。あとアリーシャに対して勝手に婚約を宣言しこれまたすぐに婚約解消を宣言した「足の悪い」リーザも14歳なので第2の小説ではこれまた重要な人物となることまず間違いない。

 ……と、まあいろいろぐだぐだ書いてきたが、第2編の兄弟の接近から第3編のドミトリーの逮捕までは実に息も切らせぬおもしろさで、読みながら自由にあれこれ考えながらどんどん読み進むことができる。以前読んだときにはやや退屈に思えたゾシマ長老のところもそれなりの興味をもって読むことができた。思想的にイワンの「大審問官」には及ばないと思うものの、それは比較の問題であってこのゾシマの回顧だけでも十分一流の小説として成立する。若きゾシマの所に毎日尋ねてくる謎の紳士などサスペンスも上々である。しかもかつて人を殺しそのことを長年悩み告白した後に死んでいくというこの紳士の姿は実はスメルジャコフの殺人の後押しをし法廷で告白した後熱病で精神的にもおかしくなってしまうイワンの姿とオーバーラップしてくる。さらに言えば「すべてが許されて」いたとしてもそれを自覚している人間は殺人や子どもの虐待などはせず、別の言い方をすれば、それを実行してしまった人間はその重みに耐えられないのではないのか、という作者のメッセージも当然のように込められている。このようにドストエーフスキイの作品はとても一筋縄ではいかない。こうだと思っても別の場面でいやいやこうも言えますよと作者は別の答えも用意している。このことが何度読んでもおもしろいという古典の奥深さ、多面性を端的に表していると言えるだろう。
 ただし(これは私の読み方が浅いせいなのだろうが)これほどの名作でも第4編は「イワン」の部分はともかく、それに続く「誤審」は私にはかなりの程度に退屈だった。とくにイッポリート検事の論告は読み続けるのすらちょっと辛い。この若き検事は上昇志向の強い男だけにおそらく第2の小説でアリョーシャがかかわる事件にまた登場してくることを見込んでのことなのだろうが、それでも今の形で読み通すにはかなりの努力がいる。13年後の第2の小説を読むとおそらくこの退屈な部分すら、ああそうだったのかと違う感想をもつと思われるだけに、繰り返しになるが第2の小説が書かれなかったことが惜しまれる。

 最後に、翻訳について少々。翻訳はかつて私が読んだ米川正夫、小沼文彦訳と比べて格段に読みやすい。
 このことについては別のブログにも、
「驚いたのは『老人』たちの年齢。かつての米川訳では(もちろんちゃんと年齢は明記してあるのですが)ゾシマ長老は80歳くらい、父親のフョードル・カラマーゾフは70歳くらいのイメージでした。ところが作品の中で設定された年齢はゾシマ長老が65歳、フョードルに至っては何と55歳という『若さ』だったのです。もちろん私が誤解していたわけなのですが、しかし翻訳の口調が何となくそんな感じなんですね。たとえば米川訳でゾシマ長老が、
『どうすればよいか、自分でとうからごぞんじじゃ。あなたには分別は十分ありますでな』
 と言う部分は亀山訳では、
『どうしたらよいかは、とうの昔からご存知のはずです。あなたは、十分に分別をおもちでいらっしゃる』
 となっています。ロシア語が全くわからない私には翻訳の当否を云々する資格はありませんが、亀山訳では老人たちが15歳ほど若返り実年齢に近くなったような気がします。」
 というようなことを書いた。65歳どころか70歳の老人でも「ごぞんじじゃ」なんて言う人は今ではいない。少なくとも私は聞いたことがない。
 もう一つ例をあげておく。ホラコーワ夫人がドミートリー・カラマーゾフに金を貸したことがないということを書いたメモは米川訳では、
「……三千ルーブリの金を与えることなきのみならず、一度たりとも金銭の貸与をしたることなし!世界にありとあらゆる聖きものをもってこの言葉の真なることを誓う」
 となっている。一方、亀山訳では、
「……三千ルーブルを貸した事実は絶対にありません。それに、ほかにどんなお金も貸したことはありません!世界の聖なるものすべてにかけてこれを誓います」
 この部分を見ただけでも(寝ころんでテレビを見ながら読めるしいうようなことはないにしても)ずいぶん読みやすくなっているのがわかると思う。前の翻訳を参考にできるという「後出しじゃんけん」のようなところがあるにせよ、これは長谷川宏訳のヘーゲルに次ぐ一種の翻訳革命と言っていいのではないかと思う(ま、そう断言できるほど本を読んでいるわけではないが)。
 ただ「大審問官」の中の一節などは「一日が過ぎ、暗くて暑く『物音ひとつない』セヴィリアの夜が訪れてくる」という亀山訳よりも「一日も過ぎて、暗く暑い『死せるがごときセヴィリアの夜』が訪れた」という多少文語的な米川訳の方が私にはぴったりきた(何度も読んだことによるイメージの固定ということは無論ある)。第9編第6章などの章タイトルなども米川訳「袋のねずみ」のほうが説明的な亀山訳「検事はミーチャを追い込んだ」よりぴったりくる(原文はどうなっているのかは知らないが)。あと、細かいことでは「餓鬼」に「がきんこ」とルビがふられているのがちょっと気にはなった。もちろんもともとの餓鬼とは餓鬼道に堕ち常に餓えに苦しんでいるもののことでそこに子どもの意味はないが、普通に子どものことを餓鬼ということもあるのでわざわざ「がきんこ」と読ませなくてもよかったのではないのか。
 「白痴」のナスターシャの系列のなかなか魅力的に描かれているグルーシェンカ(米川訳)が亀山訳ではグルーシェニカになっているのには最初かなりとまどった。長年読んだ癖と「ン」と「ニ」が何となく似ていることもあり、多分グルーシェニカの方が原語の発音に近いのだろうが、どうしてもグルーシェンカと読んでしまうのだ。途中からは諦めてグルーシェンカで読んでいってしまったが、この点に関してはせっかく画期的な翻訳をしてくれた亀山郁夫氏にあやまらなければならない。m(__)m


「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」で空想する
 「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」という光文社新書が出ていた。著者は光文社古典新訳文庫で先日『カラマーゾフの兄弟』の全訳を完成した亀山郁夫氏。となると、読了したものとしてはやはり気になる。買わないわけにはいかない。
 アレクセイ・カラマーゾフ(アリョーシャ)を主人公にした作品は二つの小説に分かれ、そのうちの「第1の小説」が「13年前のアリョーシャ」の身の上に起こった出来事を書いた現行の『カラマーゾフの兄弟』であり、ドストエーフスキイの死により「第2の小説」は全く書かれずに終わったことは広く知られている。
 もちろん「第1の小説」だけでも世界に冠たる古典であることは疑いない。私自身この長編を3回も、それも3人の訳者のものを通読しているわけで、こんなことは他の小説にはない。そして、この「第1の小説」はそれなりに一つのまとまった作品として読めるのだが、第4部やエピローグに登場してくる多くの意味ありげな少年たちを考えるといやでも彼らは「第2の小説」ではどういう役割を果たしたのだろう、と空想せざるを得ない(とくにコーリャ)。アリーシャとの婚約を一方的に宣言しまた一方的に破棄した14歳のリーザ、カテリーナとグルーシェンカの2人の女性、そして病にかかったイワンと脱走計画もあるドミートリイの兄弟についても決着はついていない。これまた気になるところである。
 亀山訳『カラマーゾフの兄弟』は5巻合わせて40万部も売れたそうで、全巻買った人は40万/5=8万の半分とみて4万。通読した人はその半分の2万。しかし『カラマーゾフの兄弟』は何も亀山訳だけでなく米川、小沼、江川といろいろな訳が出ているわけで通読した人は少なく見積もってもその10倍はいる。つまり最低でも20万人が『カラマーゾフの兄弟』を通読しているのである。通読すれば私が言ったような登場人物のその後が気にかかるはずである。
 そして、私の知るかぎりでは「第2の小説」についてわかりやすく論じた本は今まで皆無。とすれば通読している20万人の1割、つまり2万人はこの本を買うに違いない。そう考えた光文社新書の編集者には「あっぱれ!」を差し上げたい。まあ後書きを読むと企画提案は亀山氏のほうからされたようで、本当に「あっぱれ」な商売人は氏自身なのだが(←悪い意味で言っているのではない。長年出版に関係してきた者として断言するが、出版社にとって「いい本とは売れる本」のことである)。
 この種の本は正解があるわけではないので(正解は作者しか知らない)何が正しいかではなく、残された手がかりからどんなことが考えられるか、その空想された話が「第1の小説」あるいはそれまでのドストエーフスキイの小説と照らし合わせて説得力を持つのかどうかということに尽きる。エチケットとして、この本でどんな空想が語られているのかは書かないが、私の考えと感想を二つだけ。
 亀山氏はドミートリイとイワンについては「第1の小説」で終わっており、話には出てくるにしてもサイドストーリーのようなものになると考えているようだ。が、果たしてそうか。ドミートリイの脱走計画が「誤審」が終わった後の最終章にある意味唐突な感じで出てきたこと、そこでのカテリーナとグルーシェンカの2回目の鞘当て等を思うと、別に二度あることは三度あるなんてことは言わないにしても、ここまで何だかんだとあって未完ということは単なるサイドストーリーには終わらない「第2の小説」への重要な伏線のような気もするのだが。
 もう一つ。「第2の小説」の小説の亀山タイトル案『カラマーゾフの子どもたち』というのはありそうでいて実に魅力的な題名だと思った。「第1の小説」を想起させるタイトルであるばかりでなく、その後のアリョーシャと子どもたちとの関係を暗示し、さらに神(父)と人間(子)の関係までをも内包していて、見事である。

 いずれにしても絶対に書かれることのない、つまりは正解のないものについてこれだけあれこれ語れるのはドストエーフスキイ作品のもつ深みにちがいない。


「『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する」の余白に
 光文社新書・亀山郁夫「『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する」を読んでの雑感はすでに「〜空想するを空想する」に書いた。これは前半部で、その続きを次に載せようと書き始めてはいたのだが仕事の方が忙しく放置していたところ、思いもかけず著者・亀山氏からコメントをいただいてしまった。で、慌ててアップする次第である。と言ってもたいしたことが書いてあるわけではない。暇な人だけどうぞ。

 この本を読むまで私が全く考えていなかったというか私の「空想」から完全に欠落していたもの、それはドストエーフスキイの生きた時代と作家自身が置かれた状況ということである。
 ドストエーフスキイの作品を読むと、老婆を殺したラスコーリニコフの夢の中からやって来るようなスヴィドリガイロフ、「ある瞬間があるのだ」と印象的な自殺を遂げるキリーロフ、そして人間の存在と自由について劇詩「大審問官」を語るイワン・カラマーゾフ……、こういった人物の印象がどうしても先行しがちであり、また印象に残る。これらはある意味歴史貫通的な事象なのでついついそういうイメージで見てしまいがちだが、しかし生身の作家としてのドストエーフスキイも、そして彼の書いた作品もまた時代の制約から自由だったわけではない。
 この当たり前のことが時代を超越しているようにも見えるドストエーフスキイの作品を読んでいると見落とされてしまい、本書で指摘されるまで私の視野からも完全に消えてしまっていた。

 昔買った米川正夫個人全訳の「ドストエーフスキイ全集」には別巻としてドストエーフスキイの生涯+作品研究がついていたのだが、「そんなの関係ねー」と読んでいなかった私は、ドストエーフスキイが終生警察の監視下に置かれていたなんてことは「『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する」を読むまで知らなかった。そうした当局の監視をいかに騙し、いかにくぐり抜けて己の構想を実現させるのか。ドストエーフスキイのわかりにくいところは実はそうした部分に負うところが大きいのかもしれない。シェイクスピアの有名な作品の台詞ではないが「無知というのは致命的」である(^^;;。
 少なくとも「当局の監視下にある」ということが明らかに作品に影響を与えている、というか与えないわけはないという点をくっきりと指摘してくれただけでも目から鱗である。ドストエーフスキイという作家の生活というとバクチ狂いで有り金全部使ってしまい、借金返済のために作品を書き続けたという従来のイメージは、もしかすると当局の目をくらませるための演技も入っていたのではと考え出すとなかなかに興味津々なところがある。

 昔々のその昔、まだ若かりしころの私が『罪と罰』を読んでいたら母親が、「それ学生が老婆を殺す話だよね」と話してきて、聞いてみたら昔読んだというので驚いたことがある。今にして思えば当時の母親はまだ40代そこそこ。『罪と罰』を読んでいたところで別に驚くことではないが、母親が世界文学なんぞ読むはずがないという先入観があったそのころにはけっこうな驚きだった。老婆を殺したラスコーリニコフが次第に追いつめられていくミステリとして読んだようだが、それも一つの読み方として間違っているわけではない(昔読んだミステリベスト10で『罪と罰』やポーの『メエルシュトロウムの大渦』を選んだ人がいた。あの江戸川乱歩も『カラマーゾフの兄弟』のゾシマ長老の回顧の中にでてくる「謎の紳士」をスリルの一つの典型として読んでいる)。
 ドストエーフスキイの作品にはやたらと殺人や自殺が出てくるが、単に存在や自由といった形而上の意味だけではなく、ドストエーフスキイ自身実は無類のミステリ好きだったのではないかと思う。でなければあんなにゾクゾクするようなストーリー展開ができるはずがない。また『悪霊』のキリーロフの思想などニーチェを通り越して一種SFとしても通用する。今でいうSF的なものにも興味があったに違いない。現に『鰐』という奇妙な短編はSFとはいえないまでもファンタジーとして立派に通用する。
 まあ私も若いころはミステリ好きで、エラリー・クイーンの「ドルリー・レーン4部作」やクリスティー、ウールリッチをはじめ日本のものでは「江戸川乱歩全集」「横溝正史全集」などひところかなりミステリを読んだ。と同時にクラーク、アシモフ、ブラッドベリ、レム、ディックといったSFも。そんな流れの中で「難解」と言われる(実はそうでもないのだが。私にとってはビュトールやロブグリエなどアンチロマンの作品の方がはるかに難解で手に負えなかった。これは映画だがロブグリエ原作の「去年マリエンバートで」は私の理解不能映画NO.1である(^^;;)ドストエーフスキイの作品も表面だけとはいえ比較的すんなりと読み進むことができたのではないかと思う。
 なぜこんなことを言うのかというと、著者の亀山郁夫氏ももしかするとミステリ、SF好きなのではという気がするからである。そうでなければ『カラマーゾフの兄弟』の構造分析をし、その先の「第2の小説」について簡単に触れることはあっても、「第1の小説」に残されたわずかな手がかりから「推理」を重ねて「第2の小説」を「空想」するなどということはないはずである。
 ということでそういう著者が書いた「『カラマーゾフの兄弟』の続編を空想する」は異色のミステリ・エッセイ、謎解きエッセイとしてもおもしろく読めるのである。
 
 最後に。
 今回の古典新訳文庫『カラマーゾフの兄弟』のおかげで今までもやもやしていた部分がかなりすっきりした。娯楽作品は浅見光彦にしろ十津川警部にしろ一つ読むと次が読みたくなる(それが悪いと言っているのではない。念のため)。が、『カラマーゾフの兄弟』のようなある意味自分の生きている世界と同等、場合によってはさらに濃密ではないかと思われる世界をもった文学作品を読むとしばらくそこから逃れられなくり、次の作品を読みたいという気は絶対に起きない。『カラマーゾフの兄弟』を読んだからさあ次は『悪霊』を読もうかという気にはならないのである。現に私自身今年(2007年)になって『カラマーゾフの兄弟』を読み始めたらほかの文学作品は読めなくなってしまった。少し経つと「あそこはどうだったんだろう?」とまた本を開くという日々が続いている。
 だから読者より何千倍も『カラマーゾフの兄弟』の世界にどっぷりとつかった同じ訳者にすぐ次の翻訳をというのは不可能であることを承知の上でこんなことを考えたりする。すぐでなくてもいい。何年か後でいいから、これまた米川訳で読んだものの未だにもやもやが晴れない『悪霊』の亀山訳が出版されるといいのだが。
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独断と偏見・私の「世界の十大文学」 [短編・雑文]

 サマセット・モームと言っても最近はすっかり忘れられた作家の仲間入りしてしまったが、新潮社から「選集」が出ていたほどの「文豪」である。代表作「人間の絆」はキム・ノヴァク主演で映画にもなった。そんな彼のエッセーに「世界の十大小説」というものがある。現在は岩波文庫に入っているようだが、私の青春時代には岩波新書に入っていて、それを読んだ。なんとなく世界文学の古典は一通り読んでいるというのが「常識」のように考えられていた時代である。そうした背景もあって新潮社、河出書房、筑摩書房からそれぞれ特色のある世界文学全集が刊行されていた。新潮社が50冊(各290円)、河出書房が80冊(各330円)、筑摩書房(基準価格500円)に至っては100冊という大全集なので(このあたりぼんやりとした記憶で書いているので冊数は違う可能性が高い)いったい何を読んだらいいのか見当もつかない。重複するものも多くあり、三つの全集すべてに入っているものもあったが、たとえば当時世界文学の最高峰の一つと考えていたトルストイの「戦争と平和」が新潮社のものには入っていないなどということもあって判断に迷う。また、新潮社、河出書房の全集はシェイクスピア以降で19世紀のものがメイン、対して筑摩書房のものはギリシア・ローマのものから中国の古典まで網羅していて、これは比較ができない。少ない小遣いで迷いに迷うわけである。
 そんなとき、「ううむ、これだけは絶対に読んでおかなければ」と思わせたのが文豪モームの選んだ「世界の十大小説」で、リストは以下のようなものだった。

☆フィールディング「トム・ジョーンズ」
☆オースティン「高慢と偏見(プライドと偏見)」
☆スタンダール「赤と黒」
☆バルザック「ゴリオ爺さん」
☆ディケンズ「デビッド・コパフィールド」
☆フロベール「ボヴァリー夫人」
★メルヴィル「白鯨」
★ブロンテ「嵐が丘」
★ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
★トルストイ「戦争と平和」

 順位はついていない。☆印は買ったもの(要するに「世界の十大小説」なんだから読まなければと、すべて買ってしまったわけだ)。「トム・ジョーンズ」「赤と黒」は途中まで読んだものの断念。「高慢と偏見」「ゴリオ爺さん」「デビッド・コパフィールド」「ボヴァリー夫人」に至っては買って解説を読んだだけで本文は全く読んでいない。買って持っているという状況だけで安心し満足してしまったのである。★は買ってなおかつ読了したものだが、ごらんのように半分までいっていない。情けない。

 後に知ったのだが、モームには「世界文学100選」という短編のアンソロジーもあり、その前書きの中で「Tellers of Tales」つまり小説の中の小説として10編が選ばれている。つまり、モームの考える「これだけは読んでおかなければ話にならないよ」という古典中の古典である。

★セルバンテス「ドン・キホーテ」
☆ゲーテ「ヴィルヘルム・マイスター」
☆オースティン「高慢と偏見(プライドと偏見)」※
☆スタンダール「赤と黒」※
☆バルザック「ゴリオ爺さん」※
☆ディケンズ「デビッド・コパフィールド」※
☆フロベール「ボヴァリー夫人」※
★ブロンテ「嵐が丘」※
★ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」※
★プルースト「失われた時を求めて」

 7編が「世界の十大小説」と重複しているが(※印)、なんとこちらも★は過半数に届かなかった。スタンダールは「赤と黒」「パルムの僧院」ともに所持しておりこの二大名作には何度もチャレンジしているのだが生理的に合わないというのかどうしても読み通すことができない。「ヴィルヘルム・マイスター」は「修業時代」「遍歴時代」を合わせた筑摩世界文学大系の分厚い一冊本を買ったのだがその中の「美しき魂の告白」と題された短編部分を読んだだけである。情けない。

 最近読んだ清水義範「早わかり世界文学」(筑摩新書)の中にも「私が決める世界十大小説」というコーナーがあった。もっともここには叙事詩や戯曲も入っているので正確には「十大文学」と言うべきだろう。リストは以下の通り。

★ホメーロス「オデュッセイア」
★紫式部「源氏物語」
★シェイクスピア「ハムレット」
★セルバンテス「ドン・キホーテ」
☆ゲーテ「ファウスト」
☆バルザック「ゴリオ爺さん」
☆フロベール「ボヴァリー夫人」
★ドストエフスキー「罪と罰」
★トーマスマン「魔の山」
★プルースト「失われた時を求めて」

 おおっ、やっと過半数を越えた。「ファウスト」は第1部は読了しているから(あ、手塚治虫のまんがも読んでいるぞ)これを1/2と考えると全体の3/4、75%という数字になる。まずまずというところではないだろうか(と自己満足)。というようなことを書いていたら、自分でも「十大文学」を選んでみたくなった。

 というわけで、独断と偏見・私の「世界の十大文学」。
 世界文学の名作をすべて読むなどということはしょせん不可能であり、いわゆる「文学全集」に収録されたものですら全巻読んだことはない。まあ一般的な生活を送っている人よりは多少多くの作品を読んでいるのかもしれないが、私の読んだ名作・古典に対する割合など所詮たかがしれており、実に惨憺たるものである(情けないことに19世紀のフランス古典文学がどうしても読めず、ゾラ、バルザック、フローベルといった名だたるところが全滅)。
 当然入っていて当たり前のようなダンテ「神曲」、ゲーテ「ファウスト」、あるいはラブレー「ガルガンチュアとパンタグリュエル」、シェエラザードには悪いが「千夜一夜」などの諸作は入ってこない。本を買ってはみたものの、読んでいないからである。確かに若いころに乱読の時期がありアナトール・フランス「神々は渇く」、ゲオルギウ「25時」、ジュル・ロマン「プシケ三部作」など今ではほとんど読む人もいないようなものからギリシア・ローマ時代の「ダフニスとクロエ」「ビリティスの歌」「サテリコン」なんてマイナーなものまで手当たり次第に読んだのだが、当然のように「世界の十大文学」には入ってこない。ユゴー「レミゼラブル」、デュマ「モンテクリスト伯」、デュ・ガール「チボー家の人々」なんて長いものも読んだが、長いというだけではランクインできない。
 当然、客観的評価などというものも不可能である。要するに「私が読んだものの中で」というきわめて限定的なある意味偏見に満ちた選出であることをお断りしておきたい。人によってはベスト10入りしてもおかしくないフォークナー「八月の光」「寓話」「サンクチュアリ」なども読んだのだが生理的に合わないので落選してしまった。
 では、この私的リストを読むことで何か得るものがあるのかというと、実は何もない。単なる自己満足といういいかげんなものである。まさかそういう人はいないと思うが、ここに書いてある評価を盲信し読書の指針にしないようにお願いしたい。順位はつけておらず、だいたい書かれた時代順である。

★1★ホメーロス「イーリアス」
 大学に入れることが決まって真っ先に読んだのがこの本。歴史超大作映画大好き人間なので、要するに「ベン・ハー」などのスペクタクル大作として読んだのである(蛇足だが「ベン・ハー」の原作は駄作だった)。前回アップした清水義範リストでは「オデュッセイア」が選ばれているが、私は断然「イーリアス」の方である。多分、ロードムービー風の「オデュッセイア」より、長いトロイア戦争の中の断片をアキレウスの怒りとその結末という集中した形で描き出した「イーリアス」の方が生理的に合うのだろう(もっとも前半ちょっとよけいな寄り道があったりするのだが、おそらく後世の挿入だろう)。
 アキレウスが出陣しないので親友パトロクロスはアキレウスの武具を借りて出陣するがヘクトールに討たれる。アキレウスは母(女神テティス)から、ヘクトールを討てば自分も死ななければならないと告げられるがついに出陣し、ヘクトールを討つ。このあたりの手に汗握る迫力たるやブラピの主演した映画「トロイ」の及ぶところではない。ラストのヘクトールの葬儀も心に迫る静けさが満ちていて見事。
 「憤りの一部始終を歌ってくれ、詩の女神よ……」(「イーリアス」)「かの人を語れ、ムーサよ……」(「オデュッセイア」)なんて冒頭の一節を今でも覚えているくらいだからかなりの影響を受けたことは事実である。ただ、翻訳なので根拠はないが「イーリアス」と「オデュッセイア」では、どちらが出来が上かというようなことを抜きにしても、なんとなく語り口が違うような気がする。つまり、ホメーロスというかこの劇詩をまとめた人物がいたにしてもそれは両方を一人がまとめたのではなく、それぞれ別人がまとめたのではないだろうか、と思うのだがどうなんだろう?

★2★司馬遷「史記」
 「史記」は文学ではなく歴史書だろうが、という意見があるのは承知の上。もちろん「史記」は中国史の筆頭におかれる歴史書である。ただ、おいおいどこでそれ聞いてきたのというような奇譚や、おおっと思わず叫びたくなるようなエピソードなど満載なので文学として読めないこともない。
 周知のように著者の司馬遷は、李陵を弁護した罪で宮刑に処せられた男である。その深い思いが「史記」に投影されているのは言うまでもない。「史記」の最後にあたる「大使公自序」には次のような一文がある「……楚の屈原は放逐されて離騒を表し、左丘は失明して国語があり、孫ぴんは脚を切られて兵法を論じ、……韓非子は秦に囚われて説難・孤憤があり……、要するに、人はみな心に鬱結するところがあって、その道を通ずることができないために、往事を述べて未来を思うのだ」。
 この一文を読んだだけでも、「史記」が単なる歴史書ではなく、司馬遷の熱い想いを託された書であることは明白である。要するに、この「史記」の中に司馬遷の想いのすべて、全存在が投入されているのである。「項羽本紀」「高祖本紀」「越王句践世家」「留侯世家」「孫子・呉起列伝」「伍子しょ列伝」など、ううむとうなる名品揃い。しかも、話の後におかれている「大使公曰く」がこれまた絶品。たとえば「伍子しょ列伝」の後におかれた「伍子しょは……小義を棄て、……名を後世に垂れたのである」を読めば、司馬遷の生き方と重ね合わせざるを得ない。私は「大使公自序」の最後「百三十巻をもって終わった」という一文を読んだとき思わず拍手したくなった。読んだ人に生きる勇気と力を与えてくれる書物としては、これが第1位かもしれない。

★3★紫式部「源氏物語」
 なんとなく日本文学を代表するのはこれだろうなあと思いながらなかなか読めなかった。古文はそう苦手でもなかったのだが、ともかく「源氏」は難しすぎるのである。日本人なんだから原文で読もうと岩波の日本古典文学大系の一冊(全五冊)を借りてはきたのだが、少し読むたびに下の注釈を読まねば意味がとれず、そうなると全体のイメージがつかめなくて断念。その後、谷崎潤一郎訳の「源氏」が原文の雰囲気を残してとてもいいという話を聞きチャレンジしてみたのだが、それでも難しすぎて断念。今度は与謝野晶子訳を開いてみたのだが、これはちょっと現代的すぎてまたまた断念。もう「源氏」はダメかと思っていたところに円地文子訳に出会い、その新潮文庫五冊本でようやく読了できた。
 シェイクスピアの諸作や「ドン・キホーテ」などより600年以上もの昔にこれだけのものが書かれていたというだけでも驚きだが、そういった時系列を度外視してもこれは単なるエピソードの羅列ではない堂々たる構成をもった見事な長編小説である。全体としては親の因果が子に移りという流れなのだが、「夕顔」のようにホラーな部分もあって飽きさせない。「宇治十帖」は本当に必要だったのかという気がしないでもないが、最後の「夢浮橋」がいわゆる「意識の流れ」に大きな影響を与えたというのは容易に理解できる。プルーストがやろうとしたことを千年も前にやったということだけでもすごい。ちょった残念なのは本編の中に多くの和歌の評価。円地訳では和歌はそのまま載せ見開きページの最後に簡単な訳をつけるという構成で、それはそれでいいのだがその和歌がうまいのか下手なのかさっぱりわからないこと。「……という歌を詠まれ皆が感心した」というような記述があると、へえそうなんだと思うだけでなんとも歯がゆかった。

★4★セルバンテス「ドン・キホーテ」
 最初に読んだのは河出書房版の一冊本で全体を1/2ほどにダイジェストしたものだった。想像していた以上におもしろかったので筑摩の全訳二冊も読んでみたのだがやや退屈した(訳者はどちらも会田由)。途中で「無分別な物好き」「捕虜の話」など本編と全く関係ないような短編がいくつか挿入されていて流れが分断されるため、ストレスがたまるのである。
 なんとなく「おもしろ文学」の代表のように思われている(そして当時はおもしろくて笑えたのだと思う)のだが、有名な風車事件にしても私には痛々しくてとても笑えるものではなかった。少なくともデリケートな(^_^;私はそうだった。いったい、どこがおもしろいのか?と思いながら読んでいった。そんな「ドン・キホーテ」ががぜんおもしろくなってくるのは後編からで、前編が短編小説の羅列のようになっていて一向に深化してこないのとは対照的に、後編は魔法で田舎娘にされた姫の魔法(もちろん魔法とは関係なく本当の田舎娘である)を解くという本筋があり、これはエピソードの羅列ではない立派な長編小説の構成である。この後編があって初めて「ドン・キホーテ」は世界文学のベスト10入りができたのだと思う。
 後編における贋作の存在もまた作品の幅を広げている。ドン・キホーテはその贋作を読んでいるのである。だから作品の中でその贋作を罵倒したり、贋作に書いてあるからと行き先を変更したりというシュールな出来事が続出する。爆笑とはいえにいがニヤリの連続である。「アラビアのロレンス」ピーター・オトゥールが主演した「ラ・マンチャの男」はそんなセルバンテスを主人公にしたミュージカルで、ちょっと退屈なところもある映画だったが、牢屋の中のセルバンテスが読んで聞かせる「ドン・キホーテ」がそれを読むセルバンテスの生き方とオーバーラップする二重構造は「ドン・キホーテ」と贋作との関係をも思わせて見事。小説とは関係ないが「見果てぬ夢」を聞くと、これも生きる力を与えられ、感動で目頭が熱くなるのは歳のせいだけではないと思う。

★5★トルストイ「戦争と平和」
 今となってはいかにも19世紀的な長編で、少し古いかなという感じもしていた。それで今回この雑文を書くために少し読み始めてみた。すると菊判三段組みの筑摩世界文学大系の本がどんどん読めてしまうのだ。危ない危ない。うっかりすると向こう一か月仕事を放棄してずーっと「戦争と平和」を読み続けることにもなりかねない。これはおそらく「小説」という形式が19世紀でいったん完成し、その典型の一つが「戦争と平和」であるということなのだと思う。ともかく、「戦争と平和」はこの長い作品の全編に渡って安定していて揺るぎがない。
 「彼らのための三章」にも書いたことだが、アウステルリッツの空の記述などただ淡々とした空の描写があるだけなのだが、そこに恐ろしいほどの静けさと永遠が感じられる。もちろんトルストイはそうした意図をもってこの大長編を書いたわけだ。そのドラマの中でナポレオン戦争を軸にヨーロッパとロシアという「世界全体」を小説の中に封じ込めようという意図は見事に成功している。ふつう全体小説を書こうとすると細部がおざなりになるものだが、主要人物はもちろんのこと脇役まできちんと性格付けられ書き分けられている。ともかくこれだけの大長編なのに退屈せず、安心して読め、読後にある種の満足感を得られるという意味では比類のない小説である。
 小説の最後につけられているトルストイの歴史哲学エッセーにしても単独で提示されたら「なんじゃこりゃあ」というようなものだが大長編の締めくくりとして読むと実に味わい深い。それほど「戦争と平和」を高く評価しているにもかかわらず、三大長編の残りの二つ「アンナカレーニナ」と「復活」は未だに読み通せないでいる(「彼らのための三章」で読んだことにしてあるのは嘘です)。なぜだ?

★6★ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」
 「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」というのが、いわゆるドストエーフスキイの四大長編。海外の作家の個人全集を買ったのはドストエフスキーだけで四大長編については斜め読みではあるが全集(米川正夫個人訳)に入っていた創作ノートも読んだ(ただし全集すべてを読破したわけではない。およそ2/3に留まる。長いところではどうしても「未成年」と「虐げられた人々」を読了できない)。
 というようなことはともかくとして、ドストエフスキーの作品には一度読んだら一生忘れられないような印象的なシーンが必ずある。たとえば「罪と罰」の主人公ラスコーリニコフは老婆を殺す夢を見るのだが、実際の老婆殺しよりもこの夢の老婆殺しはリアリティーをもって読む者に迫ってくる。現実以上の現実と言ってもいい。そんな夢の中からやってきたように、それまで名前だけは出ていたスヴィドリガイロフが登場するシーンなど、私なら文句なしに座布団十枚進呈してしまう。「白痴」のムイシュキンが語る処刑のシーンや異様なほどの静けさが世界を支配している中でのラストシーン、「悪霊」のキリーロフの「ある一瞬があるのだ」と確信しての煌めくような自殺のシーンなど読んでもう何十年も経っているのに鮮やかに記憶している。
 そんな名作揃いの中でも一作だけということになると(本当は四作とも「十大小説」にランクインさせたいのだが)やはり「カラマーゾフの兄弟」ということになる。人間に本当の「自由」いうものがあるのか、あるとしたらその「自由」の重荷を背負って人間は生きていけるのかといった重いテーマをかかえながら、文句なしに話自体がおもしろい、というのがすごいところである。ただ、今回、亀山訳を読んだところ今まで以上にこれが未完の小説であることを痛感させられた。13年後のアリョーシャがどうなったのか、少し大げさに言えば人類にとって失われたものはあまりに大きいと言わざるを得ない。「カラマーゾフの兄弟」の感想についてはこのブログにも「亀山郁夫訳『カラマーゾフの兄弟』雑感」と題した一文をアップしてあるので参照していただきたい。

★7★ロマン・ロラン「ジャン・クリストフ」
 まあふつうこの小説は「十大小説」には入らないだろうなと思いながらもあえて入れてみた。理由は私が初めて読んだ「世界文学」だから(詳しくはこのブログにアップしてある「彼らのための三章」を見ていただきたい)。
 ベートーヴェンをいくらかモデルにしたような音楽家ジャン・クリストフの一生を描いた物語である。ちょっと鈍くさくて退屈するところもあるのだが、ともかく読み終えた。読んだのは高校生のときなので「三十歳までに何かを成し遂げられない奴は馬鹿だ」みたいな発言にも素直にうなずくことができた。なにしろ三十歳といえばそれまで生きてきた倍近い時間があるのだ(と思っていたら、「あっ」という間だったなあ(^_^;)。今、この部分を読むのは、さすがに辛い。ラストシーンの音楽が聞こえてくるところなど今にして思えばちょっとあざといのだがこれも高校生としては素直に感動でき、読み終わったときにはまちがいなく「読み終えた」充実感があった。私に「世界文学」の扉を開いてくれた小説として「十大小説」にランクインされる資格は十分にある。
 ただ、彼のもう一つの代表長編「魅せられたる魂」は内容もよく知らないのに読む気がせず、本を買ってもいない。ちなみに、こうした「成長小説」としてはトーマス・マンの「魔の山」も読んだ。これもそれなりにおもしろい作品だったのだが、主人公を取り巻く人間としてゼデムブリーニはよく描けているが、ナフタは(悪魔的人間を描こうとする作者の意図はわかるのだが)、たとえば「罪と罰」のスブィドリガイロフあたりと比べると完全にかすんでしまい、不満が残る。今ではあまり話題にもならない「チボー家の人々」なんてのも読んだが退屈なだけの長編だった。ジャックの父親などフョードル・カラマーゾフの生々とした造形と比べるべくもない。要するに、天才と単なる作家の差だと思う。あ、ドストエーフスキイと比べるなんてのは、ちょっと大人気なかったか。

★8★プルースト「失われた時を求めて」
 トルストイの「戦争と平和」が地理的な世界の全体像を描こうとした作品なら、「失われた時を求めて」は時間的な世界の全体像を描いた作品と言える。世間的にも20世紀を代表する小説という評価がほとんど定説になっており、私も反論するつもりはない。ただ、この小説、正直私には辛い部分がかなりあった。いわゆる「意識の流れ」という手法が難しいわけではない。作者に確固たるイメージがあるのだろう、ある意味、非常に論理的に描写されていて迷うところはない。
 困難なのは、そこに描かれている「文化」である。プルーストはさすがフランス人というか、絵画、音楽、演劇、から料理まで事細かに描写するのである。それが文化的素養のない私には何をいいたいのかさっぱり理解できない。ところが、そうした文化が物語に大きな変化をもたらしたりするのだから始末が悪い。途中何度も投げだそうかと思いながらも最後まで読み切ったときには苦役から解放された気分だった。
 それでも時の流れに風化しない小説を書こうと主人公が決意するラストは感動的であった。あまりにうまい締めくくりなので以後多くも小説が「採用」することとなる。私も「彼らのための三章」でちょっと真似てはみたのだが、比較できるレベルにないのはもちろんである。「失われた時を求めて」についてはなんとなく未消化な気がしているので近々、集英社文庫のダイジェスト版(それでも厚い文庫本で三冊もある)を読んで少しイメージを整理したいと思っている。
 「失われた時を求めて」の題名がでると必ず話題になるジョイスの「ユリシーズ」は新潮の全集の2巻本の上巻1/3ほどで断念。さっばり理解できませんでした。この手のものではビュトール「時間割」、ブロッホ「ヴェルギリウスの死」なども読んでみだがさっぱり。ロブ・グリエ原作の映画「去年マクエンバートで」は私が見た中での(出来が悪くて以外の)理解不能ナンバーワンである。

★9★室生犀星「密のあはれ」
 これまでの大作群と比べると中編で小粒だが日本文学からもう一つ。「おいおい、いくらなんでも『十大小説』には入らないだろう」と言われるのを承知でこの作品をあげておきたい。最初に断ったようにたいして読んでもいないような人間がおもしろがって「十大小説」を選んでいるのである。客観的な基準など初めっからないし、そんなものどこにもないと考えている。そう考えると、私としては「密のあはれ」をはずすわけにはいかない。日本の作家はたいていが若いころ書いたものが代表作になっているのだが(「雪国」の川端康成など)犀星は70歳を過ぎてから「密のあはれ」と、もう一つの代表作「かげろうの日記遺文」を書いている。こういう特異な作家はあと谷崎潤一郎くらいのものか。
 ともかくこの「密のあはれ」、全編会話の小説なのだが、別に難しい小説でもないので未読の人はぜひ一度読んでみるといいと思う。話自体も犀星を思わせる老作家(上山)が金魚とたわむれるというたわいのないもの。ところがこの金魚、人によって若い娘に見えたり金魚に見えたりするところがとんでもないのである。上山が講演会の席を見渡すと、金魚がいる。来ちゃだめだと言ったのにあいつ来てしまったんだ、と思っているとそのころ金魚は席が隣のおばさんに上山の知り合いで、「おじさまのむねや、お背中の上に乗って遊ぶ」こともあるなんてとんでもないことを言っている。おばさんには若い娘に見えるのである。上山のファンだというおばさん、呆れかえり、娘がしょっちゅう水筒の水を飲むのを不思議がるのみである。また、金魚は買い物に街へ出たりする!のだが、街の人たちには娘に見えるのに、その金魚を売った金魚屋からは「おーい金魚、元気にやってるかい」なんて声をかけられたりする。「(男は若い女が好きだが)きみより若いひとはいないね、たった三歳だからね」という上山の科白には抱腹絶倒。犀星作品としてはあまり有名ではないが、若い娘であり、金魚であるという二つのイメージを同時に成立させているこの「密のあはれ」は、世界文学としてみても言語表現の最先端を示しているような気がしてならない。

★10★フィリップ・K・ディック「ユービック」
 古典文学を読むにはそれ相応の知識と、ある程度の努力が必要である。プルーストなど読むと、自分の「文化」というものに対する知識の乏しさを痛感させられてちょっと情けなくもなる。が、そういった古典や大作だけが文学ではないのは当たり前のこと。娯楽として楽しんで読んで、しかも感動したり勇気が湧いたりするエンターテインメント作品ももちろん数多くある。最後にそんなエンターテインメント作品をアップしてみた。10番目の作品として選んでも問題ない水準だと思う。ただし、この最後の「座」はそのときの気分で変わるので、次回には全く違う作品がランクインしている可能性は大いにある。
 ディックの「ユービック」。SFである。ディックと言われてモビィ・デック(白鯨)しか浮かばない人には、映画「ブレードランナー(アンドロイドは電気羊の夢を見るか?)」の原作者である、と言っておこう。シマック「都市」、ブラッドベリ「火星年代記」、ベスター「虎よ!虎よ」、ブラウン「発狂した宇宙」、カートヴォネガット「タイタンの妖女」、クラーク「幼年期の終わり」「2001年宇宙の旅」など読み終わって、ううむ……とうなったSFはかなりあるが、今のところこれが1位か。ディックは人物の造形があまりうまくないので最初の1/3はちょっと苦労するかもしれないが、ともかく読んでみたらとしか言えない。主人公たちが地球へ帰ってきてからの展開は、エンターテインメントでありながら人間の存在と認識の不確実な深淵をのぞき込むようで、その怖さは比類がない。この作品のキーポイントは、「半生死」というイメージを考えついたところにあるのだが、考えてみればこのテーマは初期の「宇宙の眼」から一貫している。ただし、「宇宙の眼」では「半生死」の世界はただ並列的に並んでいるだけなのだが、この「ユービック」では直線的に掘り下げられている。そこにディックの作家としての成長があったのだろう。ミステリ的な味付けのある作品なのでネタを割らないように書いているが、デカルトの「我思う故に我あり」の成立しない世界の怖さが実感できる作品である。

☆以上。9と10については客観的にみて「十大小説」には入ってこないだろうなあと思いながらも個人の好みというか、オースティン「高慢と偏見」ならぬ「独断と偏見」で選んでみた。「そんなものに意味があるのか」と問われれば、私の個人的なMEMO以上の意味は全くないと答えるしかない。そもそもこんなブログに意味など全くないのである。こんなブログを読んでいる時間があるのなら、世界文学の名作でも読んだほうがよほど人生が豊かになる。これだけは断言できる。


☆どうしても読めない世界文学の名作・古典

 別に世界文学の名作を読まなくったって生活できないということはないのだが、名作と言われている作品が本当に名作なのかどうか確かめたい気持ちは若いころからずーっと継続してある(もちろん、そんなことには全く関心がないという人もいるだろう。批難しているのではなく、単に個々人の資質の問題だと言いたいのである。誤解なきよう)。
 そんなわけでとくに高校時代からかなりの文学作品を読んできた。納得の名作もあれば、よくわからない作品もあれば、明らかな駄作(あくまで私の評価である)もあった。社会人になってからも作家やいわゆる文芸評論家といった文章でなりわいを立てている人は別にして、ふつうの人より多少はその手の文学を読んでいるはずである。と思っていた。ところが、清水義範「独断流『読書』必勝法」を読んで驚いた。けっこう未読の名作があるのだ。それも古典的名作と言われるものがかなりある。
 焦るではないか。(^^;;
 まあ世界文学の名作を全部読破するなんてことはこの歳になっては、いや百歳の寿命があったところで間違いなく無理である。そこで、かつては読もうと思って買ったのにそのままになっている作品にはどんなものがあるのか、反省の意味も多少込めながら思い出して書き留めておくことにした。また、なぜ読まないのか読めないのかについても若干は考えてみた。時間がないわけではない。とすればつまらないのか、それとも難解なのかというようなことについても少し書いておく。(もっとも筑摩書房「世界古典文学全集」の収録作品については基本的にはここでは取り上げない。「仏典」や「禅家語録」まで広げたら収拾がつかないし、またモンテーニュ「エセー」など気が向いたときにぱらぱらと読むもので通読するようなものではないと思っている)
 
 ということで取り上げるのは、基本的に読むつもりがあり読みたいのだが読めない古典(小説)ということになる。まずフランス文学の文豪バルザック。
 文豪というと誰よりもまずバルザックの名前が思い出されるくらいの大物である。「谷間の百合」は高校生のかなり早い時期に「ゴリオ爺さん」と1冊になっている新潮社の世界文学全集で買った。が、解説を読んだだけで本文は10ページほど読んだところで早くもリタイア。バルザックの作品はある作品の脇役が別の作品では主人公だったりその逆だったりする形でつながっており、全体を「人間喜劇」なんて称するという生半可な知識があったため「幻滅」「従姉ベット」なども買ったのだが同じく沈没。バルザックに続く人物再登場作品が並ぶエミール・ゾラも「居酒屋」(これは「太陽がいっぱい」のルネ・クレマン監督の映画は見た。見ごたえはあったが重い映画だった)や「ボヴァリー夫人」など買ったものの、これまた全滅。
 いずれも社会全体をまるごと作品の中に入れ込んでしまおうとした長編だが、長さでいえば3倍も長いフランス文学のヴィクトル・ユーゴー「レ・ミゼラブル」やは読了できたのだから、やはり生理的に合わなかったと言うか原因はほかにあると考えるしかないだろう。
 では、作家によって生理的に合う合わないは決まるのかというと、バルザックやゾラは明らかにそうなのだが、そうでもない場合もあるから困ることになる。たとえば、ロマン・ロラン。高校生のとき彼の「ジャン・クリストフ」を読んで大きな感動を受けた。長さも「レ・ミゼラブル」と同じくらいでバルザックやゾラの諸篇よりも長い。ところが同じ作者で長さも同じくらいの「魅せられたる魂」はどうしても読み進めることができない。わずか数ページ読んだだけで眠くなってくるのである。私にとって作品の長さというのは全く苦にならないのだが、これはもう作品そのものに対する生理的関心度によると思うしかない。そうそう長いといえばマルタン・デュガールの「チボー家の人々」も長かった。最初の3巻は勢いでいけたが、後半はかなり苦しかった。これは作者や作品と生理的に合わないというよりも、その程度の作品だったということにしておこう。

 それでも、長さは関係ないと言ってはみたものの、プルーストの「失われた時を求めて」を読了したときは、ほとんど内容を理解していなかったにもかかわらず(演劇、美術、そして料理の話がけっこう出てくるのだが、そのあたりには全く疎いので理解不能)ともかく「読んだ〜」という自己満足的感動があった。存在するのは現在だけであり、過去は幻に過ぎず、未来はまだ来ぬ妄想にすぎないという時の流れを作品の中に固定してしまおうとする壮大な試みには惜しみなく拍手を送りたい(第一編の後半部「スワンの恋」など独立している部分はともかく、読み終わったときにはほとんど忘れているというのも、凄いというか情けない。さすがにもう一度読み直す気力はないので、集英社文庫の抄訳本でも読んでみようかと思うのだが、抄訳本でも3巻もあるのでまだ手が出せずにいる)。とまれ、ミッシェル・ビュトールの「時間割」なんていうアンチロマンも読んでいるくらいで、いわゆる「意識の流れ」を扱った小説が苦手というわけでない。
 にもかかわらず、ジェームス・ジョイスはどうしても読めないのが不思議。「若き日の芸術家の肖像」はそんなに長い作品ではないし難解なところなどないのだが、それでも読み通すのにえらく苦労した。「フェネガンス・ウエイク」は最初から諦めるとして、代表作の「ユリシーズ」は何度も挑戦してみたもののものの見事にその都度玉砕。「ユリシーズ」の骨格をなしていると言われるギリシア文学の古典「オデュッセイア」は読めてもジョイスの「ユリシーズ」は読めないのである(ついでに書いておくと、同じくホメーロスが書いたと言われる「イーリアス」の方が集中した劇的効果があり、ロードムービー風の「オデュッセイア」よりワンランク上というのが私の意見である)。「失われた時を求めて」と「ユリシーズ」は20世紀を代表する作品だという論も多く、そうなのかどうか自分自身で検証してみたいのだが、どうにもその一方が読めないのは我ながら情けない。

 高校時代に読んだサマセット・モームの「世界の十大小説」(岩波新書)にはトルストイからは「戦争と平和」ではなく「アンナ・カレーニナ」が選ばれている。「戦争と平和」を読んで感銘した私としてはぜひとも読みたい、いや読まなければと思うわけである。で、さっそく読んでみると「幸福の家庭はどこも同じようなものだが、不幸な家庭はその不幸な様子がそれぞれに異なっている」なんて名文句から始まる。ふむふむと読み始めたのだが10ページも読むと早くも退屈を覚えてしまい、それでも頑張って100ページ強まで読み進んだもののさっぱり頭に入ってこなくて遂に断念。数年経っての2度目のチャレンジも150ページあたりでまたしてもリタイア。別に文章が難しいわけでも構成が複雑に入り込んでいるわけでもないのに全く興味がわかず読み進めないのだ。「アンナ・カレーニナ」が読了できないので(というのも変だが)「復活」も買ってはみたものの解説を読んだだけで本文は全く読んでいない。世界文学の代表的な古典とも言うべきこれらの諸作が読めていないというのは情けないことだが、事実なのだから仕方がない。要するに「彼らのための三章」にこのトルストイの三大名作を次々に読んでいったように書いてあるのは大嘘である。
 トルストイと並ぶロシアの文豪ドストエーフスキイは米川正夫個人全訳の全集を買ったくらいで、主要な作品はほぼ読んでいるのだが、どっこい「未成年」だけはどうしても読み進めない。長さでは「罪と罰」と同じくらいの大作なのだが、富と権力を手に入れロスチャイルドを目指すというテーマがドスト先生にはちょっと異質だったのでは。「罪と罰」「白痴」「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」を俗に4大長編と言うが「未成年」を入れて5大長編とは言わないので、まあパスOKということにしておこう。

 次、ドイツ文学。ドイツ文学の古典と言えば、まずゲーテということになるのだろうが、そのゲーテがどうも……なので辛いところである。青春時代の読書のバイブルとも言える「若きヴェルテルの悩み」が読了こそしたものの(そして、この本を読んだときは私も十分に若かったのだが)、ぐじゃぐじゃ言って何悩んどるんだ、という感想しか持ちえなかった。これがつまずきの始まり。名作中の名作「ファウスト」に挑んだものの、第2部の途中で話がわからなくなり、それでも数十ページは頑張って読んでみたものの、ついに沈没。ならばと気を取り直して「ヴィムヘレムマイステル」に取り組んでみた。筑摩書房の世界文学大系の巨大1冊本を買ったのである。「修業時代」と「遍歴時代」の2部に別れていて、とくに「遍歴時代」は「ファウスト」第2部と同じように話が錯綜していてわかりにくいと親切にあらすじまで載っていたのだが、そこまで行かず「修業時代」の途中で断念、全く修業ができていないと言わざるを得ない。
 そのゲーテの正統的後継者はトーマス・マン。「魔の山」「ブッデンブローク家の人々」「ファウスト博士」と買って最後まで読み通せたのは「魔の山」だけというこれも情けない状態。「魔の山」は「彼らのための三章」にも書いたように夏休みいっぱいかけてじっくり読んだのがよかったのか、久々にいいものを読んだという気持ちで読了。ただし、トーマス・マンって悪人は書けない作家なのか、ゼデムブリーニまではそれなりの造形なのだが、ナフタは形にもなっていないのが残念。その勢いで後の2作にもチャレンジしたのだが、いずれも数十ページでかったるくなって断念。

 まあこのあと何年世界文学の傑作、大作がよめるのかはわからないが、まああまり無理せずに読めるものから読んでいこうと考えている今日この頃ではある。
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『TOSHI』シナリオ [短編・雑文]

 新撰組の土方歳三を主人公にした「TOSHI」を書いたあとで、知り合いの漫画家から漫画にしたいと言われて、第一回分のシナリオを書いた。が、シナリオを渡す前に私の入院騒ぎなどあり、そのままになってしまった。せっかく書いたので「プロローグ」としてアップしておこう。本編「TOSHI」は、まだ切り出しが終わらないのでもう少しお待ちを。

 幕府の御典医であり、後に明治政府の初代陸軍軍医総監にもなった松本順(良順)は、新選組副長・土方歳三のことを、こう書いている。
「歳三は、鋭敏沈勇、百事を為す雷の如し。近藤に誤なきは、歳三ありたればなり」
     *
 だっと刀が抜かれる。
(刀の素早い動きと、ぎらりと光る刀のアップ。人は入らなくてOK。ともかく質感のある刀がものすごい勢いで抜かれるところから入ります。)
「ひえーっ」
 と、驚きの悲鳴。六十がらみのほとんど白髪に近い親父が(刀屋の店主)が、腰を抜かしたようなかっこうであとずさりる。
土方歳三・ふうむ……。
 鋭い眼光で抜いた刀を値踏みする。「役者のようだ」と評されただけあって、いい男である(主人公です。残っている写真は三十半ばのもの。このとき二十九歳。あの写真をもっと若くした感じでかっこよく)。が、その目には人を斬ったことのある者だけがもつ独特の暗さと威圧感がある。
店主・お気にめしましたでしょうか?
 おずおずと尋ねる。
歳三・京へ上ることになったのでな。それなりの刀がいる。
店主・ほう。これはまた物騒な所へ。
歳三・だから、行く。
店主・…………。
歳三・おい。
店主・へ、へい。
 何しろ抜き身の刀をもっているのである。腰が引けている。
歳三・銘は?
店主・あ、はい。兼定でございます。
歳三・兼定?
 ぎろりと店主を見る。
店主・十一代和泉守兼定二尺二寸八分。お気に入りましたでしょうか?
歳三・???
 実は、刀のことなどまるど知らない(全体としては力作劇画だが、こういうところは目を点にしたりしてとぼけた感じを出す)。「銘は?」と訊いたのは、単にカッコつけただけのことである。兼定と聞いてもそれが名刀なのかどうかさっばりわからない。歳三の頭の中は、大混乱。大きく咳払いをして、
歳三・兼定というと、虎徹とどっちが上だ?
 訊いた。
 回想。歳三の頭の中のイメージ
 近藤・むふふふ……。
 にこにこしてやって来ると、ぎらり、いきなりと刀を抜く。
 歳三・あっぶねえ。
 思わず避ける。近藤、そんなことにはお構いなしで、
 近藤・見てくれ。虎徹だ。
 自慢げに言う。
 近藤・歳さん、何といっても武士は刀だよ。刀。
 ぐわっはっは……。豪快に笑う。
 再び刀屋の中。
店主・虎徹とですか?
 歳三の鋭い視線を受けておたおたしながら、それでもさすがに商人である。口元には商売笑いを浮かべている。
店主・まあこういうものはどちらが上かと言われましても、好みの問題としか言いようがありませんが……。確かに虎徹といえば蟷螂を切ったという伝説があるほどの名刀でございまして(そのイメージ)大名もほしがる刀でございますが、蟷螂が切れるからといって人も斬れるとは限りません。実戦といいますか、どちらが切れるかということになればそれはもう、……。
歳三・兼定か。
店主・はい。
歳三・ふうむ……。
 歳三、刀に見入っていたが、いきなり、
歳三・でやっ!
 斬る。
 導入のところのような、刀の動きのアップ。店主のもの凄い悲鳴。見れば、店主の前の小机が真っ二つになっている。その後ろで、店主、ほとんど気絶に近い状態。歳三、刀を見る。刃こぼれ一つしていない。「にやり」と笑って、刀を鞘に納める。
歳三・気に入った。いくらだ?
 売れるかもしれないとなるとさすがに刀屋の店主である。気絶寸前から瞬間的に回復し、すっかり勘定高い商人の顔になっている。
店主・さすがお侍さま。お目が高い。
歳三・世辞はいい。
店主・とんでもございません。入っていらしたときから私は只者ではないと……。
 あれこれかれこれぐちゃぐちゃとお世辞を言う。
歳三・ともかく、この刀、いくらなんだ?
店主・はいはい。刀は、いいお侍様にめぐりあうのが幸せというもの。せいぜい勉強させていただきます。そうですねえ……。これくらいでは?
 片手を広げる。
 ちょっと驚いたような歳三の顔。
 頭の中のイメージ。劇画というより漫画の顔になり、「五両!」「や、安い!」と、跳び上がって喜んでいる。
歳三・買おう。
 喜びを押し隠し、難しい表情を作り、懐から五両を取り出す。もったいぶって店主の前に置く。店主、五両を見て驚く。顔を上げて歳三の顔を見る。ちょっと小馬鹿にしたような表情になっている。
店主・お侍様、これは?
歳三・だから、代金の五両だ。
 店主、呆れたような顔になっている。
店主・ご冗談もほどほどにしていただきませんと。
歳三・何か?
店主・失礼ながら、物には相場というものがありまして……。
歳三・???
店主・腐っても、兼定でございますよ。中でも十一代といえば二代に次ぐ名工。それを五両などと、……。
歳三・しかし、亭主、今、確かに五両と言ったはずだが。
店主・お侍様、私も商売人でございます。
 商人の厳しい顔になっている。
店主・どこに兼定に五両などという値をつけるうつけ者がおりますか。一桁違います。
 びしりと言う。
 言われてみればその通りである。兼定なら五十両でも安い。しかし、歳三の手持ちは五両である。五両と五十両では交渉して何とかなるという差額ではない。とても歳三が買える刀ではない。かといって、刀を見てしまった以上、
「五十両では高くて買えない」
 と引き下がるわけにもいかない。
店主・どうなさいますか?
 言いながらも、すでに金のない客と見極めている。歳三の手にある兼定に手をかけ、仕舞おうとする。
歳三・待てい!
 兼定を、だっと抜く。
店主・ひ、ひえーっ!
歳三・こう見えても、拙者、耳はいい。
 ずいと店主に近づく。
歳三・拙者の耳には、確かに五両と聞こえた。
 顔を、ぐいっと店主の顔に寄せて言う。
歳三・聞き間違いではない。五両と言ったはずだ。
 じろりと睨んだ切れ長の目が、少し血走っている。そこに狂気の光が宿っている。明らかに人を斬ったことのある目である。
店主・……あわ、あわあわ……。
歳三・そうだな。
 抜き身の兼定を持ったまま、念を押す。歳三の顔が、さらに近づく。こうなると、もう顔自体が凶器である。
店主・は、はい。
歳三・よし。
 パチンと刀を納める。
歳三・これはおまけだ。
 自分の差してきた刀を店主に渡すと、
歳三・お主も商売上手だな。
 兼定を腰に差し、悠々と店を出ていく。
店主・……ほう。……。
 深い吐息と共に、その場に崩れ落ちる。命があったのが不思議なくらいのものである。
     *
 以下、簡単に当時の時代背景と、江戸時代の近藤勇を中心とする試衛館の面々、歳三の簡単な紹介。コミカルなタッチで。
 文久三年(一八六三年)。
 一八六〇年には「桜田門外の変」があり、井伊大老が斬られている。同年には、勝海舟が、咸臨丸で太平洋を横断。一八六一年には、皇女和宮が、政略結婚の犠牲となって将軍家茂に降嫁。翌、一八六二年には、「寺田屋事件」「生麦事件」と、日本史に残るような大事件が立て続けに起こっている。
(激動の時代をイメージさせるように各事件を重ねるようにして、さっと見せる)
 まさに、激動の時代である。
 この年、庄内藩の出で、北辰一刀流を収めた攘夷論者である清河八郎の発案による「浪士隊」の募集が行われた。名目は将軍が京へ上るにあたっての護衛。幕府から一人五十両の金も出るという。
「ご、五十両も!」
 驚きと笑いが一緒になった田舎者・近藤勇の顔。
「ようし。浪士隊に応募するぞ!」
 試衛館の面々に向かって言う。
 その中に、土方歳三の顔も見える。
 この頃、同じ多摩出身で近藤より一つ下の土方歳三は薬の行商もうまくいかず、近藤が師範をつとめる町道場・試衛館にころがりこんでいた(傾いた道場の建物。みすぼらしい「試衛館」の看板見せる)。
 というと聞こえはいいが、ようするにタダ飯食いの居候のようなものである。同じようにタダ飯にありつこうと住み着いてしまったのが他にも十数人もいる。
(てんこ盛りの飯をがつがつ食べている原田左之助や永倉新八、井上源三郎といった面々。各人のイメージは、小説の方からとってください。ただし沖田は、ラストでかっこよく登場させたいので、ここでは顔を出さないこと)
 このような脱藩者から百姓までが居候を決め込み、当時の試衛館は、一種、「水滸伝」の梁山泊のような様相をていしていたのである。
浪人1・ぜひ弟子に。
近藤・よいよい。まあ飯でも食ってけ。
浪人2・なにとぞ弟子に。
近藤・よいよい。まあ飯でも食ってけ。
浪人3・タダ飯を食わせてくれる道場というのはこちらかな?
近藤・よいよい。まあ飯でも食ってけ。
子供・おじちゃん、腹へった。
近藤・よいよい。まあ飯でも食ってけ。
 居候は、どんどん増える。
(中には得体の知れないような者もいる。浪人描き分けておもしろく。このあたりはパッパッと話が進む。絵はオーバーに描く)
 部屋の中得体の知れない連中がぎっしり集まってもくもくと飯を食べている。
近藤・ぶははは、人が集まるというのは、まあ拙者の人徳のいたすところかのう。
 大得意の近藤、拳を口から出し入れしながら上機嫌である。
 しかし、ちっぽけな町道場に明日はない。
町行く侍・(誰かにインタビューされているような構図で読者の方を向いて)試衛館? 北辰一刀流の千葉道場なら知っておるが。
 試衛館のボロ看板、かくんと落ちる。
 ひゅー、と木枯らし。
近藤・ありゃ、米が……。
 空の米櫃を見て、拳を口に入れたまま、呆然とする近藤。
近藤・ありゃ、金も……。
 財布を逆さにしても何も落ちてこない。
 どたどたと走ってきて、
近藤・歳さん、歳さん。金持ってないか?
歳三・あるわけないだろ。そんなもの。
 歳三、空の財布を振る。
近藤・実は、……。
歳三・何っ。米も金もない!
 思わず大声を出す。
近藤・しっ。
 道場の方から、「そろそろ飯の時間かなあ」という原田左之助の呑気な声が聞こえてくる。
近藤・どうしたもんだろ?
歳三・ふうむ……。
 考え込む。
近藤・彦五郎さんところで借りられないか?
 佐藤彦五郎。歳三の姉・おのぶが嫁いだ相手である。
歳三・あそこは、先月十両も借りたばかりだ。
近藤・そうだよなあ……。
 二人揃って、
「ううむ……」
歳三・仕方ない。押し込み強盗でもやるか。
(そのイメージ。こういうときのイメージは、どんどん悪い方へと流れていく。押し込んだのはいいが、すぐに捕まり、二人並んで獄門台に首をさらされている。それを烏が突っついている。)
二人・(顔を見合わせて)いや、押し込みはいかん。
 そんなときに耳に入ったのが、幕府・浪士隊の募集である。
「浪士隊に入れば、飯が食える」
 幕府の募集に応募するといえば聞こえはいいが、要するに「夜逃げ」のようなものである。しかし、京へ行けば勤王浪士と斬り合いになるのは必定。となれば、それなりの刀がいる……。
     *
 刀屋を出た歳三、にこにこしながら歩いて来る。
 立ち止まって刀を抜く。折からの月の光に、兼定がキラリ光る。
歳三・ううむ……。
 とてつもなく真剣な表情で何事か悩む。
「月光を 浴びて輝く 刀かな」
(歳三の詠む俳諧は、写植ではなく、絵の中に筆で書き込む。コマの外から近藤が「まんまやんけ」ちゃちゃを入れる。歳三、コマ外の近藤をポンと蹴飛ばしておいて→蹴飛ばされた近藤、口の中に拳を突っ込んだまま全身絆創膏)
 歳三、筆で書かれた自分の俳諧を見て、
歳三・ふむ。なかなかいい出来だ。
 一人悦に入り、刀を納める。
 その時、月に雲が差す。ふっと辺りが暗くなる。
 歳三、途端、厳しい表情になる。
 薄暗い空気の中に、何かが動いたような気がしたのだ。
 いや、気のせいではない。微かだが、殺気が感じられた。それも、一つではない。
(襲ってくるのは三人。黒い影で描いてください。当初はよくわからないので、ぼんやりとした影で不気味な妖怪のように描く)
 警戒しながら歩き出す。
 路地に影が隠れたように見える。
 ところが、路地の所まで来ても何事も起こらなかった。
 歳三、気のせいか?という顔をする。
 その時、
「きぇーっ!」
 いきなり頭上から影が振ってきた。慌てて兼定を抜き、刀を合わせる。青白い火花が散った。その横からさらにもう一つの刀が襲ってくる。さらに、もう一つ。相手は、三人である。
(このあたりの立ち回り、スピード感と迫力出してください。相手は流れるようなシルエットで、火花が散ったときは陰影を濃くして顔がはっきりとはわからないように)
 歳三、刀を持ったまま、だっと走る。
 逃してはならじと、三つの影が追う。
 歳三、いきなり向きを変え、中央の一番大きな影に斬りかかる。
 刀が合わさり、金属音と共に大きな火花が散った。相手の顔が見えた。髭面の大男である。
歳三・貴様!
(この瞬間、歳三には、相手が誰なのかわかったのである)
 歳三の頭に浮かんだイメージ(昼間の出来事の回顧。タッチ少し変える)
 この日の昼間。試衛館の道場の中
 (相手は、道場破りである。小説の第一章参照のこと)
 歳三の突きにどーっと飛ばされ気絶する大男。
 「おい。しっかりしろ」介抱する二人の仲間。
 (三人は髭面の大男、貧相な小男、痩せた浪人で描き分ける)
 歳三・死んじゃいねえよ……。
 気絶した髭面男を両脇から抱えるようにして逃げ去ろうとする三人の背中に、歳三のきつい一言。
 歳三・小便で顔でも洗ってから出直して来い!
 襲ってきたのは、その三人である。
 髭面男と刀を合わせている背後から不意に刀が襲ってきた。歳三は、間一髪かわした。刀が斬り裂く空気が感じられるほどの至近距離だった。
 飛び退きざま、刀を走らせた。
 手応えがあった。
 痩せ浪人、「うわっ」と刀を落とし、自分の腕を見る。肩から二の腕にかけて血塗れになっている。
痩せ浪人・わわっ、ち、血だ!
歳三・来るか!
 刀を向ける。
痩せ浪人・血だ。血が出てるよー。
 泣き叫びながら逃げて行く。
歳三・来るか!
 小男に刀を向ける。
小男・うわあ、待ってくれー
 その後を追うようにして、逃げる。
髭面男・うわっ、うわっ、うわっ。
 歳三の腕は、昼間の立ち合いでわかっている。刀をめちゃくちゃに振り回し逃げようとするが次第に追いつめられ、土塀を背負うような形になる。
 もう逃げられない。
髭面男・うぇをやぁぁーっ!
 意味不明の気合い発したが、突然、刀を投げ出し、がばと歳三の前にひれ伏す。歳三、予想外の展開に目が点。
髭面男・いいい、命ばかりは……。
 必死の形相で拝む。
髭面男・拙者、妻子のある身、なにとぞ。なにとぞ……。
 地面に額をこすりつけるようにして命乞いをする。歳三、急に馬鹿馬鹿しくなる。せっかく手に入れた名刀・兼定だ。こんな馬鹿を斬っても兼定の汚れである。パチンと刀を納める。
歳三・消えろ。
 一言言って、背を向ける。その時、髭面男の目がキラリと光る。道場で負けた腹いせに闇討ちをしようという男である。所詮、卑怯者なのである。さっき投げ出した刀を拾い、立ち去ろうと歩き出した歳三の背中に、いきなり斬りかかる。
 だっと斬りかかってくる刀を、歳三、身を翻してすれすれに避ける。その時には歳三すでに刀を抜いている。
 歳三、上から下へ、ズンと斬り降ろす。
 髭面男は両断され、歳三の刀は漫画のコマまでも同時に両断している。
(このコマ、大きく)
歳三・斬れる!
 満足げに兼定を納める。
「お見事!」
 突然、声が掛かる。
 ギョッとして声の聞こえた方を見る。
「これで目録はないなあ。十分に免許の腕はありますよ」
 影から少しひ弱とも思えるひょろりとした青年が出てくる。
歳三・なんだ総司か。
沖田・なんだはないでしよう。
(「やっと出番がきたと思ったのに……」ぶつぶつ言っている)
歳三・京へ上る前祝いだ。一杯やるか。
 沖田、にこりと笑って頷く。清々しい笑顔である。
     * 
 この時、土方歳三 二十九歳。沖田総司 二十二歳。青春の盛りである。

未完
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化石公園の伝説 [短編・雑文]

化石公園の伝説

「ふうむ…、この鍵が事件の謎を解くキーだな」
「そんなものがキーだなんて、キーてないよう」
 テレビでは、新進の漫才コンビ《ポット&ジャー》が、くだらない駄洒落を連発している。
 どこがおもしろいのか俺にはさっぱりわからないが、妻が、
「くっくっ」
 と笑いをこらえながら見ているところをみると、それなりにおもしろいのかもしれない。しかし、
−こんな無意味なことで貴重な休日を潰したくない。
 と、思った俺は馬鹿馬鹿しくなって外へ出ることにした。
 雲ひとつない快晴で、虫干しするにはもってこいの天気だ。久しぶりに少し歩きたくなった。
−さて、どこへ行こうか。
 と家の前で考えていると、突然、声をかけられたのだった。
「おや、《靴》さん、どこかへお出掛けですか」
 びっくりして振り返って見ると、町内の長老、《傘》である。
「あ、これは《傘》さん」
 このところ晴天が続いていたので、《傘》に会うのも久しぶりである。俺が生まれた時にはもうおっさんだったのだから、結構な年のはずなのだが、所々に破れが目立ち始めた以外は、褪色もなく折り目もびしっと決まっていて相変わらず元気そうだ。
 きちんと折り畳まれた姿には、単に体に気を使っている、というだけでなく風格というか老人としての折り目正しさとでもいったものが感じられる。
−彼のように年をとりたいものだ。
 と思いながら、俺は言った。
「いや、別に当てはないんですが、天気もいいので虫干しを兼ねてちょっとぶらぶらと。まあ、出歩くのは、《靴》としての私の本能みたいなものですから」
「なるほど、畳の上の《靴》さんというのはあまり絵になりませんからねえ」
 そう言ってうなずいた後、《傘》は少し不思議そうな顔をした。
「奥さんはご一緒じゃないんですか?」
「《ハイヒール》ですか」
「はい」
「あいつは家で寝てますよ」
「寝てると、いいますと、どこかお体の具合でも?」
「いえ、単なる怠惰です」
「はは。そんなこと言わずにせっかくの天気なんですから、ご一緒なさればいいのに」
「そうなんですよね、せっかくの天気なのに。あいつは《靴》のくせに歩くとヒールが減ってスタイルが悪くなるとか言って、出歩くのはあまり好きじゃないんですよ」
「なるほど、なるほど。しかし、たまには奥さんのすらりとしたおみ足も目の保養に拝見したいものですなあ」
「それこそ目の毒ですよ。寿命を縮めるようなことをしちゃいけません。ところで《傘》さんは、−」
 どちらへ、と言いかけて、俺は、
−おやっ?
 と思った。《傘》が出歩くのは雨の日と決まっているはずなのだ。
「あの、《傘》さんこそどうかなさったんですか。こんなに天気がいいのにお出掛けなんて」
「はは、《傘》ってものは別に雨が好きなわけじゃないんですよ。うちの親類には天気の日にしか外出しない《日傘》なんてのもいますからね。ま、私も雨が嫌いというわけでもないのですが、たまには乾かさないと黴が生えてしまいますから。ほら、この骨の所など少し錆かかってるでしょ」
 《傘》は、体を少し開いて中を見せてくれた。下から覗いて見ると、言われる通り銀色の骨の所々が茶色っぽくなっている。
「なあるほど。でも、最近の若い《傘》には見られないような太くてしっかりした骨組ですねえ。まだまだ現役で十分いけるじゃないですか」
「はは。《靴》さんはお世辞がうまいですねえ」
「いや、これほど太い骨組の《傘》なんて最近はめったにありませんよ」
「ま、流行遅れということですかね」
 しかし、言葉とは裏腹に誉められて悪い気はしないのか、《傘》はうれしそうに笑いながら体を閉じた。
「ま、健康だけが取りえですから」
「どうです、私もこれといった用事はないですし、もしあれでしたらちょいと時間潰しを兼ねて、その辺りを一緒にぶらぶらしませんか」
「いいですねえ。一人でぶらぶらするより二人で世間話でもしながら歩く方がずっと楽しいですからねえ。どうです、今日は天気もいいし、少し足を延ばして、ひとつ化石公園へでも行ってみませんか」
 というわけで、俺と《傘》は一緒に散歩することになった。
 こういう天気のいい日は湿気が飛んで実に気持ちがいい。最近、《百科事典》が、
「湿気追放が長生きの秘訣」
 という学説を発表していたが、うなずけないこともない。
 途中で出会った《三輪車》が、
「乗せてあげましょうか」
 と、親切に声を掛けてくれたが、急ぐ用事もないので、我々は世間話をしながらゆっくりと歩いた。
 《パソコン》と《ワープロ》が《プリンター》の取り合いで大喧嘩したとか、《パンティー》を盗み撮りした《カメラ》が猥褻罪で捕まったとか、《眼鏡》家自慢の美人娘で、「眼鏡小町」と謳われた《コンタクト》が家出して未だに行方不明だとか、《傘》老人は実に町内の様子に詳しい。しばらく姿を見ないと思っていた《ベータ・ビデオ》が珍品国宝に指定されたとか、《洋服ダンス》から追放された《ハンガー》がハンガーストライキをやっているとかいう話もこのとき初めて聞いた。
 そんな話をしながら二十分も歩くと化石公園に着いた。
 化石公園は、我々の前の時代の生物の化石が数多くあることで知られるこの辺りでは有名な公園である。《シャベル》と《スコップ》が穴掘り競争をしていて偶然見付けたものである。それが大々的に発掘され、今では「化石公園」としてきれいな整備された公園になっていのである。
 我々の前の時代の生物といえば何よりもまず木が思い浮かぶが、そして木の化石は確かに多いのだが、化石公園にあるのは、木の化石だけではない。
 池の底には魚の化石が沈んでいるし、枝に猫の木の化石が乗っている天然記念物「猫木」もある。木の化石の陰で抱き合ったままの人間の男女の化石もある。
 男女の化マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#マ#オた無機物には意識というものがあるのだろうか?
 世界的な哲学者《考える脚》の学説では、「意識はない」ということらしく、それが定説になっており俺も異論はないが、
−意識のない人生なんて実につまらない、いや、そもそも意識のない人生なんて人生とも言えないではないか。
 と、そんなことまでつい考えてしまう。
 公園の広場を《シーソー》と《ブランコ》がジョギングしている。木陰で遊んでいるのは、《空き缶》の子供達。その向こうの人間の化石に寄り添うようにして座っている白い《ジャンパー》と《赤いスカート》は、恋の語らいでもしているのだろうか。すべてが光の中で生き生きと輝いている。
 それが生命というものだ。
 生きている、ということだ。
 そんな光景を見ていて、俺は、しみじみと思った。
−《靴》に生まれてきて本当によかった。 と。
「…しかし、それにしても《新聞紙》君は、惜しいことしましたねえ」
 俺と同じように黙って辺りの景色を見詰めていた《傘》が、突然、何かを思い出したように言ったのだった。
 そのしみじみとした妙に落胆したような声が俺を現実に引き戻した。
「えっ、《新聞紙》君がどうかしたんですか?」
−おや、まだご存じない。
 という顔をした《傘》は、体を開いて驚きを表現した。
「《新聞紙》君、つい先日、お亡くなりになったんですよ」
「ええっ!」
 驚くとは、こうこうことをいうのだ。
 《新聞紙》といえば、妻の《折り込みちらし》との仲もよく「おしどり夫婦」として有名で、また町内きってのインテリ夫婦としても尊敬されている存在だったのだ。
 俺も、何度か夫婦喧嘩の仲裁をしてもらったことがある。
「そういえば最近見かけないと思ってましたが−。で、死因は何なんです。酸性紙特有の疲労性黄変死ですか?」
「それがですねえ、…」
 《傘》は、深い吐息をついた。
「何と言うか、まあ相手が悪かったんでしょうねえ」
「相手が悪い、といいますと?」
「殺されたんですよ」
「こ、殺された!」
 一瞬、息が止まり、靴紐がだらしなく緩んだ。
「だ、誰なんですか、いったい、その、《新聞紙》さんを殺した犯人は?」
「あなたも知ってるものですよ」
「私も知ってる?」
「《ライター》ですよ」
 温厚な長老にしては珍しく、《傘》は、吐き捨てるように言った。
「《ライター》!」
−あいつか。
 と俺は思った。
−あいつならやりかねない。
 町内でも札付の無法者《ライター》は、別名ジッポともいい、近付いただけで油の匂いがする、年中シンナー中毒のような奴なのだ。体つきも武骨で、インテリの《新聞紙》とはおよそ対極にある無学者である。
「で、原因は何なんです?」
「………」
 その時、俺は、ある重大なことを思い出した。
「しかし、《傘》さん、ちょ、ちょっと待って下さい。《ライター》は確か、以前《カーテン》さんを燃やそうとして刑務所へ入れられたんじゃなかったですか。私の記憶ではまだ期限は残っていたはずですが」
「それが出て来たんですよ」
「出て来た?」
「はい」
「また、どうして?」
「ああいう奴に限って権力には弱いですからねえ。刑務所の中では模範囚で、刑期がまだ三分の一も残っているというのに、一か月ほど前に仮釈放されたんですよ」
「で、でも、原因があるでしょう。原因が。いくら《ライター》がやくざな奴だといっても訳もなく殺しをやるとは思えませんが」
「勿論、原因はあります」
「自分の無学を笑われて、かっとなったとか?」
「いや」
「油臭いと言われて怒りに火が点いたとか?」「いいや」
「だったら、何なんです、いったい?」
「………」
 《傘》は、なぜか急に口ごもった。
「いろいろありまして、原因までは、ちょっと私の口からは…」
 その時だった。
「浮気よ。浮気」
 我々の知的な会話に、突然、けたたましく甲高い声が割り込んできた。
 驚いて横を見ると真っ赤な色が飛び込んで来た。《帽子》だった。町内でも有名な情報通のおしゃべりおばさんである。
「まさか…」
「嘘じないって」
「だって、あそこは、−」
「有名なおしどり夫婦だって言いたいんでしょ」
「まあ、−そうですが」
「ほほほ、若いわねえ。《靴》ちゃん」
「すると、違うんですか?」
「勿論のもちもちよ。あなたねえ、夫婦の仲ほど外から見てわからないものはないのよ。あそこ、夫婦揃ってインテリでしょ、だから何も形ばかりのお上品なものだったのね。そんなところに現れたのが、刑務所でずっと女に縁のなかったため、いつもにもまして油ぎった《ライター》なのよ。《折り込みちらし》ちゃん、そんな粗野なところににひかれちゃったらしいの。何でも最初はレイプまがいのものだったらしいけど、その荒々しさが忘れられなくなっちゃったのね。私、《本》さんに見せてもらったことがあるんだけど昔、人間にもチャタレイ夫人って同じような人がいたらしいわよ。ね、私も座っていい」
「あ、ど、どうぞ」
 俺は、あわてて化石の足先に移動した。併せて《傘》も化石の胴体の部分に移動する。どういう理由か《帽子》は人間の化石に座る時は、頭の部分にしか座らないのだ。
「ありがと。それでね、しばらくは旦那の留守に隠れてやってたらしいんだけど、ばれちゃったわけ」
「ばれた。−」
「そうなの。《折り込みちらし》ちゃんの体に《ライター》の油のしみがあったのね」
「そりゃあ、怒ったでしょう、いくらインテリだからって《新聞紙》さんも」
「怒ったも何も、二人が会っている現場に血相変えて乗り込んだのよ」
「で、どうなったんです?」
「だから、相手が悪かったと言っただろ」
 ぽつりと《傘》が言った。
「そうなのよねえ」
 いつもは陽気な《帽子》おばさんの口調も心なしか沈んでいる。
「《新聞紙》さん、怒り狂って《ライター》に殴りかかったのはいいけど、相手は金属で自分は《新聞紙》でしょ、いくら殴っても全然きかないわけ。で、《ライター》がぼっと火を点けたらたちまちめらめらと燃えて一巻の終わり。破られたくらいならまだ《セロハンテープ》さんに治してもらえたんだろうけど、灰になっちゃったらもうおしまいよね。風でさーっと飛んじゃって、−残酷よねえ、死体も残らないなんて。《折り込みちらし》ちゃんもショックのあまり、窓から身投げして風に吹かれてどこかへ飛んで行っちゃったし…。もう止めましょ。こんな暗い話」
 短い沈黙があった。
 聞こえてくるのは、《空き缶》の子供達の明るい笑い声。
「命あるもの、いつかは滅びるんじゃて」
 《傘》が、しみじみと言った。
俺は胸に込み上げるものを感じながら、雲一つない青空を見上げて思った。
−人間のような無機物はいいなあ。死ぬということがないのだから……。

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The TANS [短編・雑文]

The TANS



 目の前を、いきなりタンスが通り過ぎて要った。
−−な、何なんだ。今のは?
 突然の出来事に俺は、ぎょっとして立ち止まった。が、考えてみれば、タンスが走るはずがないのである。
−−−−何かの見間違いなのだろう。
 と思いながら、振り返った。
 タンスはちょうど角を曲がるところで、タンスとその下の足の一部だけがちらりと見えた。何を考えているのか、タンスを運んでいる男の足は、裸足だった。
−−引っ越しか。
 と、俺は納得した。
 しかし、引っ越しにしても裸足でタンスを運ぶなんてさすが下町である。おそらく江戸時代から大切なタンスは裸足で運ばなければならない、とか何とかいうしきたりでもあるのだろう。今となってはそういう古いしきたりにたいした意味はないが、なかなか情緒があるではないか。
−−これは、いいものを見せてもらった。
 と思いながら、俺はそのまま角を曲がり、宇野万物の玄関のチャイムをならした。
 宇野万物は高校時代からの親友で、天才肌のちょっと気難しいところのある男なのだが何となく俺とは気が合い、大学も違ったのにもう十年も付き合いが続いているのだった。今日は会社の仕事で彼の家の近くまで来たので挨拶がてら寄ったのである。
 返事はなかったが、念の為ノブを捻ってみると、ドアは簡単に開いた。
−−あっ寝ているんだ。
 と、思った俺は、
「ごめんください」
 ノブに手を掛けたまま呼んでみた。が返事はない。改めて、
「宇野。佐々木だけどいるか」
 一応隣近所を意識した範囲内で大声を出した。
 もう午後の二時なのだが、
「おもしろいものを発明しから見に来いよ」 と、夜中の三時に電話を掛けてきたり、
「タバコを切らしたから」
 と公園にモク拾いに行ったり、世間の常識などというものには全く無頓着な奴なのである。
 まだ寝ているに違いないのだ。
 しかし、ドアを開け放したまま寝ているなんていつもの事なのだろうが、
−−不用心極まりないなあ。
 と、思っていると、
「……本当に佐々木か?」
 数秒遅れて返事があったのだった。
 妙に小さな声だが、間違いなく宇野万物の声だった。
 いくらか元気がないように聞こえるのは、俺の予想通り寝ていたためだろう。俺は宇野がぼさぼさ頭で目をしょぼしょぼさせながら出て来るのを待った。
 ところが、いくら待っても出て来る気配がないのだ。
−−空耳だったのだろうか?
 何となく薄気味悪くなって、俺はもう一度静まり返った家の中に声を掛けた。
「おおい、宇野」
 今度は、すぐに返事があった。
「本当に佐々木か?」
「佐々木だよ」
 声の主が間違いなく宇野だとわかった俺は、そのまま中に入り、後ろ手にドアを閉めながら答えた。
「本当に本当に佐々木だな」
 前々からくどい奴ではあったが、それにしても今日の宇野は、妙にくどい。
「本当に佐々木だよ。佐々木良雄だ。どうした、入ってもいいんだろ」
 何か実験の途中なのか、久しぶりに来たというのに出迎えようともしない。まあ、いつものことといえばいつものことなので、こちらも別に気を悪くすることもない。そのまま待っていると、しばらく遅れてから返事があった。
「……悪いけどドアに鍵をかけてから研究室の方へ来てくれないか」
 言われなくてもそうするつもりだった。これでは、泥棒に入ってくれ、といっているようなものである。ただ、それにしても、
−−鍵くらい自分でかければいいのに。
 と思いながらも俺は言われた通りにすると、彼の研究室へ向かった。この家には何度も来ているので広い家だが迷うことはない。
「どうせ昼飯、まだなんだろ。何かうまいものでも食いに行こうぜ」
 言いながら、俺は勢い良く研究室のドアを開けた。
 途端に声を失った。
 宇野万物は、そこにいた。
 しかし、それは宇野の頭だけなのだ。
 いや、もっと正確に言おう。首から上は確かに宇野だった。が、しかし、その首から下は何とタンスなのだ。
 タンスといっても何のことだかわからない読者のために遅ればせながら簡単に説明しておこう。
 タンスとは家具の一種で、主に木でできており、服とか下着とかを入れる引き出しが五段ほど並んでいるものなのである。どうでもいいことだが、箪笥と難しい字を書く。
 入れる服の種類によって洋ダンス、和ダンスに分かれる。ダンスといっても勿論踊りのことではなく、タンスが音便変化してダンスとなったわけである。
 似たものに食器をなどを入れる家具があるが、あれは食器棚といい、決して食器タンスとはいわない。念のため。
 生きていてしゃべることのできる人間の首から下が、そのタンスなのだから、これは驚かないわけにはいかない。
「どど、どうしたんだ。いったい?」
 俺は研究室の入り口に立ち尽くしたまま、ようやくそれだけ言った。
「ご覧の通りだよ」
 宇野は俺の驚きぶりが面白いのか、にやりと笑って言った。しかし、
「ご覧の通り」
 と言われたところでとても納得できるものではない。
「悪い冗談はよせ」
「悪い冗談?」
「いや、冗談というかなんというか?」
「おい、佐々木、」
 宇野は、不意に真顔になって言った。
「俺はな、ついに成功したんだよ」
「成功したって、その、人間とタンスを合体させて何の役に立つんだ」
「いや、これは結果であって目的ではない。いいか聞いて驚くなよ。俺は、ついにやったんだ。佐々木、俺は物質電送機を完成させたんだよ」
 驚くな、と言うほうが無理である。
 言われて改めて見ると、宇野の後ろには見慣れない大きな機械が三メートルほどの間をおいて並んでいる。
「物質……?」
「そうだ。あらゆる物質を粒子に分解し、電波に乗せて送り送られた先で再構成する機械だ。これが実用化されれば飛行機も電車も自動車もすべての輸送機関が不要になる。それだけじゃない。送られるスピードは光の速さだから秒速三十万キロ。つまり、世界のどこへでも瞬時に行けるというわけだ」
「信じられん…」
 そういう話はSFである。鉄腕アトムの世界である。それが、
「現実になった」
 と言われたところで俄かに信じられるものではない。俺は動揺を隠すためとりあえずタバコに火を点けた。
「俺にも一口吸わせてくれないか」
「吸わせてって、お前、禁煙したんじゃなかったのか」
 俺は、壁に貼ってある《禁煙》と書かれた紙を指差した。
「そのつもりだったんだが……」
 後は聞かなくてもわかっている。研究には寝食を忘れ、何度失敗してもしつこく続けるくせに、禁煙となると高校時代から別人のようにまるっきりだらしがない奴だったのだ。毎年、いや毎月のように禁煙宣言をしては一週間ほどでそれを破っているのだ。俺が知っているだけでも彼の禁煙宣言は五十回にはなる。
 つまり宇野は知り合った時からタバコを吸っていたのだから、毎月のように禁煙してはその都度破っているというわけだ。
「しかし、」
 俺は、宇野の口にタバコを持っていき一口吸わせてやりながら言った。
「今の話、本当にマジなのかよ?」
「現実だ。この俺の姿が証拠だよ」
「タンスと合体することがか?」
「だから、これは目的じゃなくて結果だと言っただろ。俺がこんな状態なのに悪い冗談はよせよ」
「すまん、しかし、こうして見るとなかなか面白い構図だぜ」
「まあそれは認めんでもないが、」
 宇野は、苦笑した。
「これはちょっとしたミスでな」
「ミス?」
「そう、単純なミスなんだ。実は、今までスプーンとか本とかいろいろなもので実験して、成功してたんだ。そこで、自然の成り行きとして、今度は少し大きいものでも実験してみようと思ったわけだ」
「それで?」
「家にある大きい物の代表といえばタンスだ。それで、電送機にタンスを運び込んだんだ。ところが俺が電送機から出ないうちに誤ってスイッチが入ってしまった、というわけなんだよ」
 と言われても何のことだかわからない。俺はただ呆然としてタンスの上の宇野の顔を見詰めた。
「つまりだ、この右側のある機械の中で俺とタンスは粒子に分解され、ごちゃごちゃに混じりあった状態で左側の機械に送られて再構成されたというわけだ」
「粒子が混じりあってたから、そんなになってしまったと言うわけか?」
「そうだ」
「馬鹿な」
 と言おうとした途端、俺は、ふと、
−−これは、宇野一流のおもしろくもないジョークなのではないか。
 と思ったのだった。
 宇野が天才であることは認めるにしても、いくらなんでもこれではあまりに話が突飛過ぎる。
−−訪ねて来た人を驚かせようと、タンスをくり抜いて中に入っているだけなのではないのか。
 そう思った。
「わかった、わかった」
「本当にわかったのか?」
「勿論。だから宇野、いいかげんに悪い冗談は止めてタンスから出て来いよ」
「やっぱり信じてくれないのか」
 宇野の言葉には微かに落胆の色が感じられた。
「ああ、信じないね。人を驚かそうと思ったらもう少し現実的な話を考えなくちゃ。たとえば、お前とタンスの粒子が混じり合い、首から下がタンスになってしまったと言うのなら、もう一つ首から上がタンスで下がお前というものがあるはずじゃないか。しかし、こうして見渡したところそんなものはどこにもないぞ」
「そこなんだよ、問題は」
「問題?」
「そうなんだ。問題は、上がタンスで下が俺の存在なんだ」
「というと、あるのか、そんなものが?」
「ああ。−−いや、正確には、あった、と言うべきなんだろう」
「あった?」
「そうなんだ。タンスの奴、というか首から下は俺だからやはり俺と言うべきなのかもしれんが、動けるようになったのがよほどうれしかったのか、俺のこんな状態をあざ笑うように出てってしまったんだ」
「でで、出てってって、どこへ?」
「外へだよ」
「外!」
 と言ったきり俺は危うく気絶しそうになった。
「もしかすると、−−あれが、そうだったのか!」
 宇野の家へ着く直前に見た裸足のタンス引っ越し男。
 あれは、裸足の男がタンスを担いでいるものだとばかり思っていたのだが、今の宇野の話を聞いてみると、確かにその男の顔を見たわけではない。
「そ、そりゃあ大変じゃないか」
 などと言っている場合ではなかった。
 考えてもみたまえ。首から上がタンスの人物が町中を徘徊している光景を。
「そこなんだよ!問題は!」
 宇野のタンスの引き出しが、ひょいと飛び出し、ばたんと勢い良く閉まった。一瞬、ぽかんとするが、宇野が物事を強調する時にぽんと膝をたたく、あの代わりだと俺は好意的に解釈することにして、ここへ来る途中で見たもののことを話した。
「間違いないな」
 宇野は、即座に断言した。
「その時、捕まえておいてくれればなあ」
「申し訳ない。まさか、タンス男とは考えもしなかったんでな」
「そうだよな。それが普通だよな」
「しかし、あれがそうだとするといったいどこへ行ったんだろう?」
「まあちょっとした散歩なんだとは思うが、何しろ生まれて初めての散歩だからな。どこをどうほっつき歩いているのか…?」
「確かにそうだよな。しかし、困ったな、それは。もし道に迷ったとしても、顔がタンスでは電話も掛けられないし、人にきくこともできんし、…」
「そうなんだ。そこで頼みたいんだが、佐々木、そういうわけだから、ひとつ俺の片割れを探してくれないか。もう一度あれを粒子に分解し再構成すれば、また元の俺に戻れるはずなんだ」
 宇野の言うことは、わかる。
 彼の悩みもわからないわけではないが、俺は大きな溜息をつくと、
「ううむ……」
 と、思わず唸ってしまった。
 友達なのだから出来るだけ彼の役に立ってあげたいという気は勿論ある。しかし、当てもなく闇雲に町へ出て行って、
「あのうタンス男、見ませんでしたか」
 と、きくわけにもいかないではないか。
《危ない人間》の烙印を押され、警察に通報され、病院に収容されるのがオチである。
「そうだ。宇野、この部屋にテレビあるか」「そこにあるが、何か」
「ちょっと点けてみようぜ」
「いいけど。…」
「タンス男なんて奇妙なものが突然現れたんだ。俺だってびっくりしたくらいなんだから、ニュースになっていないわけがないぜ」
 俺の勘は当たっていた。
 テレビを点けた途端現れたアナウンサーは、いきなり、
「…それでは、タンス男事件の続報です」
 そう言ったのだった。
「おい、やっぱりやってるぜ」
 宇野の顔にも、ほっ、とした表情が現れている。これで宇野の片割れの居所もわかる。とすればこの奇妙な事件も一挙に解決だ、と俺は思った。
 まあ警察には世間を騒がせたということでしかられるだろうが、タンス男を取り返し、再び宇野とタンスに分ければ、もう二度とタンスが歩き出すことはないのだ。
「タンス男は、墨田区の《なかよし幼稚園》の良い子達を驚かせた後、隅田川で立ち小便をして…」
「なかよし幼稚園だな」
 俺は、宇野の返事も待たずに飛び出した。なかよし幼稚園なら以前、会社の仕事で行ったことがあるので場所はわかっている。ここから歩いて二十分ほどの所だ。
 ところが、
「おもちろかったよー」
「こわかったよー」
「やぎぞばたべたい」
 園児達の答えは、さっぱり要領を得ないのである。
「で、そのタンスはどっちへ行ったの?」
「あっち」
「ちがうよ。こっちだよ」
「あっちだってば」
「え〜ん。ひでちゃんがぶったー」
 それでも辺りを歩き回った俺は、一時間ほどして足取りも重く宇野の家へ帰った。
「やっぱ、だめか」
 俺の顔を見た途端、そう言ったくらいだから、よほど疲れた顔をしていたのだろう。
「何かニュースは入った?」
「いや、あの後はまだ」
 宇野がそう言った時だった。
「たった今、入りましたタンス男の続報です」 タイミングよく先程のアナウンサーの顔が写ったのだった。
「−−町中に突然現れ、頭にタンスをかぶり下半身丸出しという奇妙なスタイルで…」
「か、下半身丸出し!」
 つい宇野の顔を見る。
「すまん。風呂上がりに実験してたもんで。まさかこんなことになるとは思わなかったんだ」
 そういえば、あの時見た、タンスの下の足は、裸足だった。《なかよし幼稚園》の良い子達を驚かせたというのは、ナニで驚かせたのか。
「しかし、まずいぞ、それは」
「そうかなあ」
「うん、まずい。決定的にまずい」
 俺の予感は的中した。
「…を始め多くの人々を恐怖に陥れていました通称たタンス男は、たった今、」
 たった今、という言葉に俺達は緊張して画面に見入った。
「焼け死にました」
「−−死んだ!」
 宇野の顔は、真っ青だ。それはそうだろう。自分の下半身が死んだとあっては、とても他人事ではない。
「周囲の状況から、追い詰められたタンス男は、粗大ごみ置き場に隠れ、タバコを吸おうとしたのではないかと思われます。そして、火の点いたタバコを顔の部分に当たるタンスの引き出しに入れたところ、火が全身に廻って死亡したものと当局はみいてます。なお、現場の焼死体は男の下半身と首から上がタンスに当たる部分以外になく、警察では現在、首から上の行方を捜査中です」
「おい」
 さすがに俺も言葉を失った。警察の捜している首は、俺の目の前にあるのだ。
「だから…」
 捜査中のタンスの首から上が、弱々しく言った。
「禁煙しようと思っていたのに……」
                 (完)


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戦争予報の時間です [短編・雑文]

戦争予報の時間です


「午前六時、戦争協会発表の戦争予報をお知らせします」
 と、ヘルメットをかぶり迷彩色のレオタードを着た若い女性が笑顔で言った。断トツの視聴率を誇る「戦争予報」の時間である。女性の後ろにある日本地図は北半分が赤く塗られているが、これがソ連の占領区。たいして関東から西は青く塗られているが、こちらはアメリカの占領区。各県ごとに37とか84とか書かれているのは、昨日の日本人の戦死者の数である。
「まず、概況からです。北方のソ連軍が夜半に南下を始め、これに対応するように西域のアメリカ軍も北上を開始しています。従って午前中は穏やかですが、午後にはいりますと関東から北陸地方にかけて長く前線が停滞し、砲弾、所によってはミサイルが降りますのでお出掛けの方はヘルメットの用意が必要でしょう。では、各地の戦争予報です」
 画面が関東地方の地図に切り替わった。
「それでは、関東地方の戦争予報です。北関東と山梨県が死傷確率20パーセントとなっているほかは、いずれも死傷確率0パーセントとなっています。午後になりますと前線の移動にともない栃木、群馬が60パーセント、山梨40パーセント、他の地域も20パーセントから30パーセントという高い死傷確率となっておりますので、お出掛けは午前中がご便利かと存じます。なお現在、山梨県には煙幕警報が、栃木、群馬、茨城県には地雷注意報が出ておりますので、関係各県の方は十分な注意が必要です。では、皆々様の今日一日のご無事をお祈りして、午前七時の戦争予報を終わります」
 そう言っておじぎをすると、胸の谷間がはっきりと見えた。緊張の一瞬である。しかし、たちまち画面は切り替わり中年のアナウンサーのおもしろくもない顔がアップになった。「それでは、再びニュースを続けます。昨夜、厚木で夜間訓練中のアメリカ軍のジェット機が民家に墜落し十八人が死亡しました。・・・・」
 たいしたニュースでもないので俺はテレビを消した。時計を見ると、バスさえ順調に来れば遅刻せずに会社に行けそうである。午前中だけでも会社へ行くか、と俺はすぐ支度を始めた。何しろけちな会社なので死傷確立20パーント以下で休むと欠勤扱いとなり、査定の対象になるのだ。きちんとネクタイを絞め、お守りの入った背広を着、定期、ハンカチ、ティッシュが入っていることを確認する。さらに鏡に向かってヘアスタイルを整え、最後に祖父が太平洋戦争の時使った伝来の鉄兜をかぶる。それだけで、きりりと身も心も引き締まるような気がした。俺はスーパーからの帰りに戦車に轢かれて死んだ妻の遺影に敬礼すると、電気とガスを点検し、しっかりと戸締りをしてから外へ出た。
 外へ出てみると、向かいの家がきれいになくなっていた。よく見ると、残骸のあちこちにキャタピラの跡がついている。おそらく昨夜のうちに戦車に踏み潰されたのだろう。どうりでうるさかったわけだ。向かいの家だけが潰されたのは、まあ、運がとしか言いようがない。一応、何か金目の物はないかと探してみたが、特にこれといったものもなく、俺はバス停に向かって歩き出した。
 珍しく戦車やジェット機の騒音もなく、春の日差しはあくまで暖かく柔らかい。思わずラジオ体操でもしたくなるような、実にいい天気だった。考えてみれば、死傷確立0パーセントの戦争予報が出たのは、ほとんど一週間ぶりのことだ。朝の空気もすがすがしく、俺は思わず深呼吸した。その時だった。他人のささやかな幸せをぶち壊すように声を掛けてきた馬鹿がいたのだ。
「や、お出掛けですな」
 そんなこと見ればわかるだろう、と振り返ると、金ヘルではないか。
「ええ。まあ、ちょっと」
 俺はせっかくのさわやかな気分をぶち壊されたことに腹を立てながらも、丁寧に返事をし、にこにこと金ヘルにお辞儀までした。要するに、紳士なのである。
 勿論、「金ヘル」というのは、本名ではない。何の仕事をしているかは知らないが、この戦争でぼろ儲けした馬鹿な成金である。「金ヘル」は、外出の時はいつもこれ見よがしに金ぴかのヘルメットを被っていることから俺が付けたあだ名だ。実は、俺も本名は知らない。
「会社ですか」
「はあ、まあそんなところで」
 とりあえず、当たり障りのない返事をしておく。
「そうですか。いや、ごせいが出ますねえ」
 そう言うと、金ヘルは、汚い歯茎を剥き出て笑った。金の総入れ歯が朝日を反射して異様なほど眩しい。かといって、文句を言うわけにもいかず、俺達は、しばらく一緒に歩いた後、バス停に仲良く並んだ。するとそこへ、もう一人馬鹿がやって来た。
「お早ようございます」
 やって来るなり馬鹿でかい声で挨拶したのは、二十代の背の高い青年、コウモリだった。コウモリというのも勿論あだ名で、ヘルメットの右半分をアメリカ国旗に、左半分をソ連国旗に塗り分けているところから俺が付けたものだ。本人は、これでアメリカからもソ連からも味方だと思われるはずだから安全だ、と思っているのだからコウモリというよりもむしろ間抜けなロバかブタに近いのかもしれない。いや、それではロバやブタに悪いというくらいのものである。
「いやあ、今日もいい天気ですねえ」
 自分だけは何があっても安全だ、と信じているせいか、本人はいたって明るい。
「こんなに天気がいいと、僕、生きてる幸せってやつをつくづく感じちやうなあ。ところでどうです、そろそろこの安全ヘルメットに替えてみたら」
 そう言ってコウモリは、大きな鞄を広げた。中には「安全ヘルメット」が四つ五つ入っている。この馬鹿、「生きている幸せ」とか何とか言って、ヘルメットをどこかで売って儲けようと出掛けて来たのだ。
 これ以上、馬鹿の相手をしていたくないな、と思っているところに珍しく定刻通りにバスがやって来た。俺は、真っ先にバスに乗り込んだ。
 運のいいことに車内はそこそこ混んでおり、並んで掛けられる座席はない。おかげで俺は二人の馬鹿とは離れて座ることができた。俺が座ったのは、おとなしそうな中年の紳士の隣である。通路を挟んだ反対側の座席には迷彩色のミニスカートにノーブラのタンクトップ、ヘルメットというミリタリーファッションの若い女性が座っている。実にラッキーな席といえた。
 隣の紳士はというと、死傷確率0パーセントということでヘルメットはかぶっておらず、静かに新聞を読んでいる。そうなるとついつい新聞を横から覗きたくなるのが人情というものだろう。見ると、「環7訴訟は、原告の敗訴」という見出しが目に入った。
 確か、環状7号線沿いの住民が夜十時から朝の6時までの戦車の通行禁止を訴えた訴訟である。どうやら例によって、公共の福祉のためには多少の不満は我慢しろ、という理由らしい。ま、予想された結果ではある。
「どう思います、この判決」
 新聞を読んでいる、とばかり思っていた紳士がいきなり大きな目をぎろりとこちらに向けてきいてきた。
「はあ」
 俺は、あわててとりあえず小さくうなずいた。それが、いけなかった。
「当然の判決だとは思いませんか」
 目がまじである。俺は、しまった、と思ったが、もう遅い。紳士は、この判決について話がしたくてうずうずしていたのだ。それで、わざわざ隣の席に座った人間にもよく見えるように新聞を広げて待っていたのだ。俺は、いわばアリジゴクに落ちたアリだった。こういう人間が一番危ない。しかたなく俺は、また小さくうなずいた。
「まったく。人類を絶滅の危機から救うための戦争を前に、たかだか夜うるさくて眠れないなどと私的なことでよく恥ずかしくもなく裁判を起こしたものですよ。こういう奴は、人類の敵です」
 紳士は、きっぱりと断言した。
「はあ、敵、ですか」
「そうです。敵です。あなた、だいたいこの戦争、どうして始まったのがご存じですか」「はあ、よくはわからないんですが、何か国連で決まったとか」
「そうです。だいたい国連で決まったことにたてつこうって精神がいやしいじゃないですか。夜、眠れなくて老人や病人の一人や二人死んだくらいで何だというんです」
「は、はあ」
「そもそもこの戦争は、タナカ理論に拠るもので、」
 と、言いかけて紳士は、言葉を切った。
「失礼ですが、タナカ理論はご存じですか?」
「は、はあ、タナカ、ですか?」
「そうです。タナカです」
「何かロッキードと関係あることでしょうか」
 勿論、タナカ理論などというものは聞いたこともない。この男、いったい何を言いたいのだろう、と考えながら俺は紳士の機嫌をそこなわないよう、できるだけ当たり障りのないように答えた。途端に、紳士の声が大きくなった。
「いやあ、あなたは実に運がいい」
「はあっ?」
「私、実は東京国際総合大学の国際関係学部の教授でしてね、ちょっと講演をすれば楽に百万円はいただくほどの大物なのですが、こうしてバスで一緒になったのも何かの縁。今日は、特別にそのあたりをじっくりと無料でお話ししてあげましょう」
「どうも・・・・」
 こういう人間に逆らったら何をされるかわからない。俺は、またまた頭を下げるしかなかった。
「タナカというのは、その名からもわかるように日系アメリカ人で、本能心理学の天才です」
「本能・・・・、ですか?」
「ま、説明したところで失礼ながらあなたにはよくわからないでしょうが、動物というのはそもそも戦うことが本能にインプットされている、というわけです。本能による行動ですから、相手を殺す時も食べるためにしか殺さない。仲間内で争う時も、たとえば狼などは負けた方が相手に首を差し出せばもうそれ以上傷つけたりはしない、とまあこうなっているわけですよ。わかりますか」
「はあ、まあ何となく」
 本当は、よくわからなかったが、「わからない」などと言うとさらに話が長くなりそうなので、そう答えた。
「結構。ところが、人間は違う。自分の権力の誇示や見栄、遊び、ちょっとした弾みで平気で人を殺す。その最たるものが、戦争ですよ。ミスター・タナカは、これを人間が本能を抑圧しているために起こる行動であり、だから有史以来戦争がなくならないのだ、と結論したのです」
「あのう」
 俺は、恐る恐るきいた。
「はい。何ですか」
「それと、この戦争が国連決議によるものだということと関係あるんですか」
「あるんです!」
 あまりの大声に俺は、文字通り跳び上がった。
「ど、どうも済みません」
「いや、あなたは一般大衆なんですから、知らないからといって、別に謝ることはありません。いいですか、戦いは動物の本能行動に由来するものであり、それが歪められた形で出てきているのが戦争なのですよ。だから、人間が動物である以上戦争はなくならない。なくそうなくそうと努力すればそれは本能を抑圧することになり、いつか大爆発して大戦争を引き起こすことになるんです。人類滅亡ということにもなりかねません。では、どうすればいいのか」
「どうすればいいんでしょう」
「場所や兵器を限定して戦争をさせればいいんですよ。いわば本物の武器を使った戦争ごっこをやらせて、本能を解放してやればいいんです」
「あ、なるほど」
 と、言ってから俺は、あれっ、と思った。
「しかし、お言葉を返すようですが、それなら日本じゃなく、もっと人のいない所でやったらいいじゃないですか」
「えらい!」
 またまた、ものすごい大声。バスの運転手が思わず急ブレーキを踏んでしまい、立っていた何人かがばたばたと倒れたほどだった。
「あ、あのう怒ってるんじゃないですよね」
「勿論、怒ってなどいません。それどころか、きみを誉めているんです。まさにその通り。国連で、その戦争をどこでやるのかが議題になった時、まっ先に候補に上がったのは、サハラ砂漠であり、南極であり、アマゾンだったんです。ところが、すべてだめだったんですよ」
「どうしてです。人もあまりいないし、いいじゃないですか」
「というのもですね、まずサハラは、暑いし、水がない」
「はっ?」
 思わず、開いた口がさらに開いてしまった。
「そんなのが理由になるんですか」
「なるんです。戦う当事者のことを考えたら立派な理由です」
「まさか、南極は寒いから、なんて言うんじゃないんでしょうね」
「えらい! その通り!」
 紳士は、いきなり俺の頭をなぜなぜした。くっそう、せっかくのヘアスタイルが。
「そして、アマゾンはピラニアがいて怖いというのが否決の理由だったんです」
「まさか」
「本当です。私が嘘を言うような人間に見えますか」
「いえ、そういうつもりでは。しかし、たとえそれが本当、いや事実本当なんですが、そのですねえ、だからといって何もよりによってこの狭い人口も多い日本で戦争することはないじゃないですか」
「それを、今からお話しようとしているんです」
 紳士は、勿体振ったように、ひとつ咳をした。
「人類の危機を救うためには限定した地域での戦争が必要だ。しかし、その場所がない、というところまではわかりましたね。何しろべ米ソ両国と当事国の同意が必要なのですから、ある意味ではこれは至難の業なんです。中国もオーストラリアも韓国も断り、いよいよ日本の番になったと考えてください。ちょうどアメリカ軍の基地もあるとか、ソ連からも近いとか、島国だから他国への影響がないとか、気候も四季に富んでいて退屈しないとか、どの国も自分の国を戦場にはしたくないので、まあ勝手なことを言うわけです」
「ちょ、ちょっと待ってください。確かさっき、戦場にするためには当事国の同意が必要だと言いませんでしたか」
「言いましたよ。しかし、その時、日本の国連大使はうたた寝していたんです」
「寝てた?」
 一瞬、めまいが起こった。
「そうです。寝てたんです。で、採決になった時、その大使はいったい何の採決なのかよくわからなかったわけです。そこで、そんな時の常としてアメリカ大使を見たんです。いつもアメリカ大使と同じ方に挙手していれば今まで間違いなかったから、アメリカ大使が挙手しているのを見ると、いわば条件反射的に手を挙げてしまったんですよ」
「そ、そんな、」
 馬鹿な。と、言おうとしたのだが、言葉が出てこなかった。そんな馬鹿げたことで日本が戦場になったなんて今の今まで知らなかったことだ。俺の知っていることといえば、ある日、目が覚めたら、日本が戦場になっていた、ということだけだ。
 その時、突然、バスが止まった。
「何だろう?」
 と、思う間もなく先祖伝来の鉄兜が、かんと乾いた音を立てた。おやっ、と思って窓の方を見ようとした俺は、ぎょっ、となった。紳士がいきなり俺の方へ倒れてきたのだ。
「ど、どうしました?」
 抱え起こすと、顔面血だらけになって死んでいるではないか。
 あっ、と思った途端、ばりばりという音と共にバスの窓ガラスが一斉に割れ落ちた。あわてて椅子の下に潜り込み、そっと覗いて見ると、左手にアメリカ軍の戦車、右手にソ連軍の戦車が見えるではないか。車内のあちこちから悲鳴が上がったが、どうしようもない。第一、運転手がいない。危険を感じてさっさと逃げてしまったのだ。
「誰か、バスを動かしたまえ」
 金ヘルの命令するような声が聞こえるが、そんな命令に従う奴など誰もいない。当たり前だ。命令するくらいなら自分が運転しろ。
 血を流して通路に横たわっているのは、コウモリだった。動かないところを見るとおそらく死んでいるのだろう。
 だから言わんこっちゃない、と俺は思った。コウモリは、ソ連は左翼だから、アメリカは右翼だからと勝手に決め付け、ヘルメットの左半分をソ連国旗、右半分をアメリカ国旗に塗って自分だけは安全だと信じていたのだ。しかし、今の戦車の配置では、アメリカ軍からはソ連の国旗が、ソ連軍からはアメリカの国旗が見えることになる。かわいそうな奴め。おそらく両方から同時に撃たれたに違いない。
 通路のすぐ横には、ミリタリーファッションの若い女性の死体もあった。だらしなく大股開きで死んでおり、白いパンティーがはっきりと見えるのだが、とてもじっくり鑑賞していられるような状況ではない。何しろバスが止まってしまったのだ。このままでは遅刻になってしまうではないか。
 窓から逃げ出そうとした途端、いきなり車内でオレンジ色の火の玉が炸裂した。
「あっ」
 と思った次の瞬間、俺は、何十メートルも吹き飛ばされて、地面にたたきつけられていた。そのままどれくらい気絶していたのだろうか。気が付いた時、太陽はもうかなり高くなっており、今からではどんなに急いでも会社に間に合わないのは決定的だった。くっそう、査定が・・・・。
 体が動かせないのでよくはわからないが、どうやら下半身がほとんどなくなっているようだ。これでは何もできないではないか。
 どうやら前線の真っ只中にいるらしく、あちこちで砲弾の炸裂する音が聞こえ、戦車のキャタピラの振動が伝わって来る。次第に薄れてくる意識の中で俺は思った。
 まったく、午前中は死傷確率0パーセントだなんて嘘ばかりじゃないか。天気予報と戦争予報だけは信じちゃいけないなあ・・・・・・。
                  (完)

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地球断絶 [短編・雑文]

地球断絶


「ねえねえ、庭に割れ目ができたわよ」
 会社から帰って来ると、妻がうれしそうに言った。よほど早く話したくてうずうずしていたのだろう。珍しく目が生き生きしている。
「へえ」
 最近は地震も多いし、別に地割れができたからって驚くほどのことはない。仕事で疲れているせいもあって、ついつい生返事になる。
「私、どれくらいの割れ目なのか測ってみたの」
「ほう」
「どれくらいあったと思う?」
「さあ」
「それがねえ、深さが何と五十センチ、幅二十センチもあるのよ」
「ほほう」
「長さは、ちょうど家の庭の端から端までだから五メートルくらいかしら」
「なるほど」
「不思議よねえ。昨日は割れ目なんて全然なかったのに」
「ふむ」
「ちょっと、他人の話、聞いてるの!」
 というわけで、夜だというのに俺は庭に出て「割れ目」の実地検分をするはめになった。懐中電灯で照らしてみると、なるほど、庭の真ん中に黒い帯のようなものが見える。しかし、それはとても妻が言うような「深さ五十センチ、幅二十センチ、長さ五メートル」などというようなしろものではなかった。割れ目は隣の家の方まで入り込んでいるので長さはよくわからないが、深さ二メートル、幅一メートルはあった。いや、深さ幅共にもう少しあるのかもしれない。ともかく簡単には跳び越せないほどのものだった。
「こりゃあちょっと、あれだな」
 とりあえず俺は、「動揺していないぞ」という意思表示のために意味不明の言葉をつぶやいておいて、次の言葉を考えた。
「お袋が落ちると危ないし、柵を作らんといかんな」
「そうなのよ!明日、休みだしさっそく作りましょうよ!」
 打てば響くように妻が言った。「ははあ。なるほど」と、ここにきて俺はようやく妻の目が生き生きしていたことの理由がわかった。
 俺達の家は恥ずかしながら、お袋の家の庭にあるのだ。地価高騰で俺のような貧乏サラリーマンに家が買えるはずもなく、お袋の家の庭の片隅に小さな家を建てさせてもらっているのである。それが、どうも妻には気に入らないのである。とくに、何かに付けてお袋がやって来て、やれせっかく家を建ててやったのにもうこんなに汚れてしまって(実は土地だけでなく建築資金もほとんどお袋に出してもらったのである。しかもお袋は、無類の掃除好きなのでである)とか、やれこの家を建てたら自分の家の日当たりが悪くなった(せっかくだから二階建てにしたら、と言ったのはお袋なのだがそんなことは完全に忘れてしまっているのである)、等と聞こえこがしに言うことにはかなり怒っており、
「早く引っ越しましょうよ」
「そんなこと言ったって、どこへ行くんだよ」
 と、よく夫婦間でも論争になったのだった。そこへ、降って涌いたような「地割れ」である。「柵」である。これでは、妻に「喜ぶな」と言う方が無理である。
「柵なんか作ったらお袋、怒るだろうな」
 とは思ったが、割れ目に落ちて死なれるよりはましである。翌日、俺は妻との約束通りまず自分の家の方の割れ目の横に柵を作ってからお袋の家に向かった。が、現場に着くのに五分もかかったのである。勿論、庭がそんなに広いわけではない。地割れの深さが十メートル、幅が五メートルにもなっていて跳び越せないため、ぐるっと遠回りして行ったためである。帰りは、十五分もかかった。さすがに俺は心配になってきた。
「区役所に知らせた方がいいのかなあ」
 などと休みであることも忘れて考えながら帰って来ると、とういうわけか家の前に人だかりがしている。
「で、最初、割れ目を発見なされた時、どんな感じでしたか」
「それが最初はとっても小さな割れ目だったでしょ。特に変だとも思いませんでしたの」 質問しているのは、テレビでよく見る顔の男だった。そして、着飾って答えているのは、何と俺の妻ではないか。
「では、ちょっとその現場まで行ってみましょう」
 という男の一言で妻と六人ほどの男達は移動を始めた。
「ば、馬鹿。他人の家に勝手に入るな」
「あ、旦那さんが帰ってみえたようです」
 いきなりライトで照らされ、カメラが俺の方を向いた。
「どうも。NSSの庄司です。この度はどうも大変なことになったみたいですねえ」
「は、はあ」
「今、奥さんに現場を案内していただこうとしていたところなんですが、旦那さんも一緒に案内していただけないでしょうか」
「さ、さ、どうぞどうぞ」
 俺は、ついカメラに向かってにっこりしてしまった。しかし、現場に着くとにっこりともしていられなくなった。割れ目はさらに成長し、幅十メートルほどにもなっているのだ。深さはよく分からないが、二十、いや三十メートルはあるかもしれない。
「では、ちょっと割れ目の中に降りてみましょう」
 レポーターとカメラマンは、そう言うといきなり柵にロープをかけ、するすると垂直に近い崖を降り始めた。
「ちょっ、ちょっと」
 あわてて俺は止めた。
「大丈夫ですよ。旦那さん」
 言った途端、柵が壊れて二人は崖をころがるようにして落っこちていき、そのまま動かなくなった。その様子がテレビで中継されてしまったのだから大変である。たちまち俺の家の前は黒山の人だかり。お袋の家の方にもたくさんの人間が詰め掛けているのだろう、大群衆特有のざわめきが聞こえてくる。
「いったい、どうなってしまうのだろう」
 と思っていると、突然、お袋の家の屋根に旗が立った。
『元祖・割れ目茶屋』
 何とお袋、この騒動を利用して儲けようとしているのだ。さすがに太いというか何というか。あきれかえっていると、
「あなた、ちょっとそこどいて」
 言われて見ると、妻も大きな旗を立てようとしている。
『本家・割れ目喫茶』
「せっかくだもの、儲けなくっちゃね」
 ううむ、女は太い。俺は、言う言葉もなく、幅二十メートル、深さ五十メートルにも成長した割れ目を覗き込んだ。
「いったい、この割れ目は、どこまで成長するのだろう?」
 そんな心配をよそに、翌日、そそくさとやって来たのは、役人だった。
「いかがなものでしょうか」
 と、そいつは慇懃無礼な口調で言ったのだった。
「いろいろ問題はおありかと存じますが、あの割れ目をひとつごみ捨て場ということにさせていただきたいのですが」
「お帰り下さい」
 次にやって来たのは、そのごみの中から生まれたような髭面の男だった。
「あなたは、呪われています」
「はっ?」
「このままでは地獄へ落ちます」
「はあ」
「寄付をなさい」
「お帰り下さい」
「強力瞬間接着剤いかがでしょうか」
「え〜、日本ロッククライミング同好会ですが」
「割れ目ちゃん研究会です」
「ただの通りがかりの者ですが」
「まとめてお帰り下さい」
 最後に残ったのは、一見恰幅のいい紳士だった。
「私、こういう者ですがお話しだけでも聞いていただけないかと思いまして。あ、これほんの手土産ですが」
 いきなりダイヤ入りのペア・ウォッチを差し出された。
「は、はあ。ま、いいでしょう。少しくらいなら」
 男は、深々と頭を下げ我家に上がり込むと、
「ではさっそく本題に入らせていただきますが」
 何を思ったのか、ぶ厚い札束を取り出した。
「どうでしょう、これであの割れ目を売っていただけないでしょうか」
「はっ?」
「ざっと見たところ、深さは百メートル、利用できるのがそのうちの八十メートル、底の方は狭すぎてちょっと利用しにくいですので、それにお宅様の庭の幅が十メートル。占めて八百平米を平米一万円ということで、ここに八百万あります」
「はあ?」
「勿論、そのままというわけではありません。深くなればなるほどつまり利用できる面積が増えればその増えた分につきましても改めて平米一万円をお支払いいたします。お隣様にはこの条件で快諾いただきましたので、ぜひお宅様でもと願う次第でありますが」
「あのう、売るのはかまいませんが、いったい何に使うのですか?」
「住宅建設ですよ」
「住宅?」
「はい。あの割れ目を利用してビルを建てるのです。普通のビルは底といいますかまあ一階の部分が地面についているわけですが、私共が考えているビルは壁が地面、つまりあの割れ目の壁にくっついているというわけでして。言ってみれば地下ビルを作るようなものですよ」
 俺は、頭の中で素早く計算してみた。地球の半径は確か六千数百キロだからとりあえず六千として、六千キロといえば六百万メートルだ。これに庭の幅十を掛ける。六千万。平米一万円だから、六千万に1万を掛けると、六千億!
「乗りましょう。その話」
 というわけで、翌日からさっそく住宅建設が始まった。
 その間にも割れ目はどんどん大きくなり、たちまち割れ目の中には大団地ができあがった。なにしろ、土地代がべらぼうに安いのだ。旅行会社が募った「割れ目ツアー」が人気を呼び、元祖も本家も茶屋は大いに儲かったが、それも半年くらいですぐに飽きられてしまった。団地は、あれよあれよという間に大きくなり独立宣言をして国になった。つまり、俺の家の庭の中に独立した国ができてしまったのだ。その名を『割れ目共和国』という。割れ目の中を飛行機が飛ぶようになったのも、この頃である。割れ目が海にまで到達し、海水が入って船が通るようになると、割れ目共和国は、海を挟んで元祖・割れ目共和国と本家・割れ目共和国との二つに分裂した。領海権をめぐって戦争が始まったが、二つの国の間が日本とハワイほどに広がると自然に終わった。しかし、俺は口に出しては言わなかったが、心配だった。割れ目の拡大は、止まるところを知らないのだ。そして、その心配は、ある日、現実のものとなった。
 地球がパッカリと割れてしまったのだ。
 丸い地球が、お椀のように二つになってしまったのだ。
 さすがに俺は青ざめたが、妻はすっかり有頂天なのである。
「だって、これであなたのお母さんには永遠に会わずにすむんだもの」
「ううむ、・・・・・・女は、太い!」
 俺は、半月のように見える彼方の地球を見上げながら、思わず嘆息した。(んな、馬鹿な)

(完)

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ナイチンゲールの終焉 [短編・雑文]

ナイチンゲールの終焉
 「チーム・バチスタの栄光」を買った古本屋に「ナイチンゲールの沈黙」が同じく2冊300円で出ていた。帯には「田口・白鳥シリーズ、新たな地平」とある。どうもこの後が現在映画公開中の「ジェネラル・ルージュの凱旋」らしいので、「ナイチンゲール」はシリーズ第2弾ということらしい。まあタバコ一箱の値段なので買って読んでみた。その分、タバコを控えるわけなので、これは健康にもいい。
 海堂尊の「チーム・バチスタの栄光」に始まる「田口&白鳥シリーズ」は売れに売れているようだ。「バチスタ」は映画にもなつたしテレビドラマにもなった(下に以前書いた映画の感想をコピペしておく)。が、原作を読んではみたものの、実は私にはあまりおもしろさがわからなかった。「このミステリがすごい」ということなのでミステリとして読んだのだが、まず犯人は手術チームの中にいるとしか考えられないので、手術中にそういうことができるのはと考えるとすぐに犯人の見当はつく。となると、意外な動機とかに期待することになるわけだがとうてい納得できる動機ではなかった。人物描写に問題があり各人のイメージが希薄なので犯人の指摘があっても何の驚きもなかった。田口・白鳥コンビにしても漫画的な誇張描写がされているが、わざとらしくて明確な人物像を結ぶものではない。その「チーム・バチスタの栄光」が満場一致で「このミス大賞」に選ばれたときくと、その年の応募レベルがよほど低かったのか、あるいは版元が同じ宝島社なのでマッチポンプのできレースではなかったのかと疑いたくもなる。もっとも、これだけのベストセラーなので、多分、こちらの読み方が悪いのだろうと思ってはいるのだが(←嘘です(^^*)。
 で、今回読んだ「ナイチンゲールの沈黙」なのだが、これって世間的な評価はどうだったんだろう? 映画がこれを飛ばして「ルージュ」になっていることからイマイチだったのかとも思うが、本当のところはわからない。私としては正直、「バチスタ」がイマイチとしたら、この「ナイチンゲール」はイマニ、いやイマゴくらいの評価である。はっきり言って、つまらなかった。まず犯人は事件が発覚したときからわかっている。もちろんミステリには意外な犯人が必要だと言っているわけではなく、ハードボイルド、アクション系、あるいは倒叙推理などでは最初から犯人がわかっているものも多く、犯人の側から書かれたものもある。それだけでマイナスになることはない。犯人像あるいは犯行の手順、犯行の動機などで読者を唸らせればいいわけである。ところが、この小説ではまず、なぜ解剖さればらばらにされた死体だったのかという理由が全く理解できない。苦し紛れの説明はあるのだが何時間も現場にいるからにはかなりの必然性が要求されるわけで、示された理由は到底納得できるものではない。ネタバレしないように書くので読んでいない人にはわかりにくいかもしれないが、核心はほとんどファンタジーで、合理的な解決があるのかと思っていると(ミステリと思って読んでいる)、ええーってなもんや三度笠である。前半で加納というはみだしキャリアが出てくる。どう考えてもこいつ白鳥とキャラかぶっているなあと思いながら読み進んでいくと、後半白鳥が出てきた途端に存在感がなくなってしまい、読み終わったときにはほとんど印象に残っていなかった。シリーズの中でまた出てくるんだろうとは思うが、小説は本来一冊完結が原則なので、続刊の中ではちゃんと活躍するんだから、この作品では中途半端でいいなどというのは理由にならない。付け足しのように時計について、犯人だけが知り得た云々と言っているが、少なくとも小説に提示された事象だけでは到底公判は維持できない。というか、検事が起訴に踏み切れるのかどうかさえ疑問である。
 ……ということで、同じ兼業作家でも森博嗣(大学助教授は辞めてしまったようなので今は正確には兼業ではないが)のものはミステリはミステリ、ファンタジーはファンタジーとして読めたのだが、「ナイチンゲール」には中途半端さへの不満だけが残った。なぜこの小説が受けているのか、私にはさっぱりわからない。あれほど売れた「セカチュー」など全く読むに耐えなかったことを考えると、海堂小説は若い人だけのもので、年寄りが読むものではないのかもしれない。まあ、この小説を読んで「おもしろかった」と言う人、「感動した」と言う人には、「若いねえ」「よかったね」とだけ言っておこう。
 そういったことから、結論。海堂作品を読むのは、これで打ち止め(終焉)にする。これはベストセラー作家・池波正太郎の諸作品でもそうなのだが、生理的に受け付けないというか、作品世界に入っていけないのだ。世の大部分の人には受け入れられているようなので、作者ではなく私のほうに問題があるのかもしれないが、読む・読まないの権利は読者のほうにあるということで海堂フアンには許してもらうことにしたい。(それでも来年になるが、日本映画専門チャンネルで「ルージュ」をやったら見ることは見るんだろうなぁ。)


映画「チーム・バチスタの栄光」 ☆☆☆★
 別のところにすでに書いたが、原作は人物像が明確ではなく、渾名付けなどにも意味はなく、ミステリとしても犯人像が希薄であまり楽しめなかった。また、フジの連続ドラマは話を延ばすのと犯人当ての弱さを補強するためいろいろがんばったのだが、後半の創作部分が安易で残念な結果に終わってしまった。が、それだけに話自体2時間程度のものと考えれば、ちょっと期待が高まるというものである。
 日本映画専門チャンネルで放送されたのでさっそく見てみた(ゴジラ・シリーズもそうだったが、このチャンネル画質がいいのがうれしい)。破天荒な白鳥を阿部ちゃんにし、田口を竹内にしたのはドラマのビーバップ+電車男よりよほどよい。白鳥のような役人がいるわけはないのだが阿部の変人ぶりは妙なリアリティを感じさせる。ビーバップも悪くはなかったのだが、国1を受かりそうに見えないところが減点。竹内もよく見るとボケ顔で感情過多の電車男よりよほどよい(患者の愚痴を聞いてやる医者?なので感情過多では失格だろう)。ただし、執刀医の桐生は映画の吉川よりドラマの伊原のほうがそれらしかったかな。吉川はちょっと天才外科医には見えない。
 犯人の動機は原作でもかなり苦しいものがあったが、この映画を見て納得できた人がいただろうか。原作の海堂尊はこれが処女作のようだが、実は意外でも何でもない犯人を意外な犯人にしようとするあまりびびって隠そうとし結果として犯人のキャラクターを印象の薄いものにしてしまっている。こういうところこそ、シナリオでうまく伏線をはってもらいたいところなのだが、さらに唐突なものになってしまって、残念。
 また、病院内のシーンが多いため場面の変化をつけるため、唐突にソフトボールのシーンやロックのシーンが挿入されるが、流れを中断するだけで逆効果になっている。放送後の対談で軽部は「ソフトボールのシーンが印象的で……」て言っていたが、馬鹿だね。監督の中村義洋は「(ソフトボールの)撮影は楽しかった」とだけ言っている。外部の圧力で入れざるを得なかったのではないか。「ゴッドファーザー」や「エクソシスト」のシーンを参考にしたと楽しそうに語る監督である。部屋の中だけであれだけのドラマを作り上げた「12人の怒れる男たち」を見ていないはずはないと想像する。
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ポン!ポン!ポン! [短編・雑文]

ポン!ポン!ポン!


「わはははははははは」
「な、何ですか、あれは?」
「いや、別に心配はいりません」
「そう言われてもいきなり笑われたんじゃ心配にもなりますよ。私、何か笑われるようなことしました?」
「いや、してないと思いますよ。あれは『全身を足の裏に教』のメモリーの人ですから」「わはははははははは」
「全身を、−足の裏教?」
「はい」
「宗教なんですか、それ?」
「まあ、そのようなものです」
「しかし、ただ馬鹿みたいに笑っているだけのように見えるのですが」
「そうです。ただ笑っているだけです」
「ただ笑っていて全身が足の裏になるもんなんですか」
「なるわけないでしょう。教義は、いつも虐げられている足の裏をも救う、という大層なものですがね。すべての宗教がそうだとは言いませんが、まあ一種の妄想のようなものでしょう。しかしですね、ああして大声で笑うと、うじうじしている自分が馬鹿馬鹿しくなって気分が何となくすっきりするじゃないですか。その錯覚というか、気持ちが大事なんですよ」
「はあ。そういうもんなんですかね」
「そういうもんなんです。多分」
「ハイヒールットラー!」
「わわっ、びっくりした。な、何なんです、今、右手を挙げて走って行った男は?」
「ああ、彼ですか。それにしても、いちいちオーバーに驚く人ですねえ。彼も別に心配はいりません。彼は『独裁者願望』のメモリーですよ」
「独裁者願望?」
「そうです。誰だって独裁者になって世界を意のままに動かしてみたい、という願望をもっているでしょ」
「それは私もそういうこと全く考えたことがないとは言いませんが、しかし、独裁者だったら、ハイヒ−」
「ルットラー」
「その、ルットラーじゃなくて、ヒットラーなんじゃないんですか?」
「勿論、ヒットラーのメモリーもありますが、彼の場合、ここだけの話ですがはっきり言って貧乏人で希望金額が梅ですからね」
「梅?」
「そうです。松・竹・梅の梅です」
「というと、メモリーにもランクがあるわけですか?」
「はは、おもしろい冗談ですねえ。いや、実におもしろい。当然じゃないですか。火葬場にだってランクがある時代ですよ。当社は慈善事業をしているわけではありませんからね。たとえば、独裁者願望のメモリーでは、今あなたが言われたヒットラーのメモリーが松、スターリンが竹、ルットラーが梅というわけです」
「しかし、ヒットラーとスターリンはわかりますが、いったい何者なんです、そのルットラー、というのは?」
「ええっ。ルットラーを知らない?」
「はあ……、その、−世界史はいささか苦手でしたので」
「ルットラーという人物はですね、南の島で何と三十年に亙って独裁の限りを尽くした男なんですよ」
「ほう」
「もっとも、住んでいたのは、その無人島に漂着したルットラー一人だけなんですがね」「…………」
「やあ、きみかね。新しいメモリーの希望者というのは」
「あ、あの、どなた様でしょうか?」
「何、わしを知らない!」
「す、済みません」
「何、謝ることはない。わしは、この会社の社長じゃよ」
「あわわ、社長様でしたか。知らぬこととはいえ、どうぞよろしくお願いします」
「うむ。で、きみはどんなメモリーを希望しているのかね」
「はい。その、私、自分で言うのも何なんですが、お見かけ通りの小心者でして、会社では後輩や女にまで馬鹿にされる始末で、何をやっても自信が持てませんもので、ひとつ自分に自信のつくメモリーをお願いしたいと思いまして」
「ほう。自信をつけたいと」
「だめでしょうか?」
「任せなさい!」
「び、びっくりした。突然大声を出さないで下さいよ」
「はっはっは。地声が大きいのは生まれつきでな。いや、失礼失礼」
「で、自信のつくメモリーはあるのでしょうか?」
「勿論。きみにぴったりのメモリーがある」
「と、いいますと?」
「松山メモリーじゃよ」
「松山メモリー?」
「そうじゃ。一代にして大松山電器産業を起こしたあの松山幸之介のメモリーじゃよ」
「ええっ、あの販売の神様ともいわれ、松山経政塾も作られた」
「不満かね」
「いえ。と、とんでもない。そんなすごいメモリーがあるんですか。いや、願ってもないことでして、はい」
「まあ、彼のメモリーなら絶対だな。ま、せいぜい自信をつけてくれたまえ。では、わしは忙しいのでこのへんで失敬するよ。はははは」
「いやあ、さすが社長ですねえ。話し方にも貫禄がありますよ」
「いえいえ、あの方もユーザーでして」
「えっ、すると−」
「そういうことです。あの方もあなたと同じように自信をつけたいと言ってきたユーザーでして、今、松山幸之介メモリーの支配下にあるんです」
「じゃあ、松山メモリーは使用中ということですか」
「はは、そうがっかりしないで。自信のつくメモリーは掃いて捨てるほどたくさんありますから」
「そうですか、安心しました。しかし、いったいメモリーというのはどういうものなんですか?」
「えっ、メモリーの何たるかも知らないでここへ来たのですか」
「す、済みません」
「しょうがないですねえ。では、簡単に説明しましょう。メモリーとは、一言で言って、他人の記憶を生きることです」
「それは、わかっています。私がききたいのは、そのシステムのことなんです」
「まあ、どうせわからないでしょうからさらに簡単に説明しょう。ある人物、これを仮にAとしましょう、このAの記憶を希望する人、これをBとします。で、AのメモリーをBに注入するわけです。すると、一定時間、今までの例ですとだいだい一日くらいですが、BはAの記憶の支配下状態になるわけです。つまりBはAになりきってしまうわけです」「何となくわかったようでわからないような……」
「大丈夫。原理がわからなくてもテレビを見ることはできるでしょ。原理がわからないとメモリーがきかないということはありませんから」
「その、メモリーというのは、大脳から何か抽出したものでも使うわけですか」
「とは限りません。といいますのも、これがわかったのはわりと最近のことなんですが、実は記憶というものは大脳だけではなく、その人を構成していた細胞のすべてにあるのですよ」
「あ、そうなんですか」
「そうなんです。考えてみれば当たり前のようなことなんですが、実にこれはノーベル賞級の発見だったんです。というのも、ある記憶を再生するのその人の脳に頼る必要がなくなったからです」
「といいますと?」
「端的に言えば、今までですと脳に致命的な障害が出るとその部分の記憶は完全に失われてしまっていたわけですが、それが、その人の体の他の部分から再生できることになったのです。現在も多くの病院で脳梗塞などで障害の出た患者にこの方法は使われています。当社の方法がこれらの方法と比べて、一歩も二歩も進んでいるのは、こうした記憶の再生に生きている細胞を必要としないことです」
「よくわかりませんが」
「馬鹿、いや失礼。つまりですね、生きている細胞を必要としないわけですから、ミイラでも化石でも何でもいいわけです。ですから、たとえばナポレオンの髪の毛一本があれば、それからナポレオンの記憶を抽出できるわけです」
「すると、松山幸之介のメモリーも髪か何かから?」
「松山メモリーは、確か爪ですね」
「なるほど。爪の垢というわけですか」
「いえいえ、垢ではだめですよ。爪そのものでなくては。ところで、とりあえず自信のつくメモリーを三種類用意しておきましたが、ちょっと見て下さい」
「例の松・竹・梅ってやつですね」
「そういうことです。松が坂本竜馬、竹が長暇茂、梅が大文字吉之介となっていますが、どれにしましょうか」
「後の二人は知りませんが、坂本竜馬というと、あの幕末の土佐の、有名人ですよね」
「そうです。海援隊の創設者です」
「というと、武田鉄也のご親戚ですか?」
「私もよくは、知りませんが、多分、そういうようなご関係でしょう」
「じゃあ、私、カラオケの持ち歌が『贈る言葉』なんで、その竜馬さんでお願いします」
「松ということですね。わかりました。では、頭を出してください」
「何だか注射器みたいですねえ。私、小さい頃から注射が大の苦手でして」
「どうも苦手の多い人ですねえ。これから維新最大の功労者ともいうべき坂本竜馬になろうという人が何馬鹿な心配してるんですか。大丈夫。痛みは全くありませんから。ほら、こうやって頭に当てて、……」
 ポン!
「はい。終わりました」
「えっ、もう終わったんですか」
「はい。痛くなかったでしょ」
「ええ、それは。しかし、全然、坂本竜馬になったような気がしませんが、」
「効き目が表れるまで三十秒ほどかかりますからね。ほら、何となく変な感じがしてきたでしょ」
「そういえば、…………何だかお酒を飲んだような、ふわふわした気分になってきました−。…………ふへをむふひて、ああるこううおうおうお」
「ど、どうしたんです。いきなり歌い出したりして」
「ぼく、きゅーちゃんでーす。きゅっきゅっきゅー、おばけーのQ」
「おおい大変だ坂本違いだぞ。空を飛ばないうちに早く取り押さえろ」
「す、済みません主任、坂本はこちらのメモリーでした」
「は、早く注入しろ」
 ポン!
「私、猪玉先生の内弟子として育てられました。でから、泣きません。泣くと先生の、こらっ夏美泣くんじゃない、ちゃんと歌え、って声が聞こえそうですから。先生が聞いていると思って一生懸命歌います」
「ば、馬鹿。こ、これは演歌歌手の坂本夏美のメモリーじゃないか」
「す、済みません」
「慌てるな」
 ポン!
「そうですねえ、ボールがですね、こうナチュラルにカーブしてきますね、そこをですね、マインドをコンセントレイションしてバットでプルするわけですね。すると蛇居案津は永遠に不潔なんですね」
「こ、こらっ。これは用意しておいた竹の長暇茂のメモリーじゃないか」
「すすすすす、済みません。今度は間違いないです」
 ポン!
「え〜、毎度馬鹿馬鹿しいお笑いを一席」
「な、何だこれは?」
「大変です、主任。誰かがメモリーのラベルをめちゃくちゃに貼り変えています」
「だ、誰だ。そんな馬鹿なことしたのは」
「ははははは。知りたいかね、明智君」
「お、お前は?」
「私、怪人二十面相の仕業なのでR」
「おおい、そいつを早く捕まえろ。しかし、こんなにメモリーが混乱していると何だか心配になって来たぞ。私は、本当に私なんだろうな。念の為、保管しておいた私自身ののメモリーを注入しておこう」
 ポン!
「ふふふふ。ようやく気がついたようだね、二十面相君」
「た、大変だ。今度は、主任がおかしくなったぞ」
「早く本当のメモリーを注入しろ」
「な、何をするんだ二十面相君」
 ポン!
「はらひれほろ〜」
「げげっ、ますます変になってしまいました。ど、どうしましょう?」
「何でもいいから別のメモリー注入しろ」
「で、でも……」
「いいから、早く。わっ、こらっ、俺にするなっ!」
 ポン!
「もうむちゃくちゃでごじゃりますわいな」
「わわっ、か、係長までが。こ、これかな?」
 ポン!
「どうもすいません。こちらから半分休め。こちらから半分重点的にやりますからね。ほんと、体だけは大事にして下さいよ」
 ポン!
「ううむ、ちょこざいな小僧、名を、名を名乗れ!」
 ポン!
「はっはっは。私が、社長の松山幸之介である」
 ポン!
「ですから、こうマインドがですね、ナチュラルに考えるとですね」
 ポン!
「ハイヒールットラー!」
 ポン!
「わははははは」
 ポン!
「何である。私である」
 ポン!
「品川から見る海は最高じゃきに」
 ポン!
「私、泣きません。先生のために歌います」
 ポン!
「ふへをもむふひて、ああるこううおうおうお」
 ポン!
「お呼びでない。こりゃまた失礼いたしましたっ!」
 ポン!
「はらひれほろ〜」
 ポン!
「わははははははは」
 ポン!
 ポン!
 ポン!
                             《完》

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NIGHTMARE [短編・雑文]

NIGHTMARE


 洞窟の天井は、頭を打ちそうなほど低い。心細くなるほど弱々しい懐中電灯の明かりに照らし出されたのは、一体の骸骨だった。髪の毛は半分以上が抜け落ち、着ている服も洞窟の湿気でぼろぼろになっている。ただ左手のローレックスだけが主人の変事も知らぬげに時を刻んでいるのだった。そして、何かを求めるように前に出されている右手の中に、それは、あった。弱く細い光の中でも、それはきらきらとまるで命あるもののように輝いているのだった。ダイヤだ。それも、世界最大の。
「これで、遊んで暮らせる」
 俺は、手を伸ばし、ダイヤを取ろうとした。その時だった。
「いただくわよ、このダイヤ」
 暗闇の中から突然、勝ち誇ったような声が聞こえ、何者かの腕が伸びてダイヤを奪い取ったのだった。
「誰だ!」
 俺は、叫びざま腕の出て来た方の暗闇に光を向けた。
「お前か」
 ひっくり返りそうになった声が途端にトーンターウンする。暗闇の中に浮かび上がったのは、意外にも見慣れた顔、俺の妻の顔だったのだ。
「悪い冗談はよせ」
「あら、私じゃ悪かったわけ」
 手にしたダイヤを見詰めながら妻は、しゃあしゃあと言った。俺は、努めて冷静に言う。
「いや、そういうわけじゃないけど。さ、渡せよ、それ」
 予期せぬ答えが返ってきた。
「厭だもーん」
「い、厭だって」
「そうだもーん」
「だって、それは俺が見付けたもんじゃないか」
「なこと言ったって、手に入れたのは私だもん」
「まあ、それはそうだが、よし、話し合いしよう、話し合いを」
「してるじゃない」
「だから、話し合いで解決しようと、」
「こういうのは、最初に手にした者の物になるはずよ」
「そんな」
「何てったって、ダイヤは、私のものよ」
 敵は、ダイヤを持っているだけに強い。
「よーし、わかった。それじゃ、こういうのはどうだ。半分こするってのは」
「私のものなのに、どうして半分にしなくちゃならないわけ」
「馬鹿。夫婦ってのはなあ、離婚する時だって財産は半分っこするもんなんだぞ」
「半分にしたくないもん」
「くそっ、ダイヤと俺とどっちが大切なんだ」
「もち、ダイヤよ」
「よこせ!」
「厭!」
 突然、光が消えた。押し寄せて来た闇の中を、
「はははははは、ダイヤは、私のものよ」
 勝ち誇った声が遠ざかって行く。くっそう、こんなことなら安物の電池じゃなく、アルカリ電池にしておくんだった。
 俺は、じだんだ踏んで、目が覚めた。
 隣では、妻が静かな寝息をたてている。口元に笑みをたたえている寝顔は、まあ悪くはない。考えてみれば、結婚以来、俺に逆らったことは一度もない妻ではないか。それを夢の中とはいえ悪人にしたててしまったのだ。俺は、自らを恥じ、妻の寝顔に優しくキスをしようとした。その時だった。
「はははははは」
 突然、妻が笑ったのだ。それも、どこかで聞いたことがあるような笑い声で。あっ、あの続きを見てるんだな、と俺にはすぐにわかった。
「くっそう、俺のダイヤを」
 揺すってみたが、とても起きそうにない。ダイヤを一人占めする気だ。ようし、こうなったら、何が何でももう一度寝てやる。ダイヤを取り返してやる。
 俺は、ウイスキーを、ぐいと一口飲んで布団にはいった。すぐに眠りに落ちた。
「このリゾートマンションなどいかがでしょうか」
 禿たおやじが妻にパンフレットを見せている。
「おい、何してるんだ」
「あら、あなた」
「あなた、じゃないだろ。何してるんだ」
「何してるって、わからないの。リゾートマンションよ」
「だから、リゾートマンションをどうしようというんだ」
「買うのよ」
「か、買う?」
「リゾートマンションの一つくらいあったっていいじゃない。温泉権付きだっていうし」
「馬鹿。自分の住んでいる家も賃貸だというのに、何がリゾートマンションだ」
「家も買えばいいじゃない。そうねえ、土地は二、三百坪くらいでいいから、しゃれたフランス風のきれいな家がいいんじゃない」
「馬鹿」
「馬鹿、馬鹿言わないでよ」
「第一、そんな金、」
 言いかけて、妻の落ち着きと薄ら笑いの意味がようやくわかった。
「あーっ、お前、あのダイヤ売ったな」
「ピンポーン」
「な、何てことを」
 言いたいことは、山ほどあるのだが興奮のあまり言葉が続かない。
「あら、売ったって別にいいでしょ。私のなんだから」
「で、どうしたんだ」
「どうしたって?」
「だから、その金だよ、金」
「知りたい?」
「当たり前だ」
「すぐ降ろせる普通預金に十億。後は、定期ね」
「くっそー、ど、どこにあるんだ、その通帳とはんこは」
「ひ・み・つ」
「秘密って、夫婦だろ、俺達」
「でも、これは別」
「出せ。出せ、通帳とはんこを出せ!」
「厭だもーん」
「!!!!!!」
「じゃ、私、ちょっと用事があるからお先。あ、それから今日ちょっと遅くなるから夕御飯適当に食べといてね。おじさん、このパンフもらってくわね」
「どうぞよろしくお願いします」
 禿おやじは、にこにこと最敬礼した。妻は俺を無視して、さっさと店を出て行く。その後ろ姿を呆然と見ていた俺は、店先に止まっている車を見て、はっと我に返った。フェ、フェラーリではないか。しかも、運転席に座っているのは、モデル顔負けのかっこいい若い男なのだ。
「それじゃ、あなた、ばいばーい」
 笑顔と排気音を残してフェラーリは去り、俺は一人取り残された。
「く、くっそー!!」
 歯軋りの音でまた目が覚めた。
 見れば妻は恍惚の表情で熱い吐息を漏らしている。この野郎、金があるのをいいことに浮気をしているな。相手は、フェラーリの若い男だ。こんなことなら週に一回は求めに応じて義理を果たしておくんだった、と思ったが時すでに遅い。夢の中とはいえ、妻の吐く息が次第に熱く早くなってくるのを聞いているうちに、俺は完全に頭にきた。
「この野郎、起きろ!」
 乱暴に揺すると、妻はようやく寝ぼけまなこを開いた。ざまあみろ、絶頂に達する前に起こしてやったぞ。
「どうしたの?」
 不満そうな顔をして妻が言った。
「いや、何だか苦しそうだったから」
「あ、そうだったの。それなら大丈夫だから」
 それだけ言うと、くるりと背中を向け、数秒後にはもう寝息をたて始めた。そして、すぐに聞くに耐えない喘ぎが始まる。全く。何て奴だ。まるでアザラシじゃないか。俺は、またまたウイスキーを一口。しかし、夢でいくら浮気したところで法律的に罰することはできないし、離婚の理由にもならない。かといって浮気の現場に踏み込むのも俺のプライドが許さない。
 ウイスキーをもう一口。
 だいたいこんな中年太りの年増がもてるのも金のおかげで、その金ももともとは俺が見付けたダイヤじゃないか。そう考えると、またまた腹が立ってきた。何とかこのアザラシの鼻をあかしてやる手だてはないものか。ともかく寝ないことには、対等に戦えない。俺は、念のためウイスキーをもう一口飲んでから布団に入った。
「あら、起きてたの」
 帰って来た妻の顔は、情事の名残か、まだ上気している。
「起きてて、悪いか」
「うふっ、ご機嫌斜めなのね」
「うるさい!」
「おお怖、怖」
「どこ行ってたんだ。こんな遅くまで」
「あ、焼いてるんだ」
「だ、誰が、」
「私って、まだまだ魅力あるのかしら」
 黙れ、めす豚。と思ったがそう言ってしまっては、身も蓋もない。俺は、あくまで冷静に言った。
「おい、例のダイヤの金の件だが、」
「あ、またそのこと」
 何が、そのことだ。とぼけやがって。
「そう。そのことなんだがな、ひとつ冷静に話し合わないか」
「要するに、分け前がほしいってことでしょ」
 馬鹿野郎。もともと俺の物なんだぞ。
「いやあ、図星。そういうことなんだ」
「がめついわねえ」
 が、がめついだと! がめついのは、どっちだ。
「いいわよ。少しくらいなら分けてあげる」
「ほ、本当か」
「でも、半分こってのはだめ」
「じゃあ、どれくらいならいいんだ?」
「そうねえ、一割りってのはどうかしら」
「一割りだって。だったの、」
 思わず絞め殺したくなった。俺が紳士でなかったら、次の瞬間、妻は息絶えていたはずだ。
「でも、一割りでも五億円くらいはあるわよ」
「ご、五億!」
 たった一割りの五億で興奮する自分が恥ずかしいが、正直、失禁しそうなほど体が震えた。その時、突然、関係の無い声が割り込んできたのだ。
「あのう、」
 見ると、いつ入って来たのか、六十くらいの黒縁眼鏡の男がにこにこ笑って立っている。
「だ、誰だ。お前」
「あ、これはどうも。自己紹介をお許し下さい。私、この下の部屋に住んでいる者です」
「下の部屋?」
「はい」
「それが、どうしてここにいるんだ?」
「そうよ。家宅侵入罪で訴えるわよ」
 突然、我々夫婦は堅く団結したのだった。
「ちょ、ちょっと待って下さい。今、訳をはなします」
「訳? 訳なんかあるのか」
「それが、あるんです。実は、私、寝てたんです。ところが夢の中でどういうわけかお宅へ来てしまったんです。で、お話しをお聞きしておりますと、何だかとてもうらやましいようなお話で。どうでしょう、ひとつ私めにも、その一割りとやらをわけていただけませんでしょうか」
 何て図々しい奴だ。
「誰が、お前なんかに」
「だめでしょうか」
「だめよ。だめに決まってるじゃない」
「そうですかあ。そこをひとつ考え直していただけませんでしょうかね」
「だめなものは、だめだ」
「そうよ。あれは、私達のものなんですから。あんたなんかにあげる言われはないわ」
「そうですかあ。残念ですねえ」
「わかったら、さっさと出て行け」
「そうですか。それなら、」
 言うと同時に男は、ナイフを出した。
「下手に出りゃ付け上がりゃがって。こうなったら、有り金残らず出せ!」
「わっ!!」
 あまりの出来事にびっくりして目が覚めてしまった。妻も同じ夢を見ていたのだろう、青ざめた顔をしてこちらを見ている。実際、下の部屋のおやじときたらとんでもない奴だ。
「あーっ」
 突然、妻が大声を出した。
「どうした?」
「大変。私達が、起きちゃったから、夢の中のお金、あのおやじに全部とられちゃう」
「何だって!」
 さすがに俺もあわてた。言われてみれば、確かにそうだ。
「どうしましょ」
「どうしましょ、ったって、・・・・そうだ」
 名案がひらめいた。俺は立ち上がって、どん、と跳んだ。
「どうしたの、突然?」
 おびえたような表情で妻がきいた。
「お前も、跳ぶんだ」
 俺は、跳び続けながら言った。
「何しろ、このアパートときたら天下御免の安普請だからな、ちょっとした足音でもがんがん下に響く。どんどんやって敵が起きてしまえば、金はこっちのもんだ」
 ざまあ見ろ。俺達は、念には念を入れてどんどんやってからウイスキーで乾杯した。ううむ、こうしてアルコールが入って目元がほんのり赤い我が妻も悪くはない。
「ねえ、あのお金、どっちがどうとか言うのもう止めましょ」
「そうだよな。何てったって俺達、夫婦なんだから」
 俺は、優しく妻を抱き寄せた。当然の如く何が何して、肉体労働をした俺達は、その心地よい疲れの中でまたまた眠りに落ちていった。
「あっ来た来た」
 な、何なんだ、これは。部屋の中は人で一杯ではないか。
「あの、私、隣の部屋の者なんですけど」
「わしは、上の階の者なんだが」
「僕は、十三階の僕ちゃんです」
「私、何の関係もない者なんですけど」
 俺は、あわてて跳び起きた。しかし、頭はもう完全にパニック状態で、自分が起きているのか寝ているのかもはっきりしない。妻と一緒にへたり込んでいるところにチャイムが鳴った。深夜だし放かっておこうと思ったのだが、いつまでもうるさく鳴らすので、しかたなしに玄関口のインターホンに出る。
「どなたですか」
 聞こえてきたのは、六十くらいの男の声だった。
「すいません。私、この下の部屋に住んでいる者ですが」
「じょ、冗談じゃない」
 俺は、あわててインターホンを切り、部屋へ戻ろうとした。が、戻れなかった。というのも、部屋の中は、人で一杯だったのだ。
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