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ナイチンゲールの終焉 [短編・雑文]

ナイチンゲールの終焉
 「チーム・バチスタの栄光」を買った古本屋に「ナイチンゲールの沈黙」が同じく2冊300円で出ていた。帯には「田口・白鳥シリーズ、新たな地平」とある。どうもこの後が現在映画公開中の「ジェネラル・ルージュの凱旋」らしいので、「ナイチンゲール」はシリーズ第2弾ということらしい。まあタバコ一箱の値段なので買って読んでみた。その分、タバコを控えるわけなので、これは健康にもいい。
 海堂尊の「チーム・バチスタの栄光」に始まる「田口&白鳥シリーズ」は売れに売れているようだ。「バチスタ」は映画にもなつたしテレビドラマにもなった(下に以前書いた映画の感想をコピペしておく)。が、原作を読んではみたものの、実は私にはあまりおもしろさがわからなかった。「このミステリがすごい」ということなのでミステリとして読んだのだが、まず犯人は手術チームの中にいるとしか考えられないので、手術中にそういうことができるのはと考えるとすぐに犯人の見当はつく。となると、意外な動機とかに期待することになるわけだがとうてい納得できる動機ではなかった。人物描写に問題があり各人のイメージが希薄なので犯人の指摘があっても何の驚きもなかった。田口・白鳥コンビにしても漫画的な誇張描写がされているが、わざとらしくて明確な人物像を結ぶものではない。その「チーム・バチスタの栄光」が満場一致で「このミス大賞」に選ばれたときくと、その年の応募レベルがよほど低かったのか、あるいは版元が同じ宝島社なのでマッチポンプのできレースではなかったのかと疑いたくもなる。もっとも、これだけのベストセラーなので、多分、こちらの読み方が悪いのだろうと思ってはいるのだが(←嘘です(^^*)。
 で、今回読んだ「ナイチンゲールの沈黙」なのだが、これって世間的な評価はどうだったんだろう? 映画がこれを飛ばして「ルージュ」になっていることからイマイチだったのかとも思うが、本当のところはわからない。私としては正直、「バチスタ」がイマイチとしたら、この「ナイチンゲール」はイマニ、いやイマゴくらいの評価である。はっきり言って、つまらなかった。まず犯人は事件が発覚したときからわかっている。もちろんミステリには意外な犯人が必要だと言っているわけではなく、ハードボイルド、アクション系、あるいは倒叙推理などでは最初から犯人がわかっているものも多く、犯人の側から書かれたものもある。それだけでマイナスになることはない。犯人像あるいは犯行の手順、犯行の動機などで読者を唸らせればいいわけである。ところが、この小説ではまず、なぜ解剖さればらばらにされた死体だったのかという理由が全く理解できない。苦し紛れの説明はあるのだが何時間も現場にいるからにはかなりの必然性が要求されるわけで、示された理由は到底納得できるものではない。ネタバレしないように書くので読んでいない人にはわかりにくいかもしれないが、核心はほとんどファンタジーで、合理的な解決があるのかと思っていると(ミステリと思って読んでいる)、ええーってなもんや三度笠である。前半で加納というはみだしキャリアが出てくる。どう考えてもこいつ白鳥とキャラかぶっているなあと思いながら読み進んでいくと、後半白鳥が出てきた途端に存在感がなくなってしまい、読み終わったときにはほとんど印象に残っていなかった。シリーズの中でまた出てくるんだろうとは思うが、小説は本来一冊完結が原則なので、続刊の中ではちゃんと活躍するんだから、この作品では中途半端でいいなどというのは理由にならない。付け足しのように時計について、犯人だけが知り得た云々と言っているが、少なくとも小説に提示された事象だけでは到底公判は維持できない。というか、検事が起訴に踏み切れるのかどうかさえ疑問である。
 ……ということで、同じ兼業作家でも森博嗣(大学助教授は辞めてしまったようなので今は正確には兼業ではないが)のものはミステリはミステリ、ファンタジーはファンタジーとして読めたのだが、「ナイチンゲール」には中途半端さへの不満だけが残った。なぜこの小説が受けているのか、私にはさっぱりわからない。あれほど売れた「セカチュー」など全く読むに耐えなかったことを考えると、海堂小説は若い人だけのもので、年寄りが読むものではないのかもしれない。まあ、この小説を読んで「おもしろかった」と言う人、「感動した」と言う人には、「若いねえ」「よかったね」とだけ言っておこう。
 そういったことから、結論。海堂作品を読むのは、これで打ち止め(終焉)にする。これはベストセラー作家・池波正太郎の諸作品でもそうなのだが、生理的に受け付けないというか、作品世界に入っていけないのだ。世の大部分の人には受け入れられているようなので、作者ではなく私のほうに問題があるのかもしれないが、読む・読まないの権利は読者のほうにあるということで海堂フアンには許してもらうことにしたい。(それでも来年になるが、日本映画専門チャンネルで「ルージュ」をやったら見ることは見るんだろうなぁ。)


映画「チーム・バチスタの栄光」 ☆☆☆★
 別のところにすでに書いたが、原作は人物像が明確ではなく、渾名付けなどにも意味はなく、ミステリとしても犯人像が希薄であまり楽しめなかった。また、フジの連続ドラマは話を延ばすのと犯人当ての弱さを補強するためいろいろがんばったのだが、後半の創作部分が安易で残念な結果に終わってしまった。が、それだけに話自体2時間程度のものと考えれば、ちょっと期待が高まるというものである。
 日本映画専門チャンネルで放送されたのでさっそく見てみた(ゴジラ・シリーズもそうだったが、このチャンネル画質がいいのがうれしい)。破天荒な白鳥を阿部ちゃんにし、田口を竹内にしたのはドラマのビーバップ+電車男よりよほどよい。白鳥のような役人がいるわけはないのだが阿部の変人ぶりは妙なリアリティを感じさせる。ビーバップも悪くはなかったのだが、国1を受かりそうに見えないところが減点。竹内もよく見るとボケ顔で感情過多の電車男よりよほどよい(患者の愚痴を聞いてやる医者?なので感情過多では失格だろう)。ただし、執刀医の桐生は映画の吉川よりドラマの伊原のほうがそれらしかったかな。吉川はちょっと天才外科医には見えない。
 犯人の動機は原作でもかなり苦しいものがあったが、この映画を見て納得できた人がいただろうか。原作の海堂尊はこれが処女作のようだが、実は意外でも何でもない犯人を意外な犯人にしようとするあまりびびって隠そうとし結果として犯人のキャラクターを印象の薄いものにしてしまっている。こういうところこそ、シナリオでうまく伏線をはってもらいたいところなのだが、さらに唐突なものになってしまって、残念。
 また、病院内のシーンが多いため場面の変化をつけるため、唐突にソフトボールのシーンやロックのシーンが挿入されるが、流れを中断するだけで逆効果になっている。放送後の対談で軽部は「ソフトボールのシーンが印象的で……」て言っていたが、馬鹿だね。監督の中村義洋は「(ソフトボールの)撮影は楽しかった」とだけ言っている。外部の圧力で入れざるを得なかったのではないか。「ゴッドファーザー」や「エクソシスト」のシーンを参考にしたと楽しそうに語る監督である。部屋の中だけであれだけのドラマを作り上げた「12人の怒れる男たち」を見ていないはずはないと想像する。
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