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The TANS [短編・雑文]

The TANS



 目の前を、いきなりタンスが通り過ぎて要った。
−−な、何なんだ。今のは?
 突然の出来事に俺は、ぎょっとして立ち止まった。が、考えてみれば、タンスが走るはずがないのである。
−−−−何かの見間違いなのだろう。
 と思いながら、振り返った。
 タンスはちょうど角を曲がるところで、タンスとその下の足の一部だけがちらりと見えた。何を考えているのか、タンスを運んでいる男の足は、裸足だった。
−−引っ越しか。
 と、俺は納得した。
 しかし、引っ越しにしても裸足でタンスを運ぶなんてさすが下町である。おそらく江戸時代から大切なタンスは裸足で運ばなければならない、とか何とかいうしきたりでもあるのだろう。今となってはそういう古いしきたりにたいした意味はないが、なかなか情緒があるではないか。
−−これは、いいものを見せてもらった。
 と思いながら、俺はそのまま角を曲がり、宇野万物の玄関のチャイムをならした。
 宇野万物は高校時代からの親友で、天才肌のちょっと気難しいところのある男なのだが何となく俺とは気が合い、大学も違ったのにもう十年も付き合いが続いているのだった。今日は会社の仕事で彼の家の近くまで来たので挨拶がてら寄ったのである。
 返事はなかったが、念の為ノブを捻ってみると、ドアは簡単に開いた。
−−あっ寝ているんだ。
 と、思った俺は、
「ごめんください」
 ノブに手を掛けたまま呼んでみた。が返事はない。改めて、
「宇野。佐々木だけどいるか」
 一応隣近所を意識した範囲内で大声を出した。
 もう午後の二時なのだが、
「おもしろいものを発明しから見に来いよ」 と、夜中の三時に電話を掛けてきたり、
「タバコを切らしたから」
 と公園にモク拾いに行ったり、世間の常識などというものには全く無頓着な奴なのである。
 まだ寝ているに違いないのだ。
 しかし、ドアを開け放したまま寝ているなんていつもの事なのだろうが、
−−不用心極まりないなあ。
 と、思っていると、
「……本当に佐々木か?」
 数秒遅れて返事があったのだった。
 妙に小さな声だが、間違いなく宇野万物の声だった。
 いくらか元気がないように聞こえるのは、俺の予想通り寝ていたためだろう。俺は宇野がぼさぼさ頭で目をしょぼしょぼさせながら出て来るのを待った。
 ところが、いくら待っても出て来る気配がないのだ。
−−空耳だったのだろうか?
 何となく薄気味悪くなって、俺はもう一度静まり返った家の中に声を掛けた。
「おおい、宇野」
 今度は、すぐに返事があった。
「本当に佐々木か?」
「佐々木だよ」
 声の主が間違いなく宇野だとわかった俺は、そのまま中に入り、後ろ手にドアを閉めながら答えた。
「本当に本当に佐々木だな」
 前々からくどい奴ではあったが、それにしても今日の宇野は、妙にくどい。
「本当に佐々木だよ。佐々木良雄だ。どうした、入ってもいいんだろ」
 何か実験の途中なのか、久しぶりに来たというのに出迎えようともしない。まあ、いつものことといえばいつものことなので、こちらも別に気を悪くすることもない。そのまま待っていると、しばらく遅れてから返事があった。
「……悪いけどドアに鍵をかけてから研究室の方へ来てくれないか」
 言われなくてもそうするつもりだった。これでは、泥棒に入ってくれ、といっているようなものである。ただ、それにしても、
−−鍵くらい自分でかければいいのに。
 と思いながらも俺は言われた通りにすると、彼の研究室へ向かった。この家には何度も来ているので広い家だが迷うことはない。
「どうせ昼飯、まだなんだろ。何かうまいものでも食いに行こうぜ」
 言いながら、俺は勢い良く研究室のドアを開けた。
 途端に声を失った。
 宇野万物は、そこにいた。
 しかし、それは宇野の頭だけなのだ。
 いや、もっと正確に言おう。首から上は確かに宇野だった。が、しかし、その首から下は何とタンスなのだ。
 タンスといっても何のことだかわからない読者のために遅ればせながら簡単に説明しておこう。
 タンスとは家具の一種で、主に木でできており、服とか下着とかを入れる引き出しが五段ほど並んでいるものなのである。どうでもいいことだが、箪笥と難しい字を書く。
 入れる服の種類によって洋ダンス、和ダンスに分かれる。ダンスといっても勿論踊りのことではなく、タンスが音便変化してダンスとなったわけである。
 似たものに食器をなどを入れる家具があるが、あれは食器棚といい、決して食器タンスとはいわない。念のため。
 生きていてしゃべることのできる人間の首から下が、そのタンスなのだから、これは驚かないわけにはいかない。
「どど、どうしたんだ。いったい?」
 俺は研究室の入り口に立ち尽くしたまま、ようやくそれだけ言った。
「ご覧の通りだよ」
 宇野は俺の驚きぶりが面白いのか、にやりと笑って言った。しかし、
「ご覧の通り」
 と言われたところでとても納得できるものではない。
「悪い冗談はよせ」
「悪い冗談?」
「いや、冗談というかなんというか?」
「おい、佐々木、」
 宇野は、不意に真顔になって言った。
「俺はな、ついに成功したんだよ」
「成功したって、その、人間とタンスを合体させて何の役に立つんだ」
「いや、これは結果であって目的ではない。いいか聞いて驚くなよ。俺は、ついにやったんだ。佐々木、俺は物質電送機を完成させたんだよ」
 驚くな、と言うほうが無理である。
 言われて改めて見ると、宇野の後ろには見慣れない大きな機械が三メートルほどの間をおいて並んでいる。
「物質……?」
「そうだ。あらゆる物質を粒子に分解し、電波に乗せて送り送られた先で再構成する機械だ。これが実用化されれば飛行機も電車も自動車もすべての輸送機関が不要になる。それだけじゃない。送られるスピードは光の速さだから秒速三十万キロ。つまり、世界のどこへでも瞬時に行けるというわけだ」
「信じられん…」
 そういう話はSFである。鉄腕アトムの世界である。それが、
「現実になった」
 と言われたところで俄かに信じられるものではない。俺は動揺を隠すためとりあえずタバコに火を点けた。
「俺にも一口吸わせてくれないか」
「吸わせてって、お前、禁煙したんじゃなかったのか」
 俺は、壁に貼ってある《禁煙》と書かれた紙を指差した。
「そのつもりだったんだが……」
 後は聞かなくてもわかっている。研究には寝食を忘れ、何度失敗してもしつこく続けるくせに、禁煙となると高校時代から別人のようにまるっきりだらしがない奴だったのだ。毎年、いや毎月のように禁煙宣言をしては一週間ほどでそれを破っているのだ。俺が知っているだけでも彼の禁煙宣言は五十回にはなる。
 つまり宇野は知り合った時からタバコを吸っていたのだから、毎月のように禁煙してはその都度破っているというわけだ。
「しかし、」
 俺は、宇野の口にタバコを持っていき一口吸わせてやりながら言った。
「今の話、本当にマジなのかよ?」
「現実だ。この俺の姿が証拠だよ」
「タンスと合体することがか?」
「だから、これは目的じゃなくて結果だと言っただろ。俺がこんな状態なのに悪い冗談はよせよ」
「すまん、しかし、こうして見るとなかなか面白い構図だぜ」
「まあそれは認めんでもないが、」
 宇野は、苦笑した。
「これはちょっとしたミスでな」
「ミス?」
「そう、単純なミスなんだ。実は、今までスプーンとか本とかいろいろなもので実験して、成功してたんだ。そこで、自然の成り行きとして、今度は少し大きいものでも実験してみようと思ったわけだ」
「それで?」
「家にある大きい物の代表といえばタンスだ。それで、電送機にタンスを運び込んだんだ。ところが俺が電送機から出ないうちに誤ってスイッチが入ってしまった、というわけなんだよ」
 と言われても何のことだかわからない。俺はただ呆然としてタンスの上の宇野の顔を見詰めた。
「つまりだ、この右側のある機械の中で俺とタンスは粒子に分解され、ごちゃごちゃに混じりあった状態で左側の機械に送られて再構成されたというわけだ」
「粒子が混じりあってたから、そんなになってしまったと言うわけか?」
「そうだ」
「馬鹿な」
 と言おうとした途端、俺は、ふと、
−−これは、宇野一流のおもしろくもないジョークなのではないか。
 と思ったのだった。
 宇野が天才であることは認めるにしても、いくらなんでもこれではあまりに話が突飛過ぎる。
−−訪ねて来た人を驚かせようと、タンスをくり抜いて中に入っているだけなのではないのか。
 そう思った。
「わかった、わかった」
「本当にわかったのか?」
「勿論。だから宇野、いいかげんに悪い冗談は止めてタンスから出て来いよ」
「やっぱり信じてくれないのか」
 宇野の言葉には微かに落胆の色が感じられた。
「ああ、信じないね。人を驚かそうと思ったらもう少し現実的な話を考えなくちゃ。たとえば、お前とタンスの粒子が混じり合い、首から下がタンスになってしまったと言うのなら、もう一つ首から上がタンスで下がお前というものがあるはずじゃないか。しかし、こうして見渡したところそんなものはどこにもないぞ」
「そこなんだよ、問題は」
「問題?」
「そうなんだ。問題は、上がタンスで下が俺の存在なんだ」
「というと、あるのか、そんなものが?」
「ああ。−−いや、正確には、あった、と言うべきなんだろう」
「あった?」
「そうなんだ。タンスの奴、というか首から下は俺だからやはり俺と言うべきなのかもしれんが、動けるようになったのがよほどうれしかったのか、俺のこんな状態をあざ笑うように出てってしまったんだ」
「でで、出てってって、どこへ?」
「外へだよ」
「外!」
 と言ったきり俺は危うく気絶しそうになった。
「もしかすると、−−あれが、そうだったのか!」
 宇野の家へ着く直前に見た裸足のタンス引っ越し男。
 あれは、裸足の男がタンスを担いでいるものだとばかり思っていたのだが、今の宇野の話を聞いてみると、確かにその男の顔を見たわけではない。
「そ、そりゃあ大変じゃないか」
 などと言っている場合ではなかった。
 考えてもみたまえ。首から上がタンスの人物が町中を徘徊している光景を。
「そこなんだよ!問題は!」
 宇野のタンスの引き出しが、ひょいと飛び出し、ばたんと勢い良く閉まった。一瞬、ぽかんとするが、宇野が物事を強調する時にぽんと膝をたたく、あの代わりだと俺は好意的に解釈することにして、ここへ来る途中で見たもののことを話した。
「間違いないな」
 宇野は、即座に断言した。
「その時、捕まえておいてくれればなあ」
「申し訳ない。まさか、タンス男とは考えもしなかったんでな」
「そうだよな。それが普通だよな」
「しかし、あれがそうだとするといったいどこへ行ったんだろう?」
「まあちょっとした散歩なんだとは思うが、何しろ生まれて初めての散歩だからな。どこをどうほっつき歩いているのか…?」
「確かにそうだよな。しかし、困ったな、それは。もし道に迷ったとしても、顔がタンスでは電話も掛けられないし、人にきくこともできんし、…」
「そうなんだ。そこで頼みたいんだが、佐々木、そういうわけだから、ひとつ俺の片割れを探してくれないか。もう一度あれを粒子に分解し再構成すれば、また元の俺に戻れるはずなんだ」
 宇野の言うことは、わかる。
 彼の悩みもわからないわけではないが、俺は大きな溜息をつくと、
「ううむ……」
 と、思わず唸ってしまった。
 友達なのだから出来るだけ彼の役に立ってあげたいという気は勿論ある。しかし、当てもなく闇雲に町へ出て行って、
「あのうタンス男、見ませんでしたか」
 と、きくわけにもいかないではないか。
《危ない人間》の烙印を押され、警察に通報され、病院に収容されるのがオチである。
「そうだ。宇野、この部屋にテレビあるか」「そこにあるが、何か」
「ちょっと点けてみようぜ」
「いいけど。…」
「タンス男なんて奇妙なものが突然現れたんだ。俺だってびっくりしたくらいなんだから、ニュースになっていないわけがないぜ」
 俺の勘は当たっていた。
 テレビを点けた途端現れたアナウンサーは、いきなり、
「…それでは、タンス男事件の続報です」
 そう言ったのだった。
「おい、やっぱりやってるぜ」
 宇野の顔にも、ほっ、とした表情が現れている。これで宇野の片割れの居所もわかる。とすればこの奇妙な事件も一挙に解決だ、と俺は思った。
 まあ警察には世間を騒がせたということでしかられるだろうが、タンス男を取り返し、再び宇野とタンスに分ければ、もう二度とタンスが歩き出すことはないのだ。
「タンス男は、墨田区の《なかよし幼稚園》の良い子達を驚かせた後、隅田川で立ち小便をして…」
「なかよし幼稚園だな」
 俺は、宇野の返事も待たずに飛び出した。なかよし幼稚園なら以前、会社の仕事で行ったことがあるので場所はわかっている。ここから歩いて二十分ほどの所だ。
 ところが、
「おもちろかったよー」
「こわかったよー」
「やぎぞばたべたい」
 園児達の答えは、さっぱり要領を得ないのである。
「で、そのタンスはどっちへ行ったの?」
「あっち」
「ちがうよ。こっちだよ」
「あっちだってば」
「え〜ん。ひでちゃんがぶったー」
 それでも辺りを歩き回った俺は、一時間ほどして足取りも重く宇野の家へ帰った。
「やっぱ、だめか」
 俺の顔を見た途端、そう言ったくらいだから、よほど疲れた顔をしていたのだろう。
「何かニュースは入った?」
「いや、あの後はまだ」
 宇野がそう言った時だった。
「たった今、入りましたタンス男の続報です」 タイミングよく先程のアナウンサーの顔が写ったのだった。
「−−町中に突然現れ、頭にタンスをかぶり下半身丸出しという奇妙なスタイルで…」
「か、下半身丸出し!」
 つい宇野の顔を見る。
「すまん。風呂上がりに実験してたもんで。まさかこんなことになるとは思わなかったんだ」
 そういえば、あの時見た、タンスの下の足は、裸足だった。《なかよし幼稚園》の良い子達を驚かせたというのは、ナニで驚かせたのか。
「しかし、まずいぞ、それは」
「そうかなあ」
「うん、まずい。決定的にまずい」
 俺の予感は的中した。
「…を始め多くの人々を恐怖に陥れていました通称たタンス男は、たった今、」
 たった今、という言葉に俺達は緊張して画面に見入った。
「焼け死にました」
「−−死んだ!」
 宇野の顔は、真っ青だ。それはそうだろう。自分の下半身が死んだとあっては、とても他人事ではない。
「周囲の状況から、追い詰められたタンス男は、粗大ごみ置き場に隠れ、タバコを吸おうとしたのではないかと思われます。そして、火の点いたタバコを顔の部分に当たるタンスの引き出しに入れたところ、火が全身に廻って死亡したものと当局はみいてます。なお、現場の焼死体は男の下半身と首から上がタンスに当たる部分以外になく、警察では現在、首から上の行方を捜査中です」
「おい」
 さすがに俺も言葉を失った。警察の捜している首は、俺の目の前にあるのだ。
「だから…」
 捜査中のタンスの首から上が、弱々しく言った。
「禁煙しようと思っていたのに……」
                 (完)


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