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地球断絶 [短編・雑文]

地球断絶


「ねえねえ、庭に割れ目ができたわよ」
 会社から帰って来ると、妻がうれしそうに言った。よほど早く話したくてうずうずしていたのだろう。珍しく目が生き生きしている。
「へえ」
 最近は地震も多いし、別に地割れができたからって驚くほどのことはない。仕事で疲れているせいもあって、ついつい生返事になる。
「私、どれくらいの割れ目なのか測ってみたの」
「ほう」
「どれくらいあったと思う?」
「さあ」
「それがねえ、深さが何と五十センチ、幅二十センチもあるのよ」
「ほほう」
「長さは、ちょうど家の庭の端から端までだから五メートルくらいかしら」
「なるほど」
「不思議よねえ。昨日は割れ目なんて全然なかったのに」
「ふむ」
「ちょっと、他人の話、聞いてるの!」
 というわけで、夜だというのに俺は庭に出て「割れ目」の実地検分をするはめになった。懐中電灯で照らしてみると、なるほど、庭の真ん中に黒い帯のようなものが見える。しかし、それはとても妻が言うような「深さ五十センチ、幅二十センチ、長さ五メートル」などというようなしろものではなかった。割れ目は隣の家の方まで入り込んでいるので長さはよくわからないが、深さ二メートル、幅一メートルはあった。いや、深さ幅共にもう少しあるのかもしれない。ともかく簡単には跳び越せないほどのものだった。
「こりゃあちょっと、あれだな」
 とりあえず俺は、「動揺していないぞ」という意思表示のために意味不明の言葉をつぶやいておいて、次の言葉を考えた。
「お袋が落ちると危ないし、柵を作らんといかんな」
「そうなのよ!明日、休みだしさっそく作りましょうよ!」
 打てば響くように妻が言った。「ははあ。なるほど」と、ここにきて俺はようやく妻の目が生き生きしていたことの理由がわかった。
 俺達の家は恥ずかしながら、お袋の家の庭にあるのだ。地価高騰で俺のような貧乏サラリーマンに家が買えるはずもなく、お袋の家の庭の片隅に小さな家を建てさせてもらっているのである。それが、どうも妻には気に入らないのである。とくに、何かに付けてお袋がやって来て、やれせっかく家を建ててやったのにもうこんなに汚れてしまって(実は土地だけでなく建築資金もほとんどお袋に出してもらったのである。しかもお袋は、無類の掃除好きなのでである)とか、やれこの家を建てたら自分の家の日当たりが悪くなった(せっかくだから二階建てにしたら、と言ったのはお袋なのだがそんなことは完全に忘れてしまっているのである)、等と聞こえこがしに言うことにはかなり怒っており、
「早く引っ越しましょうよ」
「そんなこと言ったって、どこへ行くんだよ」
 と、よく夫婦間でも論争になったのだった。そこへ、降って涌いたような「地割れ」である。「柵」である。これでは、妻に「喜ぶな」と言う方が無理である。
「柵なんか作ったらお袋、怒るだろうな」
 とは思ったが、割れ目に落ちて死なれるよりはましである。翌日、俺は妻との約束通りまず自分の家の方の割れ目の横に柵を作ってからお袋の家に向かった。が、現場に着くのに五分もかかったのである。勿論、庭がそんなに広いわけではない。地割れの深さが十メートル、幅が五メートルにもなっていて跳び越せないため、ぐるっと遠回りして行ったためである。帰りは、十五分もかかった。さすがに俺は心配になってきた。
「区役所に知らせた方がいいのかなあ」
 などと休みであることも忘れて考えながら帰って来ると、とういうわけか家の前に人だかりがしている。
「で、最初、割れ目を発見なされた時、どんな感じでしたか」
「それが最初はとっても小さな割れ目だったでしょ。特に変だとも思いませんでしたの」 質問しているのは、テレビでよく見る顔の男だった。そして、着飾って答えているのは、何と俺の妻ではないか。
「では、ちょっとその現場まで行ってみましょう」
 という男の一言で妻と六人ほどの男達は移動を始めた。
「ば、馬鹿。他人の家に勝手に入るな」
「あ、旦那さんが帰ってみえたようです」
 いきなりライトで照らされ、カメラが俺の方を向いた。
「どうも。NSSの庄司です。この度はどうも大変なことになったみたいですねえ」
「は、はあ」
「今、奥さんに現場を案内していただこうとしていたところなんですが、旦那さんも一緒に案内していただけないでしょうか」
「さ、さ、どうぞどうぞ」
 俺は、ついカメラに向かってにっこりしてしまった。しかし、現場に着くとにっこりともしていられなくなった。割れ目はさらに成長し、幅十メートルほどにもなっているのだ。深さはよく分からないが、二十、いや三十メートルはあるかもしれない。
「では、ちょっと割れ目の中に降りてみましょう」
 レポーターとカメラマンは、そう言うといきなり柵にロープをかけ、するすると垂直に近い崖を降り始めた。
「ちょっ、ちょっと」
 あわてて俺は止めた。
「大丈夫ですよ。旦那さん」
 言った途端、柵が壊れて二人は崖をころがるようにして落っこちていき、そのまま動かなくなった。その様子がテレビで中継されてしまったのだから大変である。たちまち俺の家の前は黒山の人だかり。お袋の家の方にもたくさんの人間が詰め掛けているのだろう、大群衆特有のざわめきが聞こえてくる。
「いったい、どうなってしまうのだろう」
 と思っていると、突然、お袋の家の屋根に旗が立った。
『元祖・割れ目茶屋』
 何とお袋、この騒動を利用して儲けようとしているのだ。さすがに太いというか何というか。あきれかえっていると、
「あなた、ちょっとそこどいて」
 言われて見ると、妻も大きな旗を立てようとしている。
『本家・割れ目喫茶』
「せっかくだもの、儲けなくっちゃね」
 ううむ、女は太い。俺は、言う言葉もなく、幅二十メートル、深さ五十メートルにも成長した割れ目を覗き込んだ。
「いったい、この割れ目は、どこまで成長するのだろう?」
 そんな心配をよそに、翌日、そそくさとやって来たのは、役人だった。
「いかがなものでしょうか」
 と、そいつは慇懃無礼な口調で言ったのだった。
「いろいろ問題はおありかと存じますが、あの割れ目をひとつごみ捨て場ということにさせていただきたいのですが」
「お帰り下さい」
 次にやって来たのは、そのごみの中から生まれたような髭面の男だった。
「あなたは、呪われています」
「はっ?」
「このままでは地獄へ落ちます」
「はあ」
「寄付をなさい」
「お帰り下さい」
「強力瞬間接着剤いかがでしょうか」
「え〜、日本ロッククライミング同好会ですが」
「割れ目ちゃん研究会です」
「ただの通りがかりの者ですが」
「まとめてお帰り下さい」
 最後に残ったのは、一見恰幅のいい紳士だった。
「私、こういう者ですがお話しだけでも聞いていただけないかと思いまして。あ、これほんの手土産ですが」
 いきなりダイヤ入りのペア・ウォッチを差し出された。
「は、はあ。ま、いいでしょう。少しくらいなら」
 男は、深々と頭を下げ我家に上がり込むと、
「ではさっそく本題に入らせていただきますが」
 何を思ったのか、ぶ厚い札束を取り出した。
「どうでしょう、これであの割れ目を売っていただけないでしょうか」
「はっ?」
「ざっと見たところ、深さは百メートル、利用できるのがそのうちの八十メートル、底の方は狭すぎてちょっと利用しにくいですので、それにお宅様の庭の幅が十メートル。占めて八百平米を平米一万円ということで、ここに八百万あります」
「はあ?」
「勿論、そのままというわけではありません。深くなればなるほどつまり利用できる面積が増えればその増えた分につきましても改めて平米一万円をお支払いいたします。お隣様にはこの条件で快諾いただきましたので、ぜひお宅様でもと願う次第でありますが」
「あのう、売るのはかまいませんが、いったい何に使うのですか?」
「住宅建設ですよ」
「住宅?」
「はい。あの割れ目を利用してビルを建てるのです。普通のビルは底といいますかまあ一階の部分が地面についているわけですが、私共が考えているビルは壁が地面、つまりあの割れ目の壁にくっついているというわけでして。言ってみれば地下ビルを作るようなものですよ」
 俺は、頭の中で素早く計算してみた。地球の半径は確か六千数百キロだからとりあえず六千として、六千キロといえば六百万メートルだ。これに庭の幅十を掛ける。六千万。平米一万円だから、六千万に1万を掛けると、六千億!
「乗りましょう。その話」
 というわけで、翌日からさっそく住宅建設が始まった。
 その間にも割れ目はどんどん大きくなり、たちまち割れ目の中には大団地ができあがった。なにしろ、土地代がべらぼうに安いのだ。旅行会社が募った「割れ目ツアー」が人気を呼び、元祖も本家も茶屋は大いに儲かったが、それも半年くらいですぐに飽きられてしまった。団地は、あれよあれよという間に大きくなり独立宣言をして国になった。つまり、俺の家の庭の中に独立した国ができてしまったのだ。その名を『割れ目共和国』という。割れ目の中を飛行機が飛ぶようになったのも、この頃である。割れ目が海にまで到達し、海水が入って船が通るようになると、割れ目共和国は、海を挟んで元祖・割れ目共和国と本家・割れ目共和国との二つに分裂した。領海権をめぐって戦争が始まったが、二つの国の間が日本とハワイほどに広がると自然に終わった。しかし、俺は口に出しては言わなかったが、心配だった。割れ目の拡大は、止まるところを知らないのだ。そして、その心配は、ある日、現実のものとなった。
 地球がパッカリと割れてしまったのだ。
 丸い地球が、お椀のように二つになってしまったのだ。
 さすがに俺は青ざめたが、妻はすっかり有頂天なのである。
「だって、これであなたのお母さんには永遠に会わずにすむんだもの」
「ううむ、・・・・・・女は、太い!」
 俺は、半月のように見える彼方の地球を見上げながら、思わず嘆息した。(んな、馬鹿な)

(完)

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