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NIGHTMARE [短編・雑文]

NIGHTMARE


 洞窟の天井は、頭を打ちそうなほど低い。心細くなるほど弱々しい懐中電灯の明かりに照らし出されたのは、一体の骸骨だった。髪の毛は半分以上が抜け落ち、着ている服も洞窟の湿気でぼろぼろになっている。ただ左手のローレックスだけが主人の変事も知らぬげに時を刻んでいるのだった。そして、何かを求めるように前に出されている右手の中に、それは、あった。弱く細い光の中でも、それはきらきらとまるで命あるもののように輝いているのだった。ダイヤだ。それも、世界最大の。
「これで、遊んで暮らせる」
 俺は、手を伸ばし、ダイヤを取ろうとした。その時だった。
「いただくわよ、このダイヤ」
 暗闇の中から突然、勝ち誇ったような声が聞こえ、何者かの腕が伸びてダイヤを奪い取ったのだった。
「誰だ!」
 俺は、叫びざま腕の出て来た方の暗闇に光を向けた。
「お前か」
 ひっくり返りそうになった声が途端にトーンターウンする。暗闇の中に浮かび上がったのは、意外にも見慣れた顔、俺の妻の顔だったのだ。
「悪い冗談はよせ」
「あら、私じゃ悪かったわけ」
 手にしたダイヤを見詰めながら妻は、しゃあしゃあと言った。俺は、努めて冷静に言う。
「いや、そういうわけじゃないけど。さ、渡せよ、それ」
 予期せぬ答えが返ってきた。
「厭だもーん」
「い、厭だって」
「そうだもーん」
「だって、それは俺が見付けたもんじゃないか」
「なこと言ったって、手に入れたのは私だもん」
「まあ、それはそうだが、よし、話し合いしよう、話し合いを」
「してるじゃない」
「だから、話し合いで解決しようと、」
「こういうのは、最初に手にした者の物になるはずよ」
「そんな」
「何てったって、ダイヤは、私のものよ」
 敵は、ダイヤを持っているだけに強い。
「よーし、わかった。それじゃ、こういうのはどうだ。半分こするってのは」
「私のものなのに、どうして半分にしなくちゃならないわけ」
「馬鹿。夫婦ってのはなあ、離婚する時だって財産は半分っこするもんなんだぞ」
「半分にしたくないもん」
「くそっ、ダイヤと俺とどっちが大切なんだ」
「もち、ダイヤよ」
「よこせ!」
「厭!」
 突然、光が消えた。押し寄せて来た闇の中を、
「はははははは、ダイヤは、私のものよ」
 勝ち誇った声が遠ざかって行く。くっそう、こんなことなら安物の電池じゃなく、アルカリ電池にしておくんだった。
 俺は、じだんだ踏んで、目が覚めた。
 隣では、妻が静かな寝息をたてている。口元に笑みをたたえている寝顔は、まあ悪くはない。考えてみれば、結婚以来、俺に逆らったことは一度もない妻ではないか。それを夢の中とはいえ悪人にしたててしまったのだ。俺は、自らを恥じ、妻の寝顔に優しくキスをしようとした。その時だった。
「はははははは」
 突然、妻が笑ったのだ。それも、どこかで聞いたことがあるような笑い声で。あっ、あの続きを見てるんだな、と俺にはすぐにわかった。
「くっそう、俺のダイヤを」
 揺すってみたが、とても起きそうにない。ダイヤを一人占めする気だ。ようし、こうなったら、何が何でももう一度寝てやる。ダイヤを取り返してやる。
 俺は、ウイスキーを、ぐいと一口飲んで布団にはいった。すぐに眠りに落ちた。
「このリゾートマンションなどいかがでしょうか」
 禿たおやじが妻にパンフレットを見せている。
「おい、何してるんだ」
「あら、あなた」
「あなた、じゃないだろ。何してるんだ」
「何してるって、わからないの。リゾートマンションよ」
「だから、リゾートマンションをどうしようというんだ」
「買うのよ」
「か、買う?」
「リゾートマンションの一つくらいあったっていいじゃない。温泉権付きだっていうし」
「馬鹿。自分の住んでいる家も賃貸だというのに、何がリゾートマンションだ」
「家も買えばいいじゃない。そうねえ、土地は二、三百坪くらいでいいから、しゃれたフランス風のきれいな家がいいんじゃない」
「馬鹿」
「馬鹿、馬鹿言わないでよ」
「第一、そんな金、」
 言いかけて、妻の落ち着きと薄ら笑いの意味がようやくわかった。
「あーっ、お前、あのダイヤ売ったな」
「ピンポーン」
「な、何てことを」
 言いたいことは、山ほどあるのだが興奮のあまり言葉が続かない。
「あら、売ったって別にいいでしょ。私のなんだから」
「で、どうしたんだ」
「どうしたって?」
「だから、その金だよ、金」
「知りたい?」
「当たり前だ」
「すぐ降ろせる普通預金に十億。後は、定期ね」
「くっそー、ど、どこにあるんだ、その通帳とはんこは」
「ひ・み・つ」
「秘密って、夫婦だろ、俺達」
「でも、これは別」
「出せ。出せ、通帳とはんこを出せ!」
「厭だもーん」
「!!!!!!」
「じゃ、私、ちょっと用事があるからお先。あ、それから今日ちょっと遅くなるから夕御飯適当に食べといてね。おじさん、このパンフもらってくわね」
「どうぞよろしくお願いします」
 禿おやじは、にこにこと最敬礼した。妻は俺を無視して、さっさと店を出て行く。その後ろ姿を呆然と見ていた俺は、店先に止まっている車を見て、はっと我に返った。フェ、フェラーリではないか。しかも、運転席に座っているのは、モデル顔負けのかっこいい若い男なのだ。
「それじゃ、あなた、ばいばーい」
 笑顔と排気音を残してフェラーリは去り、俺は一人取り残された。
「く、くっそー!!」
 歯軋りの音でまた目が覚めた。
 見れば妻は恍惚の表情で熱い吐息を漏らしている。この野郎、金があるのをいいことに浮気をしているな。相手は、フェラーリの若い男だ。こんなことなら週に一回は求めに応じて義理を果たしておくんだった、と思ったが時すでに遅い。夢の中とはいえ、妻の吐く息が次第に熱く早くなってくるのを聞いているうちに、俺は完全に頭にきた。
「この野郎、起きろ!」
 乱暴に揺すると、妻はようやく寝ぼけまなこを開いた。ざまあみろ、絶頂に達する前に起こしてやったぞ。
「どうしたの?」
 不満そうな顔をして妻が言った。
「いや、何だか苦しそうだったから」
「あ、そうだったの。それなら大丈夫だから」
 それだけ言うと、くるりと背中を向け、数秒後にはもう寝息をたて始めた。そして、すぐに聞くに耐えない喘ぎが始まる。全く。何て奴だ。まるでアザラシじゃないか。俺は、またまたウイスキーを一口。しかし、夢でいくら浮気したところで法律的に罰することはできないし、離婚の理由にもならない。かといって浮気の現場に踏み込むのも俺のプライドが許さない。
 ウイスキーをもう一口。
 だいたいこんな中年太りの年増がもてるのも金のおかげで、その金ももともとは俺が見付けたダイヤじゃないか。そう考えると、またまた腹が立ってきた。何とかこのアザラシの鼻をあかしてやる手だてはないものか。ともかく寝ないことには、対等に戦えない。俺は、念のためウイスキーをもう一口飲んでから布団に入った。
「あら、起きてたの」
 帰って来た妻の顔は、情事の名残か、まだ上気している。
「起きてて、悪いか」
「うふっ、ご機嫌斜めなのね」
「うるさい!」
「おお怖、怖」
「どこ行ってたんだ。こんな遅くまで」
「あ、焼いてるんだ」
「だ、誰が、」
「私って、まだまだ魅力あるのかしら」
 黙れ、めす豚。と思ったがそう言ってしまっては、身も蓋もない。俺は、あくまで冷静に言った。
「おい、例のダイヤの金の件だが、」
「あ、またそのこと」
 何が、そのことだ。とぼけやがって。
「そう。そのことなんだがな、ひとつ冷静に話し合わないか」
「要するに、分け前がほしいってことでしょ」
 馬鹿野郎。もともと俺の物なんだぞ。
「いやあ、図星。そういうことなんだ」
「がめついわねえ」
 が、がめついだと! がめついのは、どっちだ。
「いいわよ。少しくらいなら分けてあげる」
「ほ、本当か」
「でも、半分こってのはだめ」
「じゃあ、どれくらいならいいんだ?」
「そうねえ、一割りってのはどうかしら」
「一割りだって。だったの、」
 思わず絞め殺したくなった。俺が紳士でなかったら、次の瞬間、妻は息絶えていたはずだ。
「でも、一割りでも五億円くらいはあるわよ」
「ご、五億!」
 たった一割りの五億で興奮する自分が恥ずかしいが、正直、失禁しそうなほど体が震えた。その時、突然、関係の無い声が割り込んできたのだ。
「あのう、」
 見ると、いつ入って来たのか、六十くらいの黒縁眼鏡の男がにこにこ笑って立っている。
「だ、誰だ。お前」
「あ、これはどうも。自己紹介をお許し下さい。私、この下の部屋に住んでいる者です」
「下の部屋?」
「はい」
「それが、どうしてここにいるんだ?」
「そうよ。家宅侵入罪で訴えるわよ」
 突然、我々夫婦は堅く団結したのだった。
「ちょ、ちょっと待って下さい。今、訳をはなします」
「訳? 訳なんかあるのか」
「それが、あるんです。実は、私、寝てたんです。ところが夢の中でどういうわけかお宅へ来てしまったんです。で、お話しをお聞きしておりますと、何だかとてもうらやましいようなお話で。どうでしょう、ひとつ私めにも、その一割りとやらをわけていただけませんでしょうか」
 何て図々しい奴だ。
「誰が、お前なんかに」
「だめでしょうか」
「だめよ。だめに決まってるじゃない」
「そうですかあ。そこをひとつ考え直していただけませんでしょうかね」
「だめなものは、だめだ」
「そうよ。あれは、私達のものなんですから。あんたなんかにあげる言われはないわ」
「そうですかあ。残念ですねえ」
「わかったら、さっさと出て行け」
「そうですか。それなら、」
 言うと同時に男は、ナイフを出した。
「下手に出りゃ付け上がりゃがって。こうなったら、有り金残らず出せ!」
「わっ!!」
 あまりの出来事にびっくりして目が覚めてしまった。妻も同じ夢を見ていたのだろう、青ざめた顔をしてこちらを見ている。実際、下の部屋のおやじときたらとんでもない奴だ。
「あーっ」
 突然、妻が大声を出した。
「どうした?」
「大変。私達が、起きちゃったから、夢の中のお金、あのおやじに全部とられちゃう」
「何だって!」
 さすがに俺もあわてた。言われてみれば、確かにそうだ。
「どうしましょ」
「どうしましょ、ったって、・・・・そうだ」
 名案がひらめいた。俺は立ち上がって、どん、と跳んだ。
「どうしたの、突然?」
 おびえたような表情で妻がきいた。
「お前も、跳ぶんだ」
 俺は、跳び続けながら言った。
「何しろ、このアパートときたら天下御免の安普請だからな、ちょっとした足音でもがんがん下に響く。どんどんやって敵が起きてしまえば、金はこっちのもんだ」
 ざまあ見ろ。俺達は、念には念を入れてどんどんやってからウイスキーで乾杯した。ううむ、こうしてアルコールが入って目元がほんのり赤い我が妻も悪くはない。
「ねえ、あのお金、どっちがどうとか言うのもう止めましょ」
「そうだよな。何てったって俺達、夫婦なんだから」
 俺は、優しく妻を抱き寄せた。当然の如く何が何して、肉体労働をした俺達は、その心地よい疲れの中でまたまた眠りに落ちていった。
「あっ来た来た」
 な、何なんだ、これは。部屋の中は人で一杯ではないか。
「あの、私、隣の部屋の者なんですけど」
「わしは、上の階の者なんだが」
「僕は、十三階の僕ちゃんです」
「私、何の関係もない者なんですけど」
 俺は、あわてて跳び起きた。しかし、頭はもう完全にパニック状態で、自分が起きているのか寝ているのかもはっきりしない。妻と一緒にへたり込んでいるところにチャイムが鳴った。深夜だし放かっておこうと思ったのだが、いつまでもうるさく鳴らすので、しかたなしに玄関口のインターホンに出る。
「どなたですか」
 聞こえてきたのは、六十くらいの男の声だった。
「すいません。私、この下の部屋に住んでいる者ですが」
「じょ、冗談じゃない」
 俺は、あわててインターホンを切り、部屋へ戻ろうとした。が、戻れなかった。というのも、部屋の中は、人で一杯だったのだ。
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