「スパルタカス(完全復元版)」字幕は復元されず [映画の雑感日記]
「スパルタカス(完全復元版)」 ☆☆☆☆★★
トリミング版が多い、色が退職してしまっているなどいろいろ問題が多い「ザ・シネマ」で放送されるのであまり期待せずに見た。この映画は映画館でも何度も見ているし、トリミング版、ノートリミング版のLD(レーザーディスクというものが昔あったんです(^^;)も持っているのに、なぜまたと思われる方もいるかもしれないが、要するに先年NHK-BSで放送された「スパルタカス」の字幕が雰囲気・流れを全く無視したアホ字幕だったので、今度はどないなもんだろう、いくらかは改良されているのだろうか、という期待も多少はあったわけである。
結果は残念賞。
やはり「エル・シド」の「間奏曲」をすっぱりとカットするような「ザ・シネマ」に期待したのが馬鹿だった。まあ、NHK-BS2も「エル・シド」に関しては「間奏曲」のところに「メインタイトル」の曲を挿入して誤摩化していたし、「ムービー・プラス」も「アラビアのロレンス・オリジナル復元版」と銘打って序曲を完全カット。今のところ完全ノーカットと安心して見られるのは、WOWOWだけかもしれない。しかし、アホ字幕への改悪というのは、序曲、間奏曲といった映像のない部分のカットとは比べ物にならないほど大きな問題を含んでいる。
NHKの最悪の字幕と比較したわけではないが、「死んで」「死んで」の連発で、エンドタイトル直前なのに見るのをやめてしまった(もしかして、同じもの?)。確かに「DIE」と言ってはいるのだが、それを「死んで」と訳したのではそこに込められたニュアンスは全く伝わらない。戦争映画など見ていると、「退却」のとき「GO BACK」という言葉が使よくわれるのだが、これをそのまま「後ろへ行け」と訳すようなものである。翻訳家として無能というしかない。問題は、このアホ字幕、馬鹿字幕が今後一般的になってしまうのではないかということだ。断言してもいいが、ラストのクライマックスでもあり、見終わったときの印象がまるで違うのだ。「悪貨」を駆逐するためにも、WOWOWあたりでまともな字幕のものを放送してもらいたいと切に願う今日この頃である。
↓以下に、以前このブログに書いた「NHK-BS2の『スパルタカス』の字幕」を再録しておく。
(2007年)9/15にNHK-BS2で「スパルタカス」が放送されました。この名作についてはすでにこのブログにも「史劇の二大名作」(「スパルタカス」と「ベン・ハー」)という雑文をアップしていますので、興味のある人は、そちらを見てください。
今回、見ていて思ったのは、「ジョニーは戦場へ行った」というすさまじい映画を作ったダルトン・トランボの脚本は実によくできているということでした。「同じ死でも自由人と奴隷では、その意味がちがう。自由人の死はそれまでの快楽を失うことを意味するが、奴隷の死は苦痛からの解放だ」「闘うことは獣にでもできるが、詩を唄うことができるのは人間だけだ」なんてちょっとした台詞にも納得の重みがあります。放送も以前の「西部開拓史」のときのように序曲をカットするなどという暴挙はなく、ちゃんと間奏曲も入っていて合格。画質もレーザーディスクと比べると少し色が浅いかなという気がしないでもないですが、これも十分に合格点。
しかし、字幕に関してちょっと違和感がありました。たとえばトニー・カーティス演じるアントナイナス(劇場公開時、レーザーディスクでの字幕)がアントニウスになっていたり、ピーター・ユスティノフの演じるバタイアタスがバティアトゥスになっていたりと、私の記憶と今回のNHK字幕は微妙に違っています。まあ人名は原音により近づけたためなのかもしれないので許すとしても、どうしても違和感があったのはラストシーン。ジーンシモンズ演ずるバリニア(スパルタカの妻)が十字架につるされているスパルタカスの所へふらふと歩いて行く。それを見たローマ兵士が「女を歩かすな」(レーザーディスク訳)。ところがNHK訳では「道草は困るな」。まあ直訳だとそういうことなのかもしれませんが、すぐそこの見えるところ相手がいるような状況なんです。たとえばバス停でバスを待っているとこ子どもがうろちょろするのを「道草しちゃだめだよ」ってあまり言わないのでは。
さらにその後、スパルタカスと別れる直前、バリニアがスパルタカスの足にすがるようにして言う言葉「愛する人を苦しめないで」(LD訳)。これがNHK訳だと「お願いだから死んで」。確かに訳としてはNHK訳で間違いではないのでしようが、なんだか彼女が非情な女でスパルタカスを「早く殺してくれ」と言っているように聞こえます。十字架上の苦痛から逃れるために早く死なせてほしいということはわかっているのですが、それでも「死んで」という訳は日本語としてどうなんでしょう。NHK関係者や翻訳家が、横のものを縦にするのが翻訳だと考えているのだとしたら、能がないと言うしかありません。普通に考えて、レーザーディスク訳の方がはるかに妥当だと思うのですが。
字幕の対照表を貼っておきます。NがNHK、Lがレーザーディスクの字幕です。
N 道草は困るな。
L 女を歩かすな。
N 教えます。父親が誰で、何を夢見たか。
L 父の名と父の夢を教えます。
N いとしいあなた、
どうか死んで
お願いだから死んで
なぜ死ねないの
L 愛する人、私の命
愛する人を苦しめないで
どうぞ早く
N さようなら、私のいとしい人、さようなら
L さようなら、いとしい人、私の命
ちなみに、映画のラストを飾るジーン・シモンズのこの台詞は「グッバイ、マイ・ラブ、マイ・ライフ。グッバイ、グッバイ……」というもので、むしろLDの字幕の方が直訳に近いものです。ダルトン・トランボのシナリオが「私の命」というとき、それは死んでいくスパルタカスのことだけを差すのではなく、去っていくバリニア(シモンズ)がひしと抱いている2人の間にできた子どものことも差し、1人の人間が死んでもその意志は受け継がれていくということを示しているのは明確です。ここはぜひともマイ・ライフ=私の命の一言を入れたいところなのですが、なぜかそれまで直訳にこだわっていた?NHKの字幕には入っていません。(^_^メ)
☆★は、尊敬する映画評論家=故・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。要するに合格というか許せるぎりぎりのラインということです。)
トリミング版が多い、色が退職してしまっているなどいろいろ問題が多い「ザ・シネマ」で放送されるのであまり期待せずに見た。この映画は映画館でも何度も見ているし、トリミング版、ノートリミング版のLD(レーザーディスクというものが昔あったんです(^^;)も持っているのに、なぜまたと思われる方もいるかもしれないが、要するに先年NHK-BSで放送された「スパルタカス」の字幕が雰囲気・流れを全く無視したアホ字幕だったので、今度はどないなもんだろう、いくらかは改良されているのだろうか、という期待も多少はあったわけである。
結果は残念賞。
やはり「エル・シド」の「間奏曲」をすっぱりとカットするような「ザ・シネマ」に期待したのが馬鹿だった。まあ、NHK-BS2も「エル・シド」に関しては「間奏曲」のところに「メインタイトル」の曲を挿入して誤摩化していたし、「ムービー・プラス」も「アラビアのロレンス・オリジナル復元版」と銘打って序曲を完全カット。今のところ完全ノーカットと安心して見られるのは、WOWOWだけかもしれない。しかし、アホ字幕への改悪というのは、序曲、間奏曲といった映像のない部分のカットとは比べ物にならないほど大きな問題を含んでいる。
NHKの最悪の字幕と比較したわけではないが、「死んで」「死んで」の連発で、エンドタイトル直前なのに見るのをやめてしまった(もしかして、同じもの?)。確かに「DIE」と言ってはいるのだが、それを「死んで」と訳したのではそこに込められたニュアンスは全く伝わらない。戦争映画など見ていると、「退却」のとき「GO BACK」という言葉が使よくわれるのだが、これをそのまま「後ろへ行け」と訳すようなものである。翻訳家として無能というしかない。問題は、このアホ字幕、馬鹿字幕が今後一般的になってしまうのではないかということだ。断言してもいいが、ラストのクライマックスでもあり、見終わったときの印象がまるで違うのだ。「悪貨」を駆逐するためにも、WOWOWあたりでまともな字幕のものを放送してもらいたいと切に願う今日この頃である。
↓以下に、以前このブログに書いた「NHK-BS2の『スパルタカス』の字幕」を再録しておく。
(2007年)9/15にNHK-BS2で「スパルタカス」が放送されました。この名作についてはすでにこのブログにも「史劇の二大名作」(「スパルタカス」と「ベン・ハー」)という雑文をアップしていますので、興味のある人は、そちらを見てください。
今回、見ていて思ったのは、「ジョニーは戦場へ行った」というすさまじい映画を作ったダルトン・トランボの脚本は実によくできているということでした。「同じ死でも自由人と奴隷では、その意味がちがう。自由人の死はそれまでの快楽を失うことを意味するが、奴隷の死は苦痛からの解放だ」「闘うことは獣にでもできるが、詩を唄うことができるのは人間だけだ」なんてちょっとした台詞にも納得の重みがあります。放送も以前の「西部開拓史」のときのように序曲をカットするなどという暴挙はなく、ちゃんと間奏曲も入っていて合格。画質もレーザーディスクと比べると少し色が浅いかなという気がしないでもないですが、これも十分に合格点。
しかし、字幕に関してちょっと違和感がありました。たとえばトニー・カーティス演じるアントナイナス(劇場公開時、レーザーディスクでの字幕)がアントニウスになっていたり、ピーター・ユスティノフの演じるバタイアタスがバティアトゥスになっていたりと、私の記憶と今回のNHK字幕は微妙に違っています。まあ人名は原音により近づけたためなのかもしれないので許すとしても、どうしても違和感があったのはラストシーン。ジーンシモンズ演ずるバリニア(スパルタカの妻)が十字架につるされているスパルタカスの所へふらふと歩いて行く。それを見たローマ兵士が「女を歩かすな」(レーザーディスク訳)。ところがNHK訳では「道草は困るな」。まあ直訳だとそういうことなのかもしれませんが、すぐそこの見えるところ相手がいるような状況なんです。たとえばバス停でバスを待っているとこ子どもがうろちょろするのを「道草しちゃだめだよ」ってあまり言わないのでは。
さらにその後、スパルタカスと別れる直前、バリニアがスパルタカスの足にすがるようにして言う言葉「愛する人を苦しめないで」(LD訳)。これがNHK訳だと「お願いだから死んで」。確かに訳としてはNHK訳で間違いではないのでしようが、なんだか彼女が非情な女でスパルタカスを「早く殺してくれ」と言っているように聞こえます。十字架上の苦痛から逃れるために早く死なせてほしいということはわかっているのですが、それでも「死んで」という訳は日本語としてどうなんでしょう。NHK関係者や翻訳家が、横のものを縦にするのが翻訳だと考えているのだとしたら、能がないと言うしかありません。普通に考えて、レーザーディスク訳の方がはるかに妥当だと思うのですが。
字幕の対照表を貼っておきます。NがNHK、Lがレーザーディスクの字幕です。
N 道草は困るな。
L 女を歩かすな。
N 教えます。父親が誰で、何を夢見たか。
L 父の名と父の夢を教えます。
N いとしいあなた、
どうか死んで
お願いだから死んで
なぜ死ねないの
L 愛する人、私の命
愛する人を苦しめないで
どうぞ早く
N さようなら、私のいとしい人、さようなら
L さようなら、いとしい人、私の命
ちなみに、映画のラストを飾るジーン・シモンズのこの台詞は「グッバイ、マイ・ラブ、マイ・ライフ。グッバイ、グッバイ……」というもので、むしろLDの字幕の方が直訳に近いものです。ダルトン・トランボのシナリオが「私の命」というとき、それは死んでいくスパルタカスのことだけを差すのではなく、去っていくバリニア(シモンズ)がひしと抱いている2人の間にできた子どものことも差し、1人の人間が死んでもその意志は受け継がれていくということを示しているのは明確です。ここはぜひともマイ・ライフ=私の命の一言を入れたいところなのですが、なぜかそれまで直訳にこだわっていた?NHKの字幕には入っていません。(^_^メ)
☆★は、尊敬する映画評論家=故・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。要するに合格というか許せるぎりぎりのラインということです。)
2010-08-05 09:51
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