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「ベン・ハー」ついまた見てしまった [映画の雑感日記]

 いやはや、名画のもつ力というのは恐ろしいと、つくづく思った。
 ウイリアム・ワイラー監督の名作「ベン・ハー」は1959年の製作なのでナントもう60年も前の映画だ。劇場でも見たし、レーザーディスクも買ったし、テレビで放送される度にそれこそ何度も見た。にもかかわらず、仕事の前に冒頭の音楽をちょっとだけ聞きたく(見たく)なり見始めたらいつの間にか映画に入り込んでしまい、止まらなくなった。気がつけば、インターミッション前の、外へ出て行くベン・ハーの背後で枯れ葉がさーっと流れる名シーン。そして、間奏曲。こうなると戦車競走も待っているし最後まで見るしかないと腹を括った。遂に3時間40分を完走で、よかったなぁ・・・と感動に浸る。いやあ、いい映画は何度見ても色あせないものだなぁと、満足してタバコ(プルームテック+)を一服。おかげで、今日やる予定だった仕事は翌日に持ち越し。時間の巻き戻しはできないのだから、
「思い通りにならない日には、明日がんばろう・・・♪」
 と、「365日の紙飛行機」を口ずさんで誤摩化す。
 名画のもつ力というものを軽んじていたというしかない。なぜ急に見たくなり、聞きたくなったのだう。多分、このところクソゴミ映画ばかり見てきたので、たまには安心して見られる名画を見て精神の安定を保とうとしたのかもしれない(^^;。

 以下に、以前、「ベン・ハー」について書いた雑文を再掲載しておきますので(加筆アリ)、この映画に関心のある人、感動した人、そして暇を持て余している人は読んでみてください。

ベン・ハー.jpg
↓予告編
https://www.youtube.com/watch?v=dyP3gkUNPs0

★「ベン・ハー」(1959)について

 「ベン・ハー」は、ユダヤ人ジュダー・ベン・ハーとキリストの受難を重ね合わせたスペクタクル大作史劇で、最初見たときにはとてつもなく感動し、「世の中にこんな素晴らしい映画があったのか」とさえ思ったものだ。もちろん3時間40分の長編だが退屈するというようなことは全くない。この映画を初めて見たのは当時名古屋随一の洋画ロードショー館・テアトル名古屋の70mm大画面。二番館、三番館専門の私がこんな高級!映画館に入ったのも初めてなら、70mm映画をきちんと70mm用画面で見たのもこれが初め。階段状に並んだ椅子もすばらしく、大画面を前に上映前からわくわくしていたのを思い出す。
 どうでもいいことだが、購入したパンフレットには、撮影にはMGMカメラ65という機器が使われ映像部分の幅が65mm、6本トラックだったかの音声部分が5mmで計70mmとなるというようなことが書いてあった。その後、70mm映画追っかけ人間になったわけだが、スーパーパナビジョン70、ウルトラパナビジョン70、Todd-AO70、スーパーテクニラマ70などいろいろあってどうちがうのかは未だに不明(^^;。
 いわゆる「立体音響」というのもこれが初めてだった。すっかり感動した私は、その後「ベン・ハー」を、行きつけの洋画三番館・オーモン劇場、そして(劇場名は忘れてしまったが名宝会館内の70mm上映館のスカラ座だったのではないかと思う(^^;)再上映時と、都合3回も劇場で見た。
 後年、テレビ放映されたときには当時まだ高価だったVHSビデオデッキで前後編を録画したものの、実質3時間程度にカットされていたため、あのシーンがない、このシーンもないと不満ばかりが残った。そのためレーザーディスクが出ると2枚組10800円とこれまたいい値段だったがすぐに買い、ノートリミング盤が出るとまた買い求めた。さらにWOWOWやNHK-BS、CSのザ・シネマで放送されたものも見ているので、通しで見ただけでも10回以上見ているはずだ。WOWOWのものは画質もよかったので、DVD2枚組に録画してある。

 という前置きはともかくとして、「ベン・ハー」は実によくできている映画で、映画初心者からマニアまで満足させるという点でも代表的な歴史映画、いやそういった狭い範疇を超えた映画史上の金字塔と言える。アカデミー賞最多の11部門受賞は当然の結果で、この記録は「タイタニック」や「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」に並ばれてしまったが、1950年代末から60年代にかけての映画がまだ力をもっていた時代での大記録である。賞の数自体も今と比べると少ない。比べる方が失礼というものだろう。ちなみにこのときのアカデミー賞で唯一不満に思えるのはヒュー・グリフィス(戦車競走用のウマを所有しているアラブのおっさん)の助演男優賞で、これはどう考えても敵役を熱演したスティーブン・ボイドにあげるべきだったろう。オイルマネーの威力?まさかね。
 また話が逸れそうになったが、この映画の成功は監督ウイリアム・ワイラーの手腕に帰するところが大きいと思う。
 さすがに「ローマの休日」「必死の逃亡者」「大いなる西部」「コレクター」などの名監督である(「孔雀夫人」などそれ以前の作品にも名作が多いという話だが、私は見ていない)。
 たとえば、ベン・ハー(チャールトン・ヘストン。この映画でアカデミー主演男優賞を受賞した。納得)と許婚者エスターとのシーンには、バックに格子戸が繰り返し映し出されるが、こういう細かいところをきちんと撮れるかどうかが大画面映画にとってもやはり大切なのである。きちんと撮れているので、格子戸が傾きエスターのいないシーンが映し出されると、それだけでベン・ハーの孤独感が伝わってくるわけだ。
 ちなみに、エスターがベン・ハーと会うときは外付けの階段を降りてくるパターンになっていて、これは天使のイメージを連想させるためではないかと思う(ラストでは、これが逆になり、ベン・ハーが上階で彼の母妹とエスターが階段を上がってくるパターンになる。つまり、ベン・ハーも「復讐」という呪縛から開放されたことがわかる)。
 ベン・ハーの母親役を演じるマーサ・スコットは、「十戒」でヘストンがモーゼを演じた時も実の母親役をやっている。ワイラーは、こういう映画通をニヤリとさせるところまできちんと考えて作っているのだと思う。ちなみに、妹役の地味なキャシー・オドンネルは確かワイラーの兄さんのお嫁さんだったはず。

 有名な戦車競走のシーンについては何人もの人が書いているので今さら詳しくは書かないが、あれは集合合図がかかり、仇役のメッサラ(スティーブン・ボイド)の戦車が刃物をそなえたギリシャ戦車であることをきちんと観客に知らせ、ミクロス・ローザの勇壮な音楽と共に戦車が場内を一周し、というセレモニニーで盛り上げておいて、スタートとなるので効果的なのである。メッサラの馬が黒で、ベン・ハーの馬が白というのもどちらの馬がどこにいるのか子供でも一目でわかってよい。何周したかを魚のマークで知らせたり、一旦遅れたベン・ハーが追いついたりということろもきちんと描かれている(ちなみに私が読んだ原作の記憶では、ベン・ハーがメッサラの戦車の車輪に自分の戦車の車軸を突っ込んで破壊したはずである。もちろん、映画のような展開の方が遥かに自然である)。
 戦車競走のどでかい競技場にしろ、ローマへの凱旋シーンにしろ、初めの方に出てくるエルサレムの町へのローマ総督の入場シーンにしろ迫力満点なのは言うまでもない。あまりのスケールの大きさに声もないとは、こういう場面のことを言うのである。こんなに金をかけて大丈夫なんだろうか、と心配になるほどだが、こういうシーンに金をかけないと「スター・ウォーズ」(第1作、つまりエピソード4のことです)のラストのようにせっかく宇宙規模で戦われた戦争に勝利したのに記念式典がスーパー・ダイエーの入社式のようになってしまい、映画そのものをだいなしにしてしまうのである。
 ただし、一言言っておきたいのは、ただ巨大セットを作って出すだけではダメだということ。戦車競走のシーンをもう一度例にとれば、まず戦車の集合場所は背後に壁があり、前方には太い柱がある、という閉鎖された空間である。それが競技場に出て行って初めて空間が広がり、巨人像が映し出されて度胆を抜かれ、さらに競技場全体の俯瞰(後方にエルサレムの丘と空が広がる)が示されて「うわーっ、すげえ」ということになるのである。こういう見せ方に関してもワイラーは、手抜かりがない。
 海戦にしても、その前にガレー船の櫓の漕ぎ方や司令官アリアスとの関係などをきちんと描き、船の形や色、各々の服飾などもちゃんと整理されているので迷うことはない。戦闘の前に奴隷は鎖に繋がれるのだが、ベン・ハーだけは鎖をはずされる。そして櫓を漕ぐシーンに移るのだが、満身の力で漕ぐので漕ぎ終えた姿勢は自然と上を向くことになる。すると甲板から見下ろしているアリアスの姿が見える。彼が鎖をはずしてくれたんだとそれでわかるわけで、その後、ベン・ハーがアリアスを助けることにも納得がいくのである。

 もう一つ書いておくと、この映画の縦糸の一つに生命の源である「水」での癒しというものがある。癩病にかかって重病なベン・ハーの母妹が、十字架で流されたイエスの血が雨とともに大地に広がり完治するという奇跡がその典型だろう。砂漠でイエスから水をもらって生き延びたベン・ハーが、十字架に向かうイエスに水を差し出す感動的なシーンがあるが、あれも都合よく差し出すわけではない。イエスをもっと間近でと歩くベン・ハーが警備のローマ兵に、邪魔だとばかりに盾で強引に壁に押し付けられる。するとそこに水場があり、そうだと水を汲んで差し出すという過程がきちんと描かれている。決してご都合主義のシナリオではないのだ。
 エンド・マーク前に夕陽の十字架を背景に羊の群れが移動していく、まるで絵画のように美しいシーンが映し出されるが、これも「神は迷える子羊を導きたまう」とでも言うべきメッセージで、3時間40分という大作を締めくくるのにピッタリのシーンである。ラストはハレルヤコーラスと共に幕となるのだが、全編を彩るミクロス・ローザの音楽の素晴らしさについては別稿で書く(私は2000円もするMGMレコードを買って楽曲をすべて暗記したのだ(^^;)。
 そんなわけで「ベン・ハー」は、長い映画で登場人物も多いのだが、人物の描き分けもきちんとなされており、シナリオにも破綻するところがない。つまり、映画史上最大の作品の一つであると同時に、いい意味で非常にわかりやすい映画になっているのである。小学生は小学生なりに、マニアはマニアなりに楽しめ感動できる映画なのである。大画面で見るに越したことはないが家庭のテレビでも十分に感動でき、2度、3度と見る度に発見のある映画でもある。

 私は、「歴史映画を1本だけ見たいのですが、どんな映画を見ればいいのでしょう?」という問いには、容易に答えられる。
「『ベン・ハー』を見なさい」

★「ベン・ハー」の音楽について
 1960年当時はビデオもDVDももちろんなく、リバイバル上映なるものが全くなかったわけではないが、それかいつになるかはわからない。勢い、記憶のためにはパンフレットを買い、レコードを買うことになる。2000円もするMGMレコード(LP)を買い、すり切れるほど聞いて楽曲をすべて暗記したことは、上に書いた。
 ただし、映画自体劇場で3度も見ているので映画とサントラ盤との違いが気にはなった。FMラジオなどで「ベン・ハー序曲」と言ってかけられる曲はサントラ盤でも確かに「序曲」と書かれている。が、この「序曲」と言われる曲は正確には「メイン・タイトル」とでも言うべきもので、キリスト生誕のシーンが終わった後、所謂タイトルバックに流れる曲である。映画での「序曲」は映像が出る前に6〜7分程度あり、勇壮というよりは、どちらかというと緩やかな曲である。この序曲が静かに終わるとMGMのライオンが吠えていきなりキリスト生誕の場面、その後にレコードでいう「序曲」が始まるのである。
 私の勘違いかと思っていたが、ノートリミング完全版レーザーディスクで記憶に間違いないことを確認できた。サントラ盤とジャケットにはっきり書かれているにもかかわらず、不可解な点はほかにもある。たとえば、あのあまりに有名な戦車競走の入場シーンの音楽が入っていないのも不可解。ローマ軍がエルサレムに入って来る(例の瓦が落ちる前の)シーンに使われている印象的な行進曲も入っていない。さらに言えば、フィナーレの音楽は溜に溜めておいて最後の最後に初めて「ハレルヤ」のコーラスが入るのだが、レコードでは最初からハレルヤコーラスが入る。
 「キング・オブ・キングス」にしろ「エル・シド」にしろ指揮はミクロス・ローザ自身がとっているのに「ベン・ハー」のレコードだけはなぜかカルロ・サヴィーナという人物がローマ交響楽団の指揮をとっている。ところが「サントラ盤」の解説書には「ガレー船」のシーンの音楽指揮をするミクロス・ローザの写真が載っているのだ。
 確かに「ベン・ハー」はローマのチネチッタ・スタジオで撮影されたのだが、これはどういうことなのか? くどいようだが、レコードジャケットにはオリジナル・サウンドトラックと明記してあるのだ。「ベン・ハー」のサントラ盤は、本当にサントラ盤なのかという疑惑が浮かぶのも当然と言えば当然のことである。
 気になるので調べてみた。
http://homepage1.nifty.com/kotachi/ben_hur.htm
 に「ベン・ハー」の音楽という記述があり、LPレコードの「オリジナル・サウンドトラック」というのは全くの嘘であることがはっきりした。ゲッ(^^;。これはもう、一種の詐欺ではないのか。長年の疑問が解けてホッとしたとともに、当時2000円という大金(私の一月の小遣いが1000円の時代である)をはたいて買ったものが偽物と知って少々、いやかなりの落胆も。
 「ベン・ハー」の音楽は、今でもCDで出ていると思うが、本当のサントラ盤なのか偽サントラ盤なのかよく確認してから買ってほしいと思う。
(あらためて上のURLを確認したらどうやらリンク切れのようだ。残念)
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