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「現代人の読書」SFの余白に [短編・雑文]

 先に紹介した「現代人の読書」(紀田順一郎・三一新書)には、最近ではほとんど「死語」となった、蔵書の手引きとして、さまざまな「名作リスト」が掲載されている。いわゆる「古典」がメインだが。この手のものにしては珍しくいわゆるエンタテインメントのリストも掲載されている。「清張ブーム」などあったミステリはともかくとしても、数十年前にSFのリストにまで目配りした著者の紀田順一郎氏はさすがだと思う。この中から私自身が読んでみて感心した、あるいは世評と違って落胆したものなど、気になったものをいくつかピックアッブしてみた。
 私もかつて「SF少年」だった時代があり、毎年夏に行われるSF大会に参加するため東京はもちろん、九州まで行ったことがある。掲載されているリストには当然最近のものは入っていないが、私もまた最近はほとんどSFを読んでいないので、ちょうどいいともいえる。いずれにしてもその本を初めて読んだときのことなどが思い出されてノスタルジックになったりもしますね。。。

★世界SF傑作選(福島正実)
・ヴェルヌ「月世界旅行」など
 近代SFというとなんとなくジール・ヴェルヌから始めるのが定番のようなのだが、実は、ヴェルヌの書き方は古い冒険小説そのままで、今の時代に読むとスピード感もなく、ちょっと、いや、かなり退屈である。そののんびりしたクラシック感がいいという人もいるかもしれないが、私は立体感のない構成についていけず、「海底2万リーグ」も「地底探検」も途中が投げ出してしまった。にもかかわらず、最近の「センター・オブ・ジ・アース(「地底探検」の映画化)」にしろ、欧米ではあいかわらず人気があるようです。
・ウエルズ「タイムマシン」など
 ヴェルヌに比べてウエルズの作品は、発想そのものが現代にも通じ、ヴェルヌではなくウエルズこそ近代SFの父と言っていいと思う。「宇宙戦争」「透明人間」などの長編のほか、「新加速剤」などの短編にもSFマインドがあふれている。古いという感じはない。が、ではおもしろいのかというとヴェルヌよりはましだがかなり退屈はする。叙述が平板なのだ。ウエルズの本領はやはり「世界文化史大系」のような「博学」にあり、小説を書くことはあまりうまくなかったと思う。
・チャペック「R・U・R」
 ロボットの名付け作品ということでSFマガジンに掲載されたものを読み始めたのだが、努力もむなしく最後までは読み通せなかった。「山椒魚戦争」もそうなのだが、どうにも展開がたるくて、「古いなぁー」という気がしてしまうのだ。おもしろく読めた人が、果しているんだろうか?
・オーウエル「千九八四年」
 念のために書くが「1Q84」ではないですぞ。ハヤカワ書房「世界SF全集」の第1回配本は、この作品とハックスレイ「すばらしき新世界」の合本だった。すぐに買って読んだのだが、どちらもううむ……。確かに(書かれた当時から見て)未来の世界が描かれてはいるのだが、政治的プロパガンタ優先でつまらないものだった。SFこそ新しい文学と言いつつも、これを第1回配本にもってきたところに福島正実氏の純文学コンプレックスを見た思いがしたものだった。もちろん私の想像で証拠はない。SFフアンだけでなく、一般の文学好きにも知られている本なので、読者書く大(←「かくだい」と書いて変換したら「拡大」ではなく、「書く大」と出た。全くMacの辞書「ことえり」の馬鹿さかげんには……)。
・ブラウン「発狂した宇宙」
 先に翻訳されて話題になった「火星人ゴーホーム」もおもしろいが、こちには文句なしの傑作であり、この手の多元宇宙もののお手本。いろいろな宇宙をさまよった主人公が最後にどうなったしまうのだろうと思っていたら、おいおいそんなんありかよ、と言いたくなるほどのハッピーエンド。考えてみればこのテーマなんだから「あり」なんだな。こういうところがSFの楽しいところなんだ。地味なところで「天の光はすべて星」なんてのも悪くない。もちろん、「未来世界から来た男」「天使と宇宙船」「宇宙をぼくの手の上に」などの短編集も見逃せない。「闘技場」や「緑の地球」「地獄の蜜月旅行」なんて、いいねえ。要するに、フレドリック・ブラウンこそ私をSFワールドの入り口に導いてくれた人で、足を向けては眠れない存在なのである。
・ブラッドベリ「火星年代記」
 なんでも最近組み替えがあったようなのだが(新しく短編が加えられ、削除された短編があるらしい)、そのハヤカワSF文庫は読んでおらず、以前のポケットブック版ハヤカワSFシリーズでも評価だが、これまた文句なしの傑作である。「刺青の男」に収録されている「万華鏡」や「ロケット」もそうなのだが、「決まった」ときのブラッドベリはとてつもない名作を書く(ただし、これは別のところにも書いたことだが、「ロケット」をハヤカワ版の小笠原豊樹訳ではなく、創元SF文庫の別訳者で読んだらそれほどでもなかった。ブラッドベリのようにリズムのある文体で書く作家のものは翻訳の問題も大きいと思う)。ただし、ブラッドベリは本質的に短編作家で、映画にもなった「華氏451」など本当にくだらなかった(それをとりあえず映画にし、あれだけの素晴らしいラストシーンを作り出したトリュフォーは素晴らしい)。
・アシモフ「我はロボット」「ファウンデーション(銀河帝国)シリーズ」「鋼鉄都市」
 アシモフは器用な人で、どの小説もそれなりのレベルのものを書き、科学解説などもこなす。クズがほとんどないのだ。が、一度よんだら長く印象に残り、そのうちにまた読んでみたくなるというような作品は1つもない。SF界のアガサ・クリスティだなと思ったりもする(「アクロイド殺人事件」「そして誰もいなくなった」「ゼロ時間へ」などクリスティもクズの少ない作家なのだが、「Yの悲劇」や「赤毛のレドメイン」のような衝撃を受けた作品がない)。そんなことからアシモフの作品はどれを読んでもがっかりすることはないのだが、晩年、「ファウンデーション」と「ロボット」の両シリーズを統合するために書きすすめられた(と想像する)新規のファウンデーション・シリーズは退屈だった。結論先にありきで、そこに向かって進んで行くだけなので、わくわく感がまるでないのだ(ダース・ベイダーになってしまうとわかっていて3作も引っ張った「スター・ウォーズ」の新3部作と同じである)。
・ハインライン「地球の緑の丘」「人形つかい」「夏への扉」
 ともかくハインラインはアメリカで人気がある(ということである)。いわばSF界のジョン・ウエインといったところだうか、ともかく「アメリカが」という意識が前面に出過ぎていて私としては苦手な作家の1人である。映画化された「宇宙の戦士」(「スターシップ・トゥルーパーズ」)にしても平板な描写は退屈で、軍隊で鍛えられることで若者は一人前になっていくというヨタ話はもういいかげんにしてもらいたい(アメリカにはこの手の話がやたら多く、ヒットした「愛と青春の旅立ち」「トップ・ガン」なども同じである)。その意味では、夫婦喧嘩の劣勢をタイムマシンでひっくりかえした「夏への扉」などのほうが気楽に読めていい。
・シマック「都市」
 初めて読んだハヤカワSFシリーズ(当時は、ハヤカワ・ファンタジイと称していた)で、とびっきりの名作だった。この作品を読んで数年間、私のSFベスト3は、「都市」「火星年代記」そしてクラーク「幼年期の終わり」で不同だった。今でもこの3作はベスト10を選んだら間違いなく入る。驚いたのは、何千年、何万年というそこで扱われている時の膨大さ。なるほどSFではこういうこともできるんだ、とある意味刮目させられた作品である。シマックはブラッドベリほど器用ではなく、1つ1つの短編は今ひとつのものもあるのだが、全体を通して読むと圧倒的な時の流れが実感される不思議な作品である。
・クラーク「幼年期の終わり」
 SFマガジンに「人気カウンター」というコーナーがあった。読んでおもしろかった順位をつけて投稿すると何か月後かにその順位が誌上で発表され、5人に最新のハヤカワSFシリーズがもらえるというものだ。私は最初の投票で当選し、そのとき賞品としてもらったのがこの「幼年期の終わり」だった。SFとはこれだ、と言いたくなるほとの名作である。クラークはアシモフと同じように小説も書けば科学評論も書くのだが、アシモフほど器用ではなく、とくに会話が下手である。本作(および本作をふまえて書かれた「2001年宇宙の旅」)は、会話が少ないために名作になり得たとも言える。
・ベスター「破壊された人」
 SFフアンなら誰もが知っているヒューゴー賞。今ではそれほどでもないのかもしれないが、かつてはヒューゴー賞受賞作というと、それだけで読んでみたくなったものだ。その第1回の受賞作で、この作品に何か賞を与えたくてヒューゴー賞が設立された、なんて風評すらある。それが翻訳されたとなると、もう試験が迫っていようと読まなければならない。で、読んだ結果は、ううむ……。駄作、失敗作とは言わないが、それほどのものとも思えないのだ。むしろ、あまり期待しないで読んだ「虎よ、虎よ!」、これこそベスターの傑作で、まちがいなくSFのベスト10に入る作品である。クライマックスのジョウントの迫力たるや、……ネタバレになるのでこれ以上は書けないが騙されたと思って読んでほしい。
・パングボーン「観察者の鏡」、ウインダム「トリフィド時代」
 この2作は、創元の厚木淳氏の「SFへの招待」にも選ばれている。「観察者の鏡(オブザーバーの鏡)」は名作「都市」と同じ「国際幻想文学賞」を受賞、「トリフィド時代」は古典中心の「ペンギンブックス」に初収録されたSFであり映画化(「人類SOS」)もされた。と書くとどちらも文句なしの傑作に思えるかもしれないが、信じられないほど退屈な作品だった。とくに前者は途中で断念、後者は、淡々と抑えた描写がよいなどという人がいるが、淡々としすぎて読み進むのが苦痛だった。SFはなによりもまずエンタテインメントである。おもしろくないものに価値はない。

 このリストが発表されたときにはまだ「宇宙の眼」くらいしか紹介されていなかったディックの「ユービック」と、キイスの「アルジャーノンに花束を」(短編の方)は、ぜひSF傑作選には加えたい、と最後に書いておこう。
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