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双葉十三郎さんの映画評とベストテン [映画の雑感日記]

双葉十三郎さんの映画評とベストテン

 双葉十三郎さんの『外国映画ハラハラドキドキぼくの500本』(文春新書)について、のんびり話しましょう。
 私の高校生の時だから今からもう40年も昔(古(^^;;)、NHKラジオで毎年暮れに映画のベスト10を選出する座談会が放送されていた。映画評論家が3人参加していて、その総計でベスト10を決めるというものである。その一人が双葉十三郎氏だった。
 双葉氏の名前はそのさらに昔のテレビドラマ「日真名氏飛びだす」の原作者として、レイモンド・チャンドラー「大いなる眠り」の翻訳者として(ただしあまりうまい翻訳ではなかった)知っていたが、ある年のこと、双葉氏はその年のベストワンにヒッチコック監督の「鳥」を選んだのである。「双葉さんの1位が『鳥』というのは?」と他の座談者がきいた。「いくらなんでも『鳥』が1位というのはちょっと変じゃないか」というニュアンスがそこにはあった。すると双葉氏、平然とこう言ったのだった。
「まあ『鳥』が1位とは思わないけど、順位を上げたかったんでね」
 そういう感覚でベスト10を選出する評論家は双葉氏が最初で最後である?
 ヒッチコックが来日したときの座談会が小林信彦(当時、中原弓彦)編集する『ヒッチコック・マガジン』に載った。その座談会で「北北西に進路をとっていったら、三十九階段が見えたのですが」と双葉氏が切り込み、ヒッチが「あなたがサイコでなければいいが」と応じたのは圧巻。映画「北北西に進路をとれ」の元ネタが、ヒッチがイギリス時代に撮ったジョン・バカン原作「三十九階段」(映画の邦題は「三十九夜」)であることを鋭くついたのである。少なくともヒッチを奉るばかりのトリュフォー(『ヒッチコック・トリュフォー映画術』という退屈な本)より双葉氏のほうがはるかに切れ味が鋭かった。
 そんな双葉氏の『外国映画ハラハラドキドキぼくの500本』という本が文春新書で出ていた。すでに『外国映画ぼくの500本』『日本映画ぼくの300本』という本は読んでいたのだが、この本のことは知らなかった。発売日を見ると去年の11月。ちょうど私の入院中の刊行だった(;_;)。
 双葉氏は芸術映画も娯楽映画も区別なく見て公平に評価できる希有の映画評論家だが(かつて「芸術」偏重のキネマ旬報ベスト10に「007危機一発」、改題「ロシアから愛をこめて」を入れていたことあり)、とくにサスペンス、ミステリには造詣が深い。そんな意味でも氏にぴったりの本といえる。そんな本の余白に雑感を少々付け加えてみた。
 まず感じたのは、500はちょっときつかったかな、ということ。パラパラっとページをめくったたげでも「悪魔のいけにえ」「ウエストワールド」「コーマ」「サスペリア」「スターゲイト」……といった空虚な作品が取り上げられているのは、いくらなんでもという気がしないでもない。ハラハラドキドキする前に眠くなるはずである。あ、「サスペリア」は異様にうるさかったから眠ることもできないか。最悪ですな。本のボリュームのことなどもあったのだろうが、せいぜい日本映画と同じ300本にしたかったところである。
 以下、ランダムに個人的雑感を。ただし本に選ばれていても「エイリアン2」「オーメン」のようなメジャーなものは取り上げない。
★「華氏451」
 レイ・ブラッドベリの原作をトリュフォーが映画化したもの。華氏451とは本が燃える温度で、書物が禁止されている近未来が舞台。そのためタイトルや配役は声で紹介されるのだが、字幕スーパーが入ってしまうのが惜しい。双葉氏のいうハラハラドキドキはあまりないのだが、「ラストには崇高な感動がわく」というのには全く同感。ジュリー・クリスティーの扱い(二役だが清純な少女役には無理がある)や簡単に森に逃れられてしまうなど映画の出来にはやや疑問がないではないが、この映画のラストこそ、映画史上最も美しいラストだと私は未だに信じている。ちなみにマイケル・ムーアの「華氏911」のタイトルは、もちろんここからのいただき。
★「キャリー」
 スティーブン・キング原作の映画化ではこの「キャリー」をほめる人がけっこう多い。まあ「ミザリー」にしろ「ペットセメタリー」「デッドゾーン」「呪われた町」(私が見たのはテレビドラマ)にしろぱっとしないし、キューブリックの「シャイニング」に至っては見事な失敗作だった。もう一つ世評が高い「ショーシャンクの空に」はラストの海の青さ明るさにみなだまされているのではないのだろうか。妻殺しの犯人を知っているそぶりを見せた男が刑務所の係官に射殺されたりして思わせぶりたっぷりなのに結末がないのは大減点。その意味では「キャリー」は無難な出来だが、ラストのあのオチが読めてしまうのが惜しい。基本的にはこの手の「いじめ映画」は嫌いなのだが、私は公開後のビデオで見たため、あの「ハスラー」のパイパー・ローリーが母親役で出ていたり、「ビッグ・ウエンズデー」のウイリアム・カットやかの「サタデー」ジョン・トラボルタらが、「あっ、出てるじゃん」という感じで楽しめた。
★「コレクター」
 最近同名の映画ができたため混乱してしまう。有名作品の同名はぜったいにやめていただきたい。ウイリアム・ワイラーは「ベン・ハー」「大いなる西部」などの大作から「ローマの休日」「必死の逃亡者」まで本当に失敗作の少ない大監督だが(戦前の作品は知らん(^^;;)、これはちょっと異色の作品。主役のテレンス・スタンプはクリストファー・リーブの「スーパーマン2」で敵の将軍をやった役者だが、何かにつかれた役にぴったりの人で、とくに特殊メイクをしているわけでもないのに顔をみているだけで怖かった記憶がある。引き出しを開けると、どの引き出しもチョウの標本でびっしりというのも怖いが、ドアを閉めた瞬間、振動でピンで留められている標本がぶるぶるっと震えるというすごい演出が記憶にのこっている。このワンショットで逃げようにも逃げられないヒロインの心境を表しているのだから、さすがワイラーである。
★「ザーレンからの脱出」
 私は名古屋の二番館オーモン劇場で見た記憶があったのだが、誰も取り上げてくれないので、そんな映画本当にあったのかと自信がなくなりそうだったのだが、この本で確認できた。よかった、よかった。監督ロナルド・ニーム(「ポセイドン・アドベンチャー」)とは驚き。捕らえられた地下運動の指導者(ユル・ブリンナー)の脱出・逃避行だが、双葉氏は「すがすがしい後味」と書いている。それは、脱出するのは他の囚人や地下運動家など5人ほどで自分だけ助かろうと考える奴もいる。嫌な奴だなあと思っていると、その嫌な奴にもちゃんと見せ場が用意されているのである。そのため脱出に成功した後「○○はいい奴だった」みたいなことを言われたブリンナーはちょっと考えた後「いや、みんないい奴だった」みたいなことを言う。45年以上前の記憶で書いているので確信はないが、双葉氏の「すがすがしい後味」とはそのことなのではないかと思う。そういえば「ポセイドン・アドベンチャー」も脱出映画で、各人に見せ場があったのをこの一文を書いていて思い出した。
★「脱走特急」
 なんとなんとこの映画は名古屋のロードショー館、「ベン・ハー」「アラビアのロレンス」「サウンド・オブ・ミュージック」など名作の数々を上映してきたテアトル名古屋で見た。このレベルの作品は前述の二番館オーモン劇場で見ることが当たり前だったので、実に不思議である。が、もう40年も前のことなので、どうしてそんな金があったのか今となっては思い出せない。映画の出来は、まあ腹が立たない程度のもの。主人公のフランク・シナトラは最後に撃たれて死んでしまうのだが、その死体に「きみは一人でも脱走できたらこちらの勝ちだと言った。……」というようなナレーションがかぶさる。つまり、これだけの大人数が脱走できたのだから、きみの勝ちだということ。双葉氏が「最後にシナトラが死んじまうのもうれしい」というのは、そのことだと思うので誤解なきよう。
★「電撃フリントGO!GO!作戦」
 今ではほとんど忘れられてしまった映画だが、当時(60年代半ば)映画界の企画力のなさを露呈するように大量生産された(最近のホラー映画の洪水をみると、この状況は今でもあまり変わらない)007亜流映画としてはなかなかの出来である。というか、見て腹が立たなかったのは、この映画くらいではなかろうか。主人公は「荒野の七人」「大脱走」で男を上げたジェームズ・コバーン。大金持ちでかっこよく、当然のように女にももてもての人物。政府の高官がフリントを訪ね「この難題を解決できるのは、あなたしかいません。どうかご出馬をお願いします」と懇願するので、「仕方ない、暇つぶしにいっちょうやってやるか」と乗り出すパターンがまず笑える。パララ〜パララ〜と鳴る電話の音も、いと楽し。ただし、続編の「アタック作戦」は駄作でした。
★「ふくろうの河」
 「梟の城」じゃないですぞ(あれは司馬遼太郎の忍者小説)。ロベール・アンリコは名作「冒険者たち」の監督だが、この30分足らずの白黒短編は全編緊迫感にあふれた傑作。ある男が吊し首にされそうになるが、そのなわが切れて……。一気に見てしまって見終わった後、一瞬呆然となる。すくなとも私はそうだった。ビデオもDVDも出ていないようだし、またWOWOWあたりで放映してくれないかなあ。
★「放射能X(エックス)」
 この白黒映画は名古屋のメトロ劇場で見た。まだ子どもだったので、ヒュロヒュロヒュロという音が巨大アリの出す音とは気がつかなかった。今にして思えば火炎放射器でやっつけられるのだから、そうたいした怪物でもなかったのかな。後年見た東宝のそれなりによくできた怪獣映画「ラドン」はこの映画からかなりパクっている、というのが私の持論(というほどのことでもないか(^^;;)。
★「ユージアル・サスペクツ」
 高く評価する人もいるが、私は全く買っていない。そもそも存在するのかどうかさえもが伝説となっていたカイザー・ソゼなる人物が実在して、しかも顔さえ割れてしまったのにしたり顔でゆうゆうと逃走するというのが理解できない。もう一つ文句を言いたいのはタイトル。ユージアル・サスペクツとは何か事件が起こると、あいつではないのかと呼び出される常連の容疑者のことらしいのだが、何かいいタイトルはなかったのかね。たとえば上の「放射能X」の原題は「Them(やつら)」。「大アマゾンの半魚人」は「クリーチャー・フロム・ザ・ブラックラグーン」。「ナバロンの要塞」だって原題通り「ナバロンの大砲(ガンズ・オブ・ナバロン)」としないで「要塞」としたところなど、それなりの工夫が感じられるではないか。後に原題をカタカナにしただけでリメイクされたヒッチコックの「バルカン超特急」の原題が「レディ・バニッシュ(貴婦人失踪)」。英語をカタカナにするだけでは能がないと言われても仕方ありませんぞ。
 てなところだが、双葉氏の本を読むとまだ見ていないし、おそらくは一生見ないのではと思われる「名画」がいつも半数以上あるので焦りますね。(^^;;


双葉十三郎さんのハラハラドキドキ映画 2
 双葉十三郎『外国映画ハラハラドキドキぼくの500本』から続き。
★「アンタッチャブル」
 テレビ版はけっこう見ていたが、これはデ・バルマの映画版。主演のエリオット・ネス役はケビン・コスナーだが、彼に協力する警官がショーン・コネリー、アル・カポネがロバート・デ・ニーロなのですっかり影が薄くなってしまった。駅の階段での銃撃シーンでは乳母車がうまく使われているが。もちろんこれはエイゼンショテインの映画史に残る名作「戦艦ポチョムキン」の中でも有名なオデッサの階段シーンのパクリ、と言って悪ければオマージュ。この映画を見た若い人が「いやあ、あの乳母車のところは映画史に残る名シーンですね」と言うのにはまいった。
★「ウインチェスター銃73」
 名銃ウインチェスター銃をめぐる西部劇なのだが、強いと思っていたジェームズ・スチュアートがいきなり殴り倒されたり、アンソニー・マン監督の演出はどうも一貫性を欠く。この映画もさほどハラハラドキドキしないのだが、それよりも途中から出てくるちょっと水っぽいお姉さんに注目したい。どこかで見たような気がするでしょ。それもそのはず「ポセイドン・アドベンチャー」のあの水泳が得意なデブのおばさん、シェリー・ウインタースその人。人間、25年も経つとこうも変わってしまうんですねえ。(^^;;
★「ボディ・スナッチャー」
 早川書房がSFのシリーズを出したときの(当時はハヤカワ・ファンタジイと言っていた)第一弾がこの映画の原作ジャック・フィニィの「盗まれた街」だった。この映画は後に「ダーティ・ハリー」を作ったドン・シーゲル版(56年)と78年のフィリップ・カウフマン版がある。私はドン・シーゲル版の方がいくらか好きかな。フィリップ・カウフマンはこれも私が大好きな「ライトスタッフ」の監督で、その意味でも期待していたのだが、この手のラストシーンはちょっと飽きたという気がする。
★「黄金の七人」
 ロッサナ・ポデスタという女優がいる。もう50年も前の映画だが「ウエストサイド物語」「サウンド・オブ・ミュージック」を作ったロバート・ワイズに「トロイのヘレン」という作品がある。このときヘレン(ヘレナ)を演じたのがロッサナ・ポデスタで気品もあり本当にきれいだった。その美女が「ソドムとゴモラ」あたりになるとかなり崩れてきて、この「黄金の七人」ではメス豚と言われても反論できないほどの容貌になってしまった。上に書いたシェリー・ウインタースは単なるデブになっただけだが、世紀の美女ロッサナ・ポデスタはちょっと不気味な顔になってしまって、ギター侍ならずとも思わず「残念!」と叫びたいところである(蛇足ながら、ロッサナ・ポデスタが「プレイボーイ」だったか「ペントハウス」だったかで脱いだのは、もちろんメス豚となったさらに後のことである)。
★「スタートレック」
 ロバート・ワイズ作品。ロバート・ワイズはミュージカルの二大名作の監督として知られるが「戦艦サンパブロ」「アンドロメダ病原体」「罠」「ヒンデンブルグ」などなんでも作る人でしたなあ。この「スタートレック」はテレビでは「宇宙大作戦」として放映されていて、それが70mmの映画になったというのでは見に行かないわけにはいかない。しかも特撮は「2001宇宙の旅」のダグラス・トランブル。ジェリー・ゴールドスミスのテーマ曲も迫力満点で、名作の誕生を予感させた。が、その後がいけなかった。エンタープライズ号の出動までにもたもた、しかも相手がすごすぎて手も足も出ないというシナリオミス。ぐーんと規模が縮小された「2」の方が戦闘シーンもあり。まだ楽しめた。
★「タイム・アフター・タイム」
 上の「スタートレック2」を監督したニコラス・メイヤーが作ったのがこの作品。「タイム・アフター・タイム」には、時を越えてみたいな意味があるのだろうか。普通の娯楽作品を作る監督なので、かっちりした構成とかは期待しないが構成はまあかなり緩い。それでも、未来の新聞で好きな女性が殺されたという記事を見て……というところはけっこう緊張感もあって合格。それよりも地味なおばさんのメアリー・スティクバーゲンは「バック・トゥ・ザ・フューチャー3」でもドクの恋人役で出ていた。よほど時間旅行が好きなのかも。
★「ディック・トレーシー」
 ウォーレン・ビーティはシャーリー・マクレーンの弟で「レッズ」(要するに「赤」!)のように、アメリカ映画の中でインターナショナルの歌声が鳴り響くような作品を監督するかと思えば、この作品のように軽いお遊び映画も作る。シャーリー・マクレーンは「青い目の蝶々さん」で日本人になるし、実に何と言うか変な姉弟である。ということはともかく、この映画で特徴的なのは色の使い方。とくに特撮というわけでもないが実写であるにもかかわらずアメリカンコミックの雰囲気をよく出している。マドンナがナイトクラブの歌手役で出ているのがおまけ。
 あまりだらだらと続けても反感を買うばかりなので、ここらで打ち止め。


 双葉十三郎さんの映画の本のことを書いたら、おもしろそうなので三冊とも買って読んでみたが自分の評価とずいぶん違っていた、というメールをいただいた。違っていて当たり前だと思うのだが、どうも「そこが不満である」というニュアンスが読み取れるのが不思議だった。メールをくれた人は、他人の評価にいったい何を求めているのだろうか? 
 双葉十三郎さんは映画をたくさん見ていて、掘り下げた見方もできる人なので、「ああそういう考えもあるのか」と納得し、「いやそれはちょっと違うと思うよ」と少しだけ異論をとなえ、たいていは見ていない映画が半分近くあるので「あ、そういう映画だったのか」と知る喜びがあって、「ああ面白かった」と読み終えるのが、まあ普通である(正確に言うと「ハラハラドキドキ500本」のうち私が見ているのはテレビでカットされた吹き替えのものも含めて212本。半分にも満たなかった。劇場で見たものはおそらく50本程度、つまり1割しかないことになる(^^;;)。
 異論といっても反論というほどのものではなく、たとえば双葉さんは岡本喜八監督の「独立愚連隊」のことを絶賛したあと「喜びすぎて、続編も作られたが気が抜けてしまった」というようなことを書いているが、「『独立愚連隊』ももちろん面白かったけど、続編の『独立愚連隊 西へ』のほうがもっと面白かったと思うよ」程度のことである。逆に「フランス映画の凡作『ニキータ』」なんて一文にでくわすと、「グランブルー」にしろ「ヤマカシ」「ジャンヌ・ダルク」にしろあるいは我が敬愛するジェット・リーが主演した「キス・オブ・ザ・ドラゴン」にしろリュック・ベッソン監督の映画がおもしろかったためしがない私としては、思わずニヤリとしてしまうのである(「フィフスエレメント」なんて、ありゃ「ダーク・クリスタル」のパクリじゃござんせんか)。
 ヒッチコックではないが「たかが映画」である。映画への接し方も見た本数も私の方が比較にならないほど少ないのだが、この希代の映画評論家とのキャッチボールは実に楽しい。違う人間が見ているのだから評価が違って当たり前。そんなつもりで、どこが同感できどこに異論があるのかを楽しみながら読んでいけばいいのではないかと思う。
 ついてに言っておくと、こういう遊びは相手が双葉十三郎さんのような視野の広い人の評価なのでおもしろいのであり、逆に集団のベストテン相手では全くおもしろくないし、意味がない。そもそも何人ものベストテンを集計して一見客観性があるようなベストテンを決めることに果たして意味があるのだろうか?
 あ、あの人はこういう評価なのか、この人はこんな評価をしているのか、ということを知るのはまあ多少の意味があるとしても、それを集計してしまったのでは各人の個性が消されてしまいほとんど意味がなくなってしまう断言してもいいだろう。たとえば、3人の映画評論家がいて2人が絶賛して10点をつけたのに1人が見ていなかったため(意外と多い)空欄にした作品Aは合計20点。ところが3人が「まあまあかな」と7点つけた作品Bは合計21点となって作品Aの上にくることになるのである。これでA>Bという評価が果たして下せるのか?
 だからこそ(そういう無意味さがわかっているからこそ)、双葉十三郎さんは「順位を上げるため」にヒッチコックの「鳥」を1位に推したのである。
 ちなみに集計されたベストテンがいかに無意味なものなのか、「権威がある」と言われている「キネマ旬報」のベストテンを調べてみると、たとえば多くの人が黒澤明監督の代表作、いや日本映画の代表作とする「七人の侍」は何と年間のベストテンの3位である。
★1954年度キネマ旬報ベストテン
1.二十四の瞳 監督:木下恵介
2.女の園 監督:木下恵介
3.七人の侍 監督:黒沢明
4.黒い潮 監督:山村聡
5.近松物語 監督:溝口健二
 木下恵介監督の名作「二十四の瞳」はともかく(といっても「七人の侍」より上だと言っているわけではない。誤解のないように)、「女の園」という映画は見ていないが、果たして「七人の侍」を超える名作なのかどうか、見ている人がいたら教えてほしい。
 また、昭和の終わり頃だったかにある週刊誌でやったオールタイム・ベストテンで堂々の1位に輝いた「天井桟敷の人々」も年間のベストテンでは第3位という評価。
★1952年度キネマ旬報ベストテン
1.チャップリンの殺人狂時代 監督:チャールズ・チャップリン
2.第三の男 監督:キャロル・リード
3.天井桟敷の人々 監督:マルセル・カルネ
4.河 監督:ジャン・ルノアール
5.ミラノの奇蹟 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
 「第三の男」は私もベストテンに間違いなく入れる名作なので「天井桟敷の人々」より上に置く人がいてもおかしくはないと思うのだが、チャップリンの「殺人狂時代」はチャップリンの作品ではせいぜい中位のでき。とてもベストワンをとるような作品とは思えない。
 オールタイム・ベストテンで2位になったのは「2001年宇宙の旅」だが、これまた年度のベストテンではさらに下がって5位に甘んじている。
★1968年度キネマ旬報ベストテン
1.俺たちに明日はない 監督:アーサー・ペン
2.ロミオとジュリエット 監督:フランコ・ゼフィレッリ
3.質屋 監督:シドニー・ルメット
4.マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院患者によって演じられたジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺(マラー/サド)監督:ピーター・ブルック
5.2001年宇宙の旅 監督:スタンリー・キューブリック
 私はこの映画は当時、日本一の大画面(左右31m)といわれていた名古屋の中日シネラマ劇場で見たのだが、評論家たちの評価が低いのは試写室の小さなスクリーンでしか見ていなかったのでは、と思わざるを得ない。後にレーザーディスクで見たときに思ったのだが、「2001年宇宙の旅」を小さな画面で見たのでは価値は半減どころか1/10にもならない。私は「俺たちに明日はない」と「ロミオとジュリエット」は見ているが、それなりによくできた映画であることは認めるものの、アウトスタンディングな映画ではない。
 人気のある宮崎アニメにしても1984年度ベストテンで「風の谷のナウシカ」が7位に入り、「天空の城ラピュタ」(8位)ときてついに「となりのトトロ」で1位になった(1988年度ベストテン)。以後、「魔女の宅急便」(5位)「紅の豚」(4位)「もののけ姫」(2位)「千と千尋の神隠し」(3位)といつたぐあいに快進撃が続く。ところが「ナウシカ」以前の作品「ルパン三世・カリオストロの城」は今でこそカルト的な人気があるが、当時は全く話題にもならなかった(私の知る範囲では、森卓也というアニメに強い評論家が絶賛していただけである)。もちろんベストテンには入っていない。なぜか。見ていないのである。で、「ナウシカ」が話題になってからはさすがに見るようになったわけだが、「もののけ」や「千」のよさは私にはわかりません。順位をつけるとき、興業成績と作品価値がごっちゃになっていませんかね?
 映画評論家には一つでも多くの映画を見て、あまり話題になっていないがおもしろいという映画を発掘してもらいたいのだが、それが仕事なのに恐ろしいほど映画を見ていない人が多い。以前、あの黒澤明の娯楽大傑作「隠し砦の三悪人」を「見ていなかったのでベストテンには入れなかったが、今回見てベストテンに入れてよいと思った」なんて書いていた評論家がいて空いた口がますます空いてしまったことがある。
 こんなことからも集計されたベストテンがいかに意味のないものかわかってもらえると思う。ベストテンはその人の個性が反映された「個人」のものに限る。
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