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つい見てしまう「ローマの休日」 [映画の雑感日記]

 10/1よりWOWOWがハイビジョン3チャンネル放送になった。といっても、「映画チャンネル」以外はまだ手探りの状態というかどうもチャンネルのイメージが「スカパー」ほど明確になっていない。まあ、そのうちにはっきりしてくるだろう・・・
 というようなことはともかく、私が期待しているのはもちろん「映画チャンネル」。10月のラインナップは少々期待はずれなのだが、オードリー・ヘプバーンの特集をやるというので、見てみた。日本人はとくにオードリー(「春日」じゃないですぞ)の人気が高いので、3チャンネル化の最初の目玉としてもってきたのだろう。私は、とりたててオードリーのフアンというわけでもないのだが、今回放送された5本の映画をすべて見ているのがわかって、ある意味驚いた(最も、「ローマの休日」のリバイバル上映を劇場で見た以外はすべてテレビまたはビデオなのだが)。まず、例によって、私の評価を書いておくと、以下のようになる。

「ローマの休日」☆☆☆☆★
「昼下りの情事」☆☆☆☆
「緑の館」☆☆★
「尼僧物語」☆☆☆
「華麗なる相続人」☆☆★★★

 やはり「ローマの休日」の出来がダントツによく、結局、ヘプバーンはこのときのイメージで売れた(売れ続けた)のだということがわかる。先日、ウイリアム・ワイラー監督のことを書いたときも、「ローマの休日」に少しだけ触れた。
「ラストシーン。ヘップバーンが各通信社・新聞社の記者と挨拶を交わす場面がある。これって普通の監督がやると間延びしてしまうか、途中を端折ると思うのだが、ワイラーはじっくり構えて一人一人の挨拶を丁寧に撮っていく。それが全然間延びしない。というのも、観客は記者団の最後にグレゴリー・ペックがいることを知っているので、そこまできたときどうなるんだろうという緊張感をもって他の記者たちとのやりとりを観ているからである。だれないだけでなく、あ、この映画はこれで終わってしまうのか、終わってほしくないな、とさえ思わせる。この観客の気持ちに答えるように一人になったペックのシーンをENDの前にちょっとだけ挟み込む。まさに名人芸と言ってよい。」
 こうした、ワイラーのきめ細かい演出があり、物語が世間知らずのお姫様とジャーナリストとの淡い恋というのだから、まあおもしろくならないわけがないですわな。所詮、おとぎ話の夢物語と言ってしまえばそれまでなのだが、こういうことってもしかするとあるかもしれないと思わせてしまうところが、名人ワイラーの腕である。本当によく出来た大人の童話だと思う。めでたしめでたしの結末ではないにもかかわらず(そうなるのは誰もが予想できる)、見終わって「いいもの見せてもらったなぁ」という楽しさが残るのが、名画の名画たる所以だろう。ヘプバーンは、はっきり言って一世一代のはまり役だし、大根演技で減点対象(「ナバロンの要塞」「大いなる西部」など)となることが多いグレゴリー・ペックも悪くはない。そして、カメラマンのエディ・アルバート。いいねえ。(^^)/
 エディ・アルバートといえば先の雑文に書いたラストの前に、彼が撮った写真をペックに見せるシーンがある。その写真の1枚1枚がペックにとっては、欠けがいのない思い出になっているわけだ。見ているこちらも思わず胸に迫る何かを感じてしまう。後で少し触れるがダルトン・トランボのシナリオがいかによくできていたかがわかろうというものである。最後のヘプバーンと記者たちのやりとり(忘れていたが最初の記者はシカゴの「ヒッチコック」という人物だった(^^;)にしてもアルバートとペックが並んでいるその両隣は背の低い記者になっていて、いやでも2人が目立つようになっている。うまいなあ。

 今回もちょっと脱線するが、「ローマの休日」について調べてみたら(映画に詳しい人には常識なのかもしれないが)おもしろいことがわかった。
 「ローマの休日」は、1953年度のアカデミー賞で、ヘプバーンが最優秀主演女優賞、イアン・M・ハンターが最優秀脚本賞、イデス・ヘッドが最優秀衣裳デザイン賞を受賞している(作品賞、監督賞も受賞していてよさそうなものなのだが、退屈極まりない「ここより永遠に」が受賞。アカデミー賞は、ときどきこういうわけのわからないことが起きる)。お姫様と庶民、あるいは王子様と庶民のラブロマンスというのは古今東西「万」とあるありふれた話なのだが、その「夢物語」を壊さないでそれなりにリアリティをもたせた展開は、もちろんワイラーの力量に依るところ大なのだが、しかしシナリオも絶品。アカデミー賞は、当然の受賞と思える。その受賞者イアン・M・ハンターという人物を私は全く知らなかったのだが、実はただ名義だけの人物で、実際にシナリオを書いたのは、あのダルトン・トランボだったというのである。言うまでもなく「スパルタカス」の脚本家であり、「ガン・ファイター」「ダラスの熱い日」「パピヨン」の脚本家であり、「ジョニーは戦場へ行った」という凄まじい映画を作った人物である。自分の名前を発表できなかったのは、いかに当時のマッカーシズム(赤狩り)が「気違い」じみたものであったのかが、わかる(1947年に非米活動委員会での証言を拒否したことにより実刑)。そうした状況下でこういうロマンチック・コメディが書けてしまうのだから、すごい。
 もう少し脱線する。
 「ジョニーは戦場へ行った」は1939年にトランボ自身が書いた小説。その後、第2次世界大戦や朝鮮戦争が起こるたびに発禁処分になった。まあこういう話を知るとアメリカも決して民主主義のモデル国で言論の自由が保障されているなんてことは幻想であることがわかるのだが、その自身の原作を1971年ベトナム戦争の最中に自身が監督(最初にして最後の監督)して映画化してしまったところに、トランボの気骨という執念を感じる。実際、私はこの映画を映画館で見たのだが、見終わってちょっといたたまれない気持ちになった。

 他の作品についても少々。
 「尼僧物語」と「華麗なる相続人」は2度目になるが、予想通り退屈した。テレンス・ヤング監督のオードリー作品なら「華麗なる相続人」ではなく、文句なしに「暗くなるまで待って」だろう。「緑の館」は確か当時のヘプバーンの旦那が監督した作品だがはっきり駄作。15分で見るのをやめてしまった。その点、「昼下りの情事」のビリー・ワイルダー監督はさすがの語り口で飽きさせずに最後まで見させる(今回も最後まで見てしまった)。オードリー+ワイルダー作品では「麗しのサブリナ」も有名だが、ラストシーンのハラハラドキドキと結末のハッピーな鮮やかさといい「昼下りの情事」の方が頭1つ抜けていると思う。
 それにしても、「昼下りの情事」のヘプバーン(1929年生)とお相手のゲーリー・クーパー(1901年生)とは28歳差。最近は「歳の差婚」が流行っているとはいえ、「サブリナ」のハンフリー・ボガート(1899年生)とは30差。誰がどう見たって十分、親子である。「マイ・フェア・レディ」のレックス・ハリソン(1908年生)とは21歳差。こうみてくると、「ローマの休日」のグレゴリー・ペック(1916年生)との13歳差というのが、とても近い年齢にみえてくるから不思議である。
ヘプバーン.jpg
☆★は、尊敬する映画評論家・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。要するに合格というか許せるぎりぎりのラインということです。)
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