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ウイリアム・ワイラー没後30年 [映画の雑感日記]

 没後30年ということで、ちょっと前のことになるが、WOWOWでウイリアム・ワイラー監督の特集が組まれていた。ワイラーというとたいていの人は「ローマの休日」「ベン・ハー」などを思い浮かべるのだろうが、今回のWOWOWはひと味ちがった比較的地味な「ファニー・ガール」「探偵物語」「黄昏」「L.Bジョーンズの解放」「必死の逃亡者」という特集で、「黄昏」などタイトルは知っていたが私は今回初めて見た。
 ジャンル分けをすると、
「ファニー・ガール」ミュージカル
「探偵物語」刑事もの
「黄昏」メロドラマ
「L.Bジョーンズの解放」人種問題、シリアスドラマ(遺作)
「必死の逃亡者」ハードボイルド
 実に幅広いではないか。しかも、この4本すべて見応えのある映画で、駄作・失敗作と言えるものは1つもない。「黄昏」(後年、ヘンリー・フォンダ、ジェーン・フォンダの父娘共演の同名映画があった。紛らわしいので同じタイトルはやめにしてくれないかね)なんぞは私が嫌いなメロドラマなのだが、ローレンス・オリビエの好演もあって、ついついラストまで見入ってしまった。遺作の「L.Bジョーンズの解放」も地味な映画だが、退屈はしなかった。「探偵物語」は同題名の薬師丸主演映画があったが、あんな甘いものではなく見終わった後映画のもつ力をずっしりと感じさせる傑作。ハンフリー・ボガートの代表作の1つでもある「必死の逃亡者」に至っては、まあ「手に汗握る」緊張感の連続で、この手の映画はこれが原点だったんだなとわかる傑作である(ネタバレしないように書いている)。
 本当に、ウイリアム・ワイラーとデビッド・リーンはアウトスタンディングな監督だったとあらためて思う次第である。以前、「映画監督の2大巨匠」としてこの2人について書いたことがあるので、前半のワイラーの部分を再録しておく。

★映画の二大巨匠=ウイリアム・ワイラーとデビッド・リーン★

 昔、何かの機会に書いたことがあるが、名監督と言われる人の作品をちょっと強引に分類してみると、映像派名監督とストーリー派名監督に分けられると思う。文字通り「映像派」とは映像が強く印象に残る監督であり、「ストーリー派」とは話・構成のうまさが印象に残る監督のことである。と書いてもわかりにくいかもしれないので具体的な例をあげよう。
 まず、映像派名監督の代表はなんと言ってもアルフレッド・ヒッチコックである。「レベッカ」の光るコップ、「鳥」のカモメの群れが街を攻撃するようにさーっと降りて行く大俯瞰、「北北西に進路を取れ」の飛行機追っかけ、ラシュモア山でのアクションなど印象に残るシーンのオンパレードである。あまりに有名になった「サイコ」のシャワーシーンやあの建物、「裏窓」のキスシーン(観た人ならわかるはず)なども加えてよい。スタンリー・キューブリックもヒッチコックと並ぶ映像派の巨匠である。「2001年宇宙の旅」の冒頭シーン、骨からロケットへの大ジャンプ、何だかよくわからん映画だったと感じた人でもこういったシーンは絶対に覚えているはずである。あるいは「博士の異常な愛情」での水爆とともに落下していくシーンなどを思い出してもらえれば納得してもらえることと思う。この派の監督の欠点は、それほど強く印象に残るシーンがあるため映画館では納得して見ているものの、ビデオ時代になって後刻見直してみると構成・展開がけっこう緩かったりする点である。
 「北北西に進路を取れ」なんて、スパイがどうのと大騒ぎしているわりには敵方の組織はもちろん味方の組織についてもいっこうによくわからず、数人で騒いでいるだけのような気がしないわけでもない。ようするに人物の背景・広がりが一向に見えて来ないのだ。ラシュモア山で手を伸ばして彼女を引き上げるシーンが寝台車のベッドに引き上げるシーンにつながり、そのままトンネルに入って行くという唖然とするような鮮やかなラストのため、映画館で観たときには全く気にならなかったが、ビデオで再見しているうちに気になってきた。ラストといえば、「鳥」のラストにしても結末がついていないので不気味さが増すなんて言う評論家がいるが、私にはこの映画ヒッチコックは鳥が人間を襲うシーンをあの手この手で撮りたかっただけで、ラストは投げ出しているとしか思えない。要するにその後人間たちがどうなるのかなんてことには端っから関心がないのである。キューブリックにしても、かのダルトン・トランボがシナリオを書いた「スパルタカス」はともかく、「2001年宇宙の旅」のディスカバリー号の内部構造や「博士の異常な愛情」のペンタゴン内部の位置関係など監督の関心のない部分については全くわからない。これまた、キューブリックが描きたかったのは今までの映画とは全く違う宇宙の静けさ、怖さであり、水爆が引き起こす人の狂気であって、その他の部分に関しては関心がないのだと思う。
 一方、ストーリー派名監督の代表はビリー・ワイルダーでこの人の作品は「アパートの鍵貸します」のシャンパン、「翼よあれが巴里の灯だ!」のコンパクトの使い方など典型だが、うまいなあとうならされることが多い。「あなただけ今晩は」などのちょっと緩い作品でもエレベーターの使い方など実にうまいものである。ちゃあんと観る者の印象に残るように前もってうまく登場させているので、いざそれが必要になったとき突然、実はエレベーターがあってという泥縄にならないのである。「情婦」のような作品でも最後にキーポイントになる女性をうまーく傍聴席のチャールス・ロートンのお抱え看護婦の横に印象に残るように配置している。最近の日本映画ではビリー・ワイルダーの影響を受けている(と思われる)三谷幸喜がこのストーリー派である。「有頂天ホテル」のスッチー(あ、最近はCA=キャビンアテンダントと言うんでしたね)の制服の使い方などななかのものだった。ストーリー派の弱点は、というとつまり映像派の裏返しになるわけだが、ううむと唸らせるような印象的な映像があまりないことである。
 と、考えてきて、いや待てよ「映像もストーリーも凄い」監督を2人思い出した。ウイリアム・ワイラーとデビッド・リーンの2人である。
 ウイリアム・ワイラーは「必死の逃亡者」や「探偵物語」「コレクター」「嵐が丘」から「ローマの休日」「大いなる西部」「ベン・ハー」とサスペンスから文芸作品、ロマンチック・コメディ、西部劇、スペクタクル史劇と様々なジャンルの映画を撮っているがともかく失敗作というものがほとんどないない(もちろん失敗作はあるのだろうが、私は見たことがない)。
 70mm大作の「ベン・ハー」はワイラー作品としてはやや緩いところがあるものの、「キング。オブ・キングス」「クレオパトラ」「クォヴァディス」「ローマ帝国の衰亡」など当時続々と作られた歴史劇大作のなかで残ったのは「ベン・ハー」と「スパルタカス」だけという状況を考えれば、格が二段も三段も違っていたことがわかると思う。決して戦車競争だけの映画ではない。で、波瀾万丈のスペクタクルだけと思っていると、映像も見事。冒頭のタイトル終了後、ローマンマーチの音楽が流れる中、子どもが梯子を昇るのに合わせた見事なクレーン撮影に始まり、インターミッションの前の絶妙の落ち葉の舞い方、ラストの神は迷える子羊たちを導きたまうという声が聞こえてきそうな美術館の「名画」といっていい素晴らしい珠玉の映像が散りばめられている。3時間半の長丁場を飽きさせないワイラーは、映像もストーリーも群を抜いた巨匠と言えると思う。
 「大いなる西部」の月明かりの下でのグレゴリー・ペックとチャールトン・ヘストンの殴り合いも以後多くの模倣を生む伝説の名シーンだった。その直前のペックの前でヘストンがジーンズをシュボッ、シュボッと履くシーンなども充実している。ラストのブランコキャニオンでの闘いに向かう一団を写すカメラ割りは編集の教科書。ストーリーも各人の個性を際立たせながら、古い西部が滅び新しい西部の時代がやってくることをきちんと描ききって立派。
 ううむ、得点高いなあ。
 もう一つ例をあげれば、「コレクター」はほとんどテレンス・スタンプとサマンタ・エッガー2人だけのサスペンス劇なのだが、緊迫したストーリー展開はもちろんのこと、この映画にも記憶に残る素晴らしいシーンがある。さらわれてきたサマンタ・エッガーが机の引き出しを開けるとそこにはずらりとチョウの標本が並んでいる。別の引き出しを開けてもまたそこにはチョウの標本が。自分がこのチョウたちと同じようにコレクションされたのだと悟る名シーンである。凡庸な監督ならヒロインの独白など入れて心理を説明してしまうところなのだが(名作と言われる内田吐夢監督「飢餓海峡」だが八重の不自然な独白シーンに私はすっかり興ざめてしまった)、ワイラーは映像だけでそれをわからせてしまうのだから、すごい。そして、さらにすごいのは呼ばれたサマンタ・エッガーが慌てて部屋を出るとき乱暴にドアを閉める。すると、その振動でピンで留められている標本のチョウが一瞬、ぶるっと震えるのである。逃げたくても逃げられない状況を表す見事なモンタージュではないか。もう40年も前の作品だが「コレクター」というと私は今でもこのシーンが鮮明に浮かぶほどである。
 最後に、構成の素晴らしさを示す例を一つだけあげておこう。誰もが見ているはずの「ローマの休日」のラストシーン。ヘップバーンが各通信社・新聞社の記者と挨拶を交わす場面がある。これって普通の監督がやると間延びしてしまうか、途中を端折ると思うのだが、ワイラーはじっくり構えて一人一人の挨拶を丁寧に撮っていく。それが全然間延びしない。というのも、観客は記者団の最後にグレゴリー・ペックがいることを知っているので、そこまできたときどうなるんだろうという緊張感をもって他の記者たちとのやりとりを観ているからである。だれないだけでなく、あ、この映画はこれで終わってしまうのか、終わってほしくないな、とさえ思わせる。この観客の気持ちに答えるように一人になったペックのシーンをENDの前にちょっとだけ挟み込む。
 まさに名人芸と言ってよい。

 で、いったいワイラーの作品はどれくらい見ているのだろうと調べて見たら、いやあけっこう見ていますなぁ。以下は見ているワイラー作品の採点。劇場で見た作品は『 』にしてある。文芸作品から社会派ドラマ、ハードボイルド、ロマンチックコメディ、サスペンス、西部劇、史劇、ミュージカル、映画のほとんどのジャンルを手がけ(手がけてないのはSFだけか。しかし、「ローマの休日」はファンタジーと言えないこともない)、しまった時間の無駄だったと思わせる作品が1つもないところが本当にワイラーのすごいところである。「大いなる西部」や「ベン・ハー」など、また劇場の大画面でじっくり見たいなあ。

「孔雀夫人」(1936)☆☆☆★★
『嵐ケ丘』(1939) ☆☆☆★★★
「西部の男」(1940)☆☆☆★★
「偽りの花園」(1941)☆☆☆★★★
「ミニヴァー夫人」(1942)☆☆☆★★
「我等の生涯の最良の年」(1946) ☆☆☆★
「探偵物語」(1951)☆☆☆★★★
「黄昏」(1952)☆☆☆★
『ローマの休日』(1953) ☆☆☆☆★
「必死の逃亡者」(1955) ☆☆☆☆
「友情ある説得」(1956) ☆☆☆★★
『大いなる西部』(1958) ☆☆☆☆★
『ベン・ハー 』(1959) ☆☆☆☆★
「噂の二人」(1961) ☆☆☆★
『コレクター』(1965) ☆☆☆☆
『おしゃれ泥棒』(1966)☆☆☆★★★
「ファニー・ガール」(1968)☆☆☆★
「L・B・ジョーンズの解放」 (1970)☆☆☆★★
ワイラー.jpg
☆★は、尊敬する映画評論家=故・双葉十三郎さんの採点方法のパクリで、☆=20点、★=5点(☆☆☆が60点で「可」。要するに合格というか許せるぎりぎりのラインということです。)
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